見出し画像

見方をかえたときに好きを発見してもらえた

下の記事の続きです。
でも読まないほうがいいかもしれません。
ちょっと私のしんどい気持ちにつられてしまうかもしれません。

私の味方をしてくれた人たちの話をします。

Мさんの話の内容。


•Мさん自身も私にたいしていい感情をもっていなかった。
•でも私の言ったことを考えて、けして間違っていなかったこと、私を見る角度を変えてみるといい面も見えてきて、仕事がしやすくなたった。
•こうなる前に、話し合いの場をもってほしかった。

Мさんも私や、前の記事のNさんよりも先輩です。
職場のリーダー的なひとで、率先的にみんなを率いてくれるというよりも、みんなが「どうしたらいいですか」とまず聞きに行けるタイプのリーダーです。
穏やかで、問題がおこっても中立の立場にだいたい居てくれるので、
寄る辺になってくれる人でした。

Оさんの話の内容。

•Оさんも私の言い方に「?」と思うことがたしかにあった
•Оさんは私のことを、鏡のようなひとだと思ったこと。
いやな気持で向き合うんじゃなくて、ありがとうで向き合ったとき、
話がちゃんとできるひとだと分かったこと。
•私のことを正直な人といってくれたこと。
だからこそその時々の疑問を口にしていたのだろう、と。
その時の言葉は考えて言わなくてはいけないものだけど、
言われた方も冷静に受け止めていけたら変わったこともあったと思うこと。

Оさんはこのお店に入ったのが一番最近のスタッフさんです。
言葉をとても考えて取り出してくれるひとなのに、ぽんぽんと連想的に言葉やアイデアを出してくれるひとでもあります。
人のことをきちんと自分で見て、話して、自分できめようという人です。
そしておしゃれ番長です。(ここは大事)


Oさんから話を聞き終わって


私は、人との距離がうまくとれない人間だと思います。
はっきりとものを言ってしまう。
もっとオブラートに包むほうがいいことを、
直球で投げてしまうことがある。
違う、とおもったことは、違うと言ってしまう。
それが人によっては、きつい、傷つく、と言われることも分かりました。
なので、本当に人によってはきつく感じたことはないという人もいます。

この二人の話のなかで、見方を変えてくれたことが今の関係に大きく違いを作ったんだなと感じました。
正直、今は味方をしてくれてる人にも
「あ、苦手に思われてるな」
と感じることがありました。
私自身、あ、そんなふうに考えるんだな、苦手だな、と感じることはありました。
でもそういうものだと思っていました。
だからせめて仕事はできるように、何かあれば助けになれるように頑張ってきたつもりです。

もうこの違いって、「あれ?」と思ってくれたかどうかなのかなと思います。
「あれ、言い方が気になったけど、言ってることは間違ってないな」
と、思ってくれた人が、自分から私の見方を変えてくれて、その中で私の好きを見つけてくれて、今いっしょにお茶ができる仲になれました。

ありがたいな、でいっぱいでした。
前回のnoteで湧いた涙とは違う涙がぶわっときました。
このふたつの涙は、心が揺れたから溢れた事実はいっしょでも、
中に溶けている気持ちがまったく違いました。
そしてすこしやっぱり申し訳ない気持ちもありました。


この話を終えて、Оさんが、
「大丈夫?」
と聞いてくれました。
それはとても思いやりのある声でした。
「こんなにみんなにいやな思いさせてたんだと思うと申し訳ないです」
と私が謝りだすと
「ちょっとこのことについては、謝らないで欲しい」
と彼女は言いました。


Оさんとの話し合い


はじめにОさんは、呆然としていた私に、
「まずあなたがどんなことにひっかかったのかを教えてほしい」
と言ってくれました。すごくうれしかったです。

今まで、店長が私に話しをきく時には、もう店長のなかで私が悪い、という図式が出来上がっていて、私がどういってもその位置が変化することはありませんでした。
「うん、話はきいたけど、あなたが悪い」
そう突き返されることがほとんどでした。(受け入れてもらったことが思い出せないのですが、13年いたら何回かはあったかもしれません)
Оさんはたまらずに泣き出してちゃんと話せない私の言葉を、ゆっくり聞いてくれました。

お店で、私も誰かの言葉に傷ついたり、腹が立ったりすることはあったけれど、今までほとんど言わなかったこと。
それは言ったとしても受け取ってもらえない(下手をするとただの不満ととられたと思う)うえに、店長のなかには「あなたが何かしたんでしょ」というような、前提がいつもあって、それは副店長の奥さんにも、Nさんに対してもだったこと。
私なら傷つけてもいい、むしろあなたは平気でしょ?という押しつけがあったと、私は感じていたこと。
録音の中の、二人の不満は話をすれば改善できたことだとおもうこと。
前のnoteにも書きましたが、食い違っていると感じることがあったこと。
子供を揶揄する発言をNさんがしたことにすごく腹がたったこと。

Оさんは、まず私が謝ったときの言葉で
「相手に理解してもらう努力を強いてしか関係が築けなくてごめんなさい」
というところにふれ、
「それは、あなただけのことじゃなく、誰との間にもあるものだと思う」
「だからあなたが謝らなくていい」
と言ってくれてた。

「私がはあの店で働きはじめてはじめに見えた構図は
朝の時間に働く人と、夜まで働く人たちの間に敵対しているような関係があって、そのなかで朝のリーダーみたいな副店長があなたを攻撃しているように見えた」
「私も、入ってきてしばらくはそのなかにいた。
それはあの中ではじかれたくないという気持ちもあったし、
あなたの言い方が引っ掛かった部分もあったけど、
副店長の“あの人はこういう人”という洗脳があったと思う。
今は味方の二人も、そういう空気に吞まれてるように感じた。
でもあなたの見方が変わってきて、そのことを二人に話せるタイミングができて、そこでやっとあなたと関わっていっても大丈夫っていうる場所ができた」
「そうやって接したあなたは、とても正直なひとだった。
話がちゃんとできるひとだとわかった。
今はとても好きだし、本当はあのお店でアイデアを出し合ってもっと面白いことができたと思う。だから今の状況がとても残念だとも思う。
でも、あんな場所から出られたこと良かったとも、思う」
「私やほかの二人は自分の受け取り方を変えられた。
でも店長たちは意見をされたというところで止まってて、
その内容にまで目が向いてないのだと思う。
それができれば、あなたが言ってきたことが間違っていないと分かると思う」

電話の最後には、また会おう。その時にはもっと楽しいことを話そう。
そう言いあえました。

生活を支えてきた職を失ってしまったことは、本当に痛手でしたが、
こうなったからちゃんと言葉にして、
今まで付き合いを遠巻きに見ていた人たちの内側に入れたんだと思います。
この出来事がどう決着がついたとしても、
私にはトータルでお釣りの方がたくさんに感じる出来事になると今は思えます。

かなしくて、腹立たしくて、くやしくて、という感情を上回って、
ありがとうがすごい勢いであふれ出してくる。
そんな1日になりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?