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Gの襲撃と、おばちゃんの気持ち


一個目。
夕ご飯が終わったあと、洗い物も終わって一息ついたときに、そいつは現れた。
みんなが知ってる、黒いやつだった。
動きが遅くて、でも大きなやつだった。
悲鳴をあげなかった自分の成長を褒めたい。
母親になって、堪えれるようになった。
私が叫ぶと子供はさらにパニックになるから。
それでも、じゃあ平気になったわけではない。
そんなわけで椅子の上に飛び乗った私の下を、Gはカサカサと通り過ぎていった。
母がやってきて、雪女のCМの凍らすスプレーをふってみたけれど、手負いにしただけで隠れられてしまった。
そのあとも明日の用意やら、片付けの片付けやらをしていると、上から子供がおりてきて、Gが出たことを聞くと長男は
「いやだ~。怖い!!」
と不安そうになり、次男は
「僕が母のことを守ってあげる!
Gさんは僕が倒す!」
と100均のやわらかい刀を振り上げて宣誓してくれた。
そして本当にGが現れると私より前に出て追い払ってくれた。
何だ、この騎士!!!
もっと小さいころは、、、
もっと小さなころは、虫という虫が苦手で泣いていたのに。
驚いて、書いておきたくなったこと。

もう一つ、今度は生活が激変する話。

祖母の妹のシズコおばちゃんが、腰を悪くして入院し、その間に認知症の初期症状がはじまった。入院中も、シズコおばちゃんは母に電話をしては
「はやく家に帰りたい」
「ここを早く出たい」
と繰り返していた。三か月の入院を早めに切り上げ、シズコおばちゃんは我が家のそばのリハビリ施設に入ることになっていた。
そこに入るまでの一週間ほどを我が家に居てもらったのだけど、その時は
「申し訳ないからはやく施設にはいりたい」
と言っていた。
やっとリハビリ施設に入ると、最初は一人は寂しいと四人部屋に入っていたのだけど、一緒の部屋の人ともめ事を起こし、一人部屋へ。
でもそれが寂しいとしょっちゅうナースコールを押してしまうから母にシズコおばちゃんの説得を頼む電話が来たりした。
おばちゃんからは、毎日二時間に一回はシズコおばちゃんから電話がかかり
「こんなところ早く出たい。みんな私を邪魔にする」
と話ていた。
もうどうしようもなくなって、三か月の予定を一週間少々で出てきた。
施設の人にも、ケースワーカーにもむちゃくちゃ迷惑をかけた結果、シズコおばちゃんは元の家に一度戻り、母は金土日、泊まれない日は泊まり込みで近所の人に面倒をみてもらい、なんとか生活を送った。
でも母が泊まり込みにいく間、私は子供と猫と祖母の介護と仕事にふらふらになった。たった一か月だったけれど、大変だった。
母がシズコおばちゃんを説得し、おばちゃんは
「みんなと暮らせるならうれしい。でも申し訳ない」
と言いながら我が家にやってきた。
おばちゃんのために家に手すりを取り付け、おばちゃんの寝る場所やおばちゃんの寛ぐソファを入れるために家の中をあれやこれやと片付けた。
それはそれはあれもこれも急に決まって、大変だけどまあうまくやれるだろう、と思っていた。
シズコおばちゃんは時々この家にいていいのか、と不安になるようだった。
だから自分を施設に入れてくれ、というようになった。
それをなんとか宥めてきたけれど、今日母の堪忍袋の緒が切れた。
どんなに言っても
「申し訳ないから施設にいれてほしい」
と言い張るおばちゃんを、引き留める体力が残っていなかったのかもしれないけれど、母はもう疲れたと言い、この家を出るのなら、もう縁は切る、と言い放っていた。
正直なんだか大変なことになったな、という気持ちだ。
コロナの影響で、私の職場は営業時間を短縮している。
店長が誰も辞めさせたりしないで、みんなで働いていきたいと言ってくれて、私たちスタッフは普通より二時間働く時間を短くし、なんとか繋いでいる。
給料は、国の補助もあるのだけれど、もともとの引かれる税金が高かったのもあって、もともとの給料から5万ほど少なくなっている。
そこを補填してくれたのがおばちゃんだった。
おばちゃんはお金はあげるよ、というけれどそんなわけにはいかない。

おばちゃんと母が話し合った結果、おばちゃんを家まで送り、養老院も手配する。縁は切るから家をくれるという話はなしで、そのかわりお金をいくらかもらう、ということになったらしい。
今月末にシズコおばちゃんとの同居は解消されるけれど、いったいどうなるんだろうか。

どこにいっても、おばちゃんは逃げたいといっていたけれど、それはまだどこかにあるといいなあ。

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