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にいちゃん

長男が今日8歳になった。

彼がお腹のなかに宿ったことが分かったとき、私はおろそうと思っていた。
自分が親になるなんて恐ろしいこと、やっていいわけない。
そう思っていたし、その頃は彼氏だった夫が私と子供を育てる気があるなんて思ってもいなかった。
子供ができた。おろそうと思う。
を、一セットにで伝えた。
その日帰ってきた彼は朝見送った時からたいして時間がたっていないというのにやつれていて、どうしたのかと思ったら、
「産んでほしい」
と伝えられた。
え?そうなの?
それプラス、母が
「私が元気なうちに産んでおきなよ。面倒手伝うから」
と言い添えて、やっと
じゃあ、産んでみようか、と思った。

産む資格があったとは思えない人間が産んだ。
神様はちゃんとわかってるなと思った。
長男は全く手のかからない赤ちゃんだった。
家に連れ帰ってすぐから、夜も5~6時間は寝て、ミルクを飲んだらすぐまた寝て、昼の間も機嫌よく過ごし、こんなに手のかからない子じゃなかったら、事件を起こしていたんじゃないかと本気で思う。
今も、ニュースで母親が子供を殺してしまった事件を目にすると、他人事とは思えない気持ちで見ている。
全く手のかからない長男とでさえ、四六時中いっしょには居られなくて、三か月でフルタイムに復帰し、仕事を再開して、距離をおいて初めて長男が可愛いと思えた。そんな私。

そんな私なので、今無邪気に長男が
「母大好き!」
と言ってくれると、申し訳ない気持ちになる。

長男は本当に手のかからない子で、おしゃぶりもそろそろやめないかと話しかけると、しゃぶっていたそれを自分で口からすぽんと抜いて私に渡してくれて、それ以後一回も欲しいと言わなかった。
ミルクも同じ感じで、
「ミルクをやめませんか?」
と言った私に空になった哺乳瓶を返して、それから飲まなくなった。
離乳食も何を出してももぐもぐと食べ、すくすくと大きくなった。
頭の大きな子供で、三歳児検診でそれを心配されたけれど、全く大丈夫だった。
お店でおもちゃを欲しいと一度だけ寝転んで駄々をこねたけれど、おいて帰ろうとした途端ぴたっと泣き止んでいっしょに帰ってくれた。
本屋さんで本を読むときも、教えたとおりにやさしく触る。
買ってあげた100円のおもちゃもいつまでも大切に遊ぶ。
転んでも泣かない、注射でも泣かない、母が仕事に出る時も泣かない。
でも清掃車が行ってしまうときは泣きながら追いかけて、運転手のお兄さんが手を振ってくれた。
車や電車が大好きで、彼がはじめに口にした言葉は、「まんま」でも「にゃあにゃ」でもなく、「ダディ」で、その次が「ばしゅ」と「でんでん」「たくしー」だった。そのあと、猫と犬と時を同じくして「はぁは」と言った。
うちは母とダディ呼び。純日本人だけど。

保育園をみっつも変わったけれど、どこでもすぐ誰とでも仲良くできた。先生にもよくしてもらった。
でもその頃から、他の子と一緒に何かすることが難しいと言われ出した。
長男は、他の子が一か月でできることを一年かかってできるようになった。
小学生になって、勉強がはじまって、その特徴は顕著に出始めた。それでも先生の助力のおかげで楽しくやり始めることはできたけど、やっぱり平仮名もカタカナも、足し算も引き算も、できるまで時間がかかった。
だけど、ちゃんとできるようになった。
二年生になって、先生が変わって、勉強も難しくなって、個人面談で病院で訓練をしたらどうかと言われた。
それでも、今のところ勉強自体は楽しいらしく、時間がかかるけれど、繰り返しでできるようになっているから、まだ病院まではいっていない。

言葉が少したどたどしく、たくさん言葉は知っているけれど、自分の気持ちをどう話していいのか分からない感じでぐるぐる話す。
他のひとの話をさえぎって話続けることを、今は直そうとしている。
直そうというか、自分でさえぎったことに気づくように練習している。

たぶんうちの子も、他の子に違わず変わっている。
そこが彼のいいところだと思う。
わたしは好きなところだと思う。
彼にも、自分を好きでいてほしい。
いつまでも、自分を一番に好きなひとでいてほしい。
同じくらい誰かを好きになる子であってほしい。
自分に自信を失わず、価値を信じ、しんどいことを投げ出さず、必ず好きなことは続けてほしい。
生まれて、こんなに大きくなって、すごいぞ、長男。
おめでとう。そして、ありがとう。

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