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贅沢を知ってしまった私は、もっともっと贅沢を知りたい

昔は、
ココアは高級品、贅沢品だから、特別に母が淹れてあげようと言うときしか飲めなかった。
ジュースはお金がかかるから、
遠出の時にだけ許される、
車酔いを我慢する報酬のような存在だった。
おやつは、そもそも家族がきちんと機能している家でしか出されないものだと思っていた。
(兄はポテチを野菜と言い張って箱買いしていたけれど笑)
(そして主に田舎にいた時は祖母にご近所さんたちが持ってきてくれる果物や、御詠歌や二十日念仏で持ち寄られるお菓子(おばあちゃんの好きそうなもの)が私のおやつだった。あの時は、猫と犬と祖母のおかげで、家は安心な場所として機能していた。家がそもそも田舎仕様に大きくて、兄姉と接触がいい感じになかったし、父とは離れて暮らせていたのが良かったんだろうな。)
(めっちゃ、話がそれちゃった、、、)

文房具も、洋服も、物持ちの言い姉のお古や、
知り合いのお古を使っていて、
それに対しては今でもまったく不満はない。
使えるものを譲ってくれてありがとう、だった。
ただ、姉とは11歳はなれているから、
まわりからはちょっと浮いてしまっていたのは確か。
でも、姉のセンスは信用していたし、
私の性格的にもちぐはぐに似合っていたような気がしている笑
だからそれも本当にありがたかった。

本を買うことだけが、
私にとって贅沢ではなかった。
必要なこと。
これがなかったら生きいかれない。
だから小学二年生から貯まりに貯まっていたお小遣いは、
すぐさま本棚を埋めていく漫画に変わっていった。
今思うと、
あんな勢いで漫画を買ってくる小4に、母は何も思わなかったのか、、、
おそらく気付いてなかったのだろうけれど。

服を買うこと、
好きな服を買うこと、
好きな歌手のライブにいくこと、
行きたいところに行きたいということ、
カラオケで歌を歌い続ける時間、
映画にいくこと、
会いたい人に会いたいと言うこと、
楽しいと思うことを続けていくこと。
そんな贅沢を自分にどんどんと許してきた。
大人になって知った幸せは、贅沢は、
もう知らなかった頃には戻りたくないくらい、
色鮮やかで、繊細に美しくて、やわらかで、つよくて、
生きていることが幸せだと思えるものだ。
そんなふうに感じれば感じるほど、
苦しい思いをしなくてはいけない、と思っていた。
じゃないと天秤が釣り合わない。
すぐに片側が落ちる。
何も乗っていない状態に戻ってしまう。
それは嫌で、
しんどいとかくるしいとか、痛いとか、
気持ち悪いとか、重たいとか、
我慢すればするほど、
贅沢をする免罪符になると思っていた。

でもどうやらそうではないのかもしれない、と去年から思いはじめてきた。
好きなことをどんどん広げて、
続けて、
そうやって出会うひとたちを好きになって、
そこからまた違う場所を知って、
好きなものが増えて。
私が自分を痛めつけても、
ちっともいいことにはならないみたいだ、とか。
思っていたよりも気楽に私は必要とされていたし、
このままの私でも幸せになったらいいじゃん、と言ってくれるひとはいる。

私がひとりで沈んでいくだけでは、
私の望む贅沢は手に入らないのだと、ちょっと気付いてきた。

私は、もっと書きたいから、
きちんと私の体調を立て直そう。
そう思いはじめてきた。
それは去年の一年(ごたごた中はともかくとして、後半の穏やかな毎日の間)物凄く久しぶりに体調が良い日々を過ごしたから。
頭が痛くない。
身体がだるくない。
胸が苦しかったり痛かったりしない。
息がしにくかったり、
立ち眩んだり、
身体が熱を持って上手くうごかないなんてこともない。
いたってふつうの状態が、まさに奇跡のように感じた。
これなら、なんでもできるんじゃない!!
そう思った。
事実、小説もnoteも詩も、たくさん書いた。
新しい場所に出かけようと思えたのも、その体調の回復がなかったら思わなかっただろうし。

靴屋の仕事を始めたときも、
あまり仕事を詰め込み過ぎないように、
この体調を維持しようと思っていた。
思っていたのに、、、
さて、今
再び私の体調は下降をはじめていて、
というか、
あれ?これ古着屋にいた頃に戻ってきてない?
もう?
というくらいの急降下をしてしまい、ぎょっとした。
私はまともに仕事ができないんじゃなか。
そう思って、申し訳なさで潰れたくなった。
でも、ここで今は潰れない。
潰れなくなった。
それは、私のこのぐずぐずな性格を知っても気に掛けてくれる徳が高すぎるような人たちがいて、
その人たちのために何かをするならまずは自分の状況を良くしないといけない、と思うようになったからだ。
すごい成長。
「え?」と思われるかもしれないけれど、
誰かが自分のことを心配してくれる前提で動くなんて、
今までは「うぬぼれるなよ」と思って、できなかった。
それこそが自分勝手だったと思うのだけど。

ここ二か月くらい続く胸の痛みと圧迫感。
仕事中に涙がこみ上げたり、
立ち眩みがしたり、
ついには熱もでてきた。
これは良くない、と思った。
辞めてしまう。
せっかくはじめたのに。
続けたいくらい好きな仕事ではないけれど、
お金がある安心も大きい。
だから辞めるにしても、もっとゆるやかに、フェイドアウトするみたいに違う場所に移っていきたい。
だから私は人がいないと分かっていて「仕事の時間を減らしてほしい」と言った。言えた。はじめて!
休みたいと思っても、動けなかった私にしては、
とても大きな一歩だった。
仕事が物凄くできるわけではない私は、人よりもたくさん入るしかないと思っていた。それもできなくなったら、価値ないじゃん、と思っていた。
それならそれでいい、と時間を減らすことをお願いできたこと。
それは“そんなこと”なんだけど、
私が私のために動けたということで、じわじわと嬉しい。

昨日、
心療内科の予約(初診は要予約で、6月までいっぱいとのことだったけれど)をした。
今日、循環器科に受診してみる予定。
ちょっと肌寒いのが、歩いていく私的にはありがたい。
お金を使うことに申し訳なさはあるし、
9割方精神的なもので痛いのだから行ってもしょうがないと分かっているのだけど、きちんとそれを調べてもらおうという気になった。

しんどいまま、自分の時間が休むための時間で終わってしまうのが嫌だ。
もっとやりたいことがある。
はじめたいこともある。
がんばりたいことも。

病院に出発するまでの時間にちょっと書こう、と思っていたら、
こんなことをつらつら長々書いてしまいました。
さあ、病院いくぞ。

今体調しんどいみなさま、どうぞ休んでください。
自分の時間を大切にしてください。
その贅沢のために、生きていきましょう。
なんて、思います。
私も。
私は自分のために贅沢をすることを知ってしまいました。
随分我儘になりました。
そんな自分に満足しています。

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