書きたいのに書けない時は
書けない、、、となった時って、みなさんはどうされていますか?
私もちょくちょくなります。
あー、、、書きたいけど、何書いてもなんか違う。
そんな感じになります。
書かないといけないものはけっこうあるのに、
書き始めるまでにうだうだしてみたり、
いざ書き始めても全く気に入らなかったり。
昔は、自分が書けるものが少なくて、
小説を書けなくなったら詩を書き、それも駄目だともう終わりでした。
落ち込んで、もう自分には何も書けないんだろうか、なんて思ったりしました。なつかしい。
それが今では、
小説が書けないなら詩、
詩が書けないならnote、
noteが書けないなら文芸会の原稿、
または東播磨クリエータージャーナルの原稿、
それも書けないと川柳、
最終、とりあえず何か意味がありそう(なくてもいい。あくまで“ありそう”が大切)な短い文章を書きなぐっていく。
__するとあら不思議と、
新しいちっちゃな小説みたいなものになっていたり。
そんな風にとりあえず書くことをぐるぐるできるようになりました。
魔女の宅急便のなかでも、
そんな会話がありますよね。
絵描きのウルスラは、
魔法が使えなくなったキキに言います。
「とにかく描く。それでもダメなら全部やめてみる。
そしたらまた描きたくなる」
彼女の、自身の描いて生きていくことへの信頼がその言葉を言わせているんだろうな、と私はいつも羨ましかったです。
書くのをやめたら、
私はまた書きたいと思うだろうか。
そう思った時に、全部で頷ける気がしなかった頃でした。
だって、書くって苦しいし、しんどいし、激しい自己嫌悪と羞恥の折り重ねで、こんなものが何になるって思った瞬間、自分のこと天才って信じたりという、恐ろしい上下運動どころか回転やアクロバティックなうねりを連続させるようなことだったから。
とくに書けないときは、
泥沼のなかを重りを両足に着けて炎天下や大雨の中を歩くような気持ちでしたので。
もう二度と書けないのじゃないかと怖くて仕方なかったことを覚えています。
そう、そんなことを思っても、書きたくなってほしかったんです。
書かなくても生きていけたらどうしよう。
それがとても怖かったな、と。
ほんとうに、なつかしい。
今は、そんなこと全く思わなくなりました。
書くことは、
そういうことを全部ひっくりめても幸せなことです。
そして、書いていればそのうちふっと書きはじめられることを覚えました。
書くことを諦めなければ、必ず書ける。
その信頼を私は獲得したのでした。
そして、私は絶対書かずには生きていかないだろうという信頼も。
今まさに、
ちょっと書きたいのに書けない状態になっている私は、
そんなわけで書いてみては気に入らず、
じゃあ、と他を書き始めて次から次へと繋がっていっています。
どうしても書くことなくなったら映画を観て感想かいてもいいし、
本読んで感想書いてもいいし笑
私は、書けないときは書けない私の書くことを面白がっていくことにした、というnoteでした。
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