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かわりゆく私の読書

最近、本を読むことがとても楽しい。
今までも最強に楽しいことだったけれど、
ここ一か月の読書は、
もっと静かに、
もう少し深く根を伸ばしていけるようになったように思います。

それなのに、目の前の世界と、
本のなかの世界との色彩の強弱が調和されてきたような。

今まではどうしても本の中の世界のほうが鮮やかで、
そこから目を上げたときには眩暈や光で眩むような気がして数度の瞬きが必須になっていました。

それは、本のなかの世界の色が薄くなった、淡くなったわけではなく、
世界の柵が低くなった?
気がします。
世界の境界のほうが薄くなったのかもしれません。

根を張っていく強さは増して、
その土を(自分を)掘り返している感覚を感じることができるようになりました。
その根は、しっかりと土を抱き、
そして土の中と外を繋げてくれています。
木は大きく育つし、
草は柔らかに繁るし、
内側はなんとも天国のような穏やかな景色を織り上げています。

前までは一冊読んでいると他の本を読むことが難しかったのですが、
今はけっこう楽にできるようになりました。

エッセイ、詩集、児童文学、純文と、
手が伸びたもの(または図書館への返却期限が迫るもの!)を読んでいます。

本を読まなくては。
こんなにもあるのだから、次から次へと読んで行かなくては。
そんなことを思っていたこともあります。
人生は短いから。
目は十個くらいあったらいいのに、とか、
自分が数十人いたらいっきに本が読めるのに、なんて考えることもありました。
でも今はどこまでも穏やかに、楽しく読書ができているなと思います。

生きている間に読める冊数は限られている。
それはもうどうしようもないことなのだから、
それならばその時間を焦りの気持ちで走りたくはないなと。
どうせならゆったりとした気持ちで、
味わって本を食べ終わりたい。

一口にこんなにも味は広がるのか、
残るのかと驚きながら、
そこからどこかへ何かが伸びていくのを見守りながら、
本を読みたい。
読んでいきたい。
読み続けたい。
そう思います。

ボートを漕ぐように、
散歩をしながら四季を摘み取るように、
味わったことのないおいしい一皿を目の前に、
そっと手を合わせます。


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