はい、
溜めに溜めまくった詩の解説をまとめてしてしまおう、第二段です。
もう、
これはこのまま、その通り。
書く以外の価値はいらない。と思うくらい、書いて生き、書き終えて死にたい。
でもさすがになかなか読んであげられない本たちには、
申し訳なさを持っていたりもします。
それでもそばにいてくれる本に感謝する詩でもあります。
私の中の、
終わりと始まりはひとセットで、
セットどころか螺旋のように巻きあがりながら良きように登ってうつくしいものにからめとられていくというような。
それを言葉にするとこうなる、という詩です。
捕食関係にあるんじゃないかな、本当は猫と人って。
なんて思って書き始めたけれど、
恋をしているひと、想われているひとでも言えるかしら、
他にはどんな関係で言えるかしら、
と色々シチュエーションを考えてしまった詩。
私自身も考えながら楽しく書いたことを覚えています。
春になりたての頃の詩。
(一日一詩だから季節がずれていくのです)
華やかさが歌いだす直前のそわそわしてしまう感じ、
春だ!と言えないけれど、
その前兆をそこかしこに見てしまう。
そういう気持ちの入った詩です。
花が湧く、というのは一番初めに放り込まれた言葉。
私は髪の毛を伸ばしているのですが、
無意識に背中の方へ払ったり、
肩のあたりから片側に揃えたり、
髪の位置の意味を考えてしまうことがあります。
ふぁっと散らすように風がかき上げる髪も(邪魔だけど)好きです。
髪で何か書けないかなとペンが遊んだ詩なのです。
空白のお味というのがあるのなら、
是非食して見たい。
でもお喋りの私の舌にはなかなか乗らないのではないかと、いう。
分からない、味わえないとなると、
夢想してしまうのが人間の業なのでしょうね。
たとえ、大火に舐めら一瞬でその瑞々しさを失ったとしても、
花は、花として咲こうとしていくだろうと思ったことがきっかけで書きました。
「春」「花」で詩集をつくっていた頃だったので、
それには入れなかったけれど、
そう言った詩が多くなった時期でした。
この詩は、今までの詩と大分日にちのずれる詩でした。
あまり出来事を詩にはしないのですが、
この黒い子猫のあたたかさを残してあげたいような、
かわいかったことを覚えていてあげたいというエゴのような、
そんな気持ちで書き、
書く自分に迷い、
でもやっぱり書いて、
そしてその日にページをすっ飛ばして載せた詩でした。
ゆれる、ということの魅力。
それをいっぱい書いて見よう。
と思った詩です。
でも楽しいことは、
魅力的なことは、
永遠に終わらなさそうなものこそが、
あっけなく終わる潔さを持っている。
ラストの一行が好きな詩です。
理想の組み立てた果ての後悔の純粋さ、
綻びのやわらかさと、圧倒的な事実。
それに打ちのめされて、
根本を知る。
そういう詩です。