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「見ること」の解説のような


途中で飽きてしまったり、
言葉を投げたのにそのあとを知らないm
ということは多いと思います。

それでも私は自分が関わったことの顛末を見られる限りは見る努力をしていこうと思っています。

見ることって、立派に参加していることだと思うのです。
ただ見ていることが、
立証になり、具体的な事実になり、他者がいることの意味で繋がることもあるのだと。

その代わり、関わったからには責任も。

見てただけ、は許されないのだと。

じっと見なさい
じっくりと細やかに
動きの全てを詳らかに
見るという決意を下したのなら
流れの全てを見つけなさい

見たくない
見られない
その心にも等しく場所を与えなさい
それはとても大切で
それは私に正しいものなのです

だからこそ
見ると心で決めたのならば
ひたすらに見つめなさい
その行為が貫くものの最後までを
見届けるのです

「見ること」

重たいだけではなく、
ただ読みかけの本や、
好きな歌を歌うひとたち、
知り合った人たちの夢や、
見ていられるものは、ずっと見ていたいと思います。

そしてそれは見られていることでもあると自覚して、
進んで行く。
それは大きな力であり、
理性もパフォーマー力もあげてくれることなんじゃないかと思います。

「見る」ことの決意を書いた詩でした。

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