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日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#77(2024/5/13)

・おいらの頭の中とこころの整理メモ(仰げば尊しテレビの恩?編)

今日ねぇ、書こうか書くまいか迷ったんだよ。でも、自分のきもちが整理できないのと、当事者が腹立つけど許したい、微妙なところにいるところを描き切れるかが自信が今回ばかりはないが、ちょっと書いてみようと思う。

昨日、部屋の片づけを思い立ち、20年以上共にした万年床となっているお布団をよけるところから始まった。まだきれいなお布団と交換し、次は、妹の部屋にある仮置きのアレの調整が効くのかどうか、試してみないとわからないからやってみようと思っていたのだ。どうせ捨てることになったとしても、そのほうが後悔が少ないだろうと。

アレ、とは50型のテレビである。これまたいわくつきのテレビで・・・。
テレビの虫で、家で映画を観ることが大好きだった父が病気で入院することになったとき「50型のテレビが欲しいなぁ」と言ったので、自分のお小遣いを貯めて50型のテレビを購入したのだ。が、購入したころには父はもう命の期限を自分の中で悟っていたようで、僕らとの連絡も遮断していた。

「父さん、でかいテレビ買ったから、帰ってきて一緒に映画でも見ようや。」それを伝えたら、電話は突然切れそれ以来亡くなるまで電話は通じなくなった。ただわかっているのは、気まぐれで電話を切ったのではなく、かなり意図的に強い意志で電話をしないようにしたということだけだった。僕と母を恨めしく思ったのか、それとも単純に体力的に電話をすることが厳しかったからなのか、もはやその事情を知るすべはないけれど。

そして父はこの世を去った。家には主になるであろう人物を失った大きなテレビが残された。自分の部屋に持って帰ろうとしたとき、母がおもむろにこういった。「あんた、父さん父さんっていうけれど、わたしのことはないがしろにするんだね」「?」「父さんが50型のテレビを欲しいといったのはわたしが欲しいといったからだ」

そうだったのか。父は嫌な思いをしたかもしれないな、とこころをよぎるのと同時に、母からすれば、父のことばかりを考えて動いているように見えたのだろうが、父は病気だったし、少しでも励まそうという考えがあって、僕の支弁したお金で買ったものだったから、動揺もした。「あんたはあんたが買っていると思っているかもしれないけど、それはもともとは私たちのお金も含むんだよ」。私も少額ながら勤務できてきている中であっても、わがやの収支からして決して小さくないお小遣いをもらっていた時期があり、確かにそのお金も含んでいたのは事実だったからぐうの音も出なかった。

ここまできつい表現で迫る母は初めてで、かつての母にかんするこの回顧を今の母に話しても忘れていて信じてもらえないだろうが、これは私の経験に基づく話である。それを病気だの、妄想だのと言われ、事実と立証せよと言われたら、これは私と母ふたりの間の話であり、第三者がいたわけではないから、それは不可能な話ではある。しかしこのいらだちをどうしたものかと考えていた。

私の父に対する想いは母のジェラシーらしい感情にどこか火をつけたのかもしれないと感じたのと同時に、親とあっても人の子だしな、と思い直し、厳しいことばをむける母のその姿を前に、重ね重ね苦労を掛けた母への思いも形にしておくべきだと思ったので、このテレビを母に譲ることにしたのに。

母も父と負けないくらいテレビの好きな人で、母自身長年我が家の経済を支えてきた人なので、そろそろゆっくりテレビを見る時間がほしかったのだろう。起床時から夜の寝る時間までびっちりテレビをつける生活が始まった。キャッシュ(テレビやYoutubeを見た後のデータのごみのこと)を処理する時間も与えられず、それほどに母のテレビ熱は過熱していった。「なんで寝てるときまでテレビをつけているの?」と声をかけると「寂しいから。」そう母は力なく返した。

そんな過酷な環境にテレビのほうが音を上げ、ついに電源が立ち上がらなくなった。大事に使えば10年ほど持つテレビも24時間稼働×4年と少しで寿命になった。当初は今後は僕が使うつもりで修理の見積もりも取り、母はテレビを治すつもりでいたが、50型としてが廉価で購入したそのテレビにしては、ほとんどそのテレビを買いなおすのと等しいほど非常に高額であったこと、今まで頼りにしていた収入の大きな部分がなくなったことも作用したろう、今後テレビを治すつもりはないと言い出した。動かなくなったテレビは僕の手元に帰ってきたのとともに、その大きさから自分で動かすこともできず、処理代金が重くのしかかることとなった。

「私は捨てられないから捨てないが、お前が捨てるというのなら捨てていい。」「お金を出せないわけじゃない、お前が捨てるというのなら捨ててもいい」といいつつ、母の無言の圧力みたいなものを感じる。久しぶりに怒りが込み上げてきた。確かにあのときテレビを譲ったのは自分だったけれど、こんなやり口で処分させられるなんて。お金がなくて、もしくは出したくない気持ちもわかるけど、どんなに同じ環境下でも、母にはもうちょっと言い方、やり方があったんじゃないだろうか、と。感謝しろなんて思ったことはないけど、今までテレビをもらって使ってきた感謝も微塵もなくて愕然とした。
「こんな大きいテレビで目を悪くしてしまった。テレビを小さくしたら目がよくなって、医者に褒められた。あのテレビに目を悪くさせられた」わざわざ僕の前でそんなこと言わなくてもいいのに。

昨日は自室清掃はほとんど手につかず、テレビの不調の原因を探って、いかに延命するかを考える時間になってしまった。その中で分かったことは、メーカーに見積もりを請求したときの担当のいう通り、すべての基板交換が必要ではないかということであった。

電源を入れても通常通り動かないこと、HDMIが接続しても反応せず全滅していること、リモコンで何もしていないのに、音量がサイレントになっていく現象があること。

可能性はそんなに高くはないが、最近は太陽フレアの影響でマグネティックストームが起こっている。それで追加の誤作動が起こっていることも否定できない。ネットで調べると同様の現象がすでに報告されていることや、ほかのテレビではそれらの現象が起こっていないことが、僕の無事でいてくれという思いとは裏腹にむしろテレビ本体の故障を裏付けていく証拠になっていった。

ネットで調べているとひとつ発見があった。アマゾンのFireTVStickのリモコンが、誤作動を招いているのではという前例があったからだ。リモコンの電池を抜いて、電源ONを試してみると、まだまだ不安定ながらテレビが動いた。電源の入らなかったテレビとは思えないほど動いた。外付けHDDも認識し、録画もできるし、ネットワークにつなげば、ケーブルテレビも見ることができる。まったく動かなかったところからの大きな収穫だ。

音量が自然に減ってしまう現象やHDMIの故障?に関しては今日一日放電して様子をみないことには何も言えないが、テレビとしては、「ギリギリ使えなくはない」ところまで持ってこれたので、あまり過度な期待は禁物であるものの、やれることは今はそれだけしかない歯がゆさも感じた。

ここまで母への憤りをつらつら書いてきたけれど、母には母の憤り、怒り、
不安、哀しみがあった中でのひとことだったのであって、母にはこのことを含めても感謝してもしきれないほどの恩を僕は受けている。なのにおとなになりきれない僕が、それでも咀嚼して咀嚼して、なんとか受け入れようとしているさなかということを付け加えておく。みっともない息子でごめんよ。

まぁここまでが昨日の夜から今日までの顛末。話すべきか、話さざるべきか
のきわどいところであったけれど、ここの読者だけに打ち明ける。

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