被害妄想


私は4人きょうだいで、きょうだいとあえて平仮名にしたのは、上から兄、私、妹、妹という構成だからだ。
私は次男の立ち位置だが、上に兄がいて、下に妹2人がいることによる苦悩をお伝えしたい。

前置きすると、私は何不自由なく育てていただいたし、親には感謝しかない。
しかし、あることに気がついた時、井の中の蛙なのではないかと不安が頭から離れなくなった。

まず、兄は両親にとって一番最初の子どもである。
その誕生はさぞ嬉しかったと思う。
子どもが生まれるのは、奇跡的なことだと思っているので、両親の喜びようは想像に容易い。

次に、私。
2番目ということ、兄と同じ性別ということで、兄と同列にするのは難しいと思う。
人の慣れというのは恐ろしく、最初は嬉しいと思えたことも、連続すると1回目の感動は超えてこないと思う。
もちろん推測の域であるし、人の生命であるので、何ものにも変え難いとは思う。
ただ当事者なので、仮説を立てるぐらいいいだろう。

上の妹。
両親にとって、初めての女の子。
また違う喜びがあったことだろう。
幼くて私もあまり覚えていないが、家族のイベントにひな祭りが追加されるなど変化をもたらしてくれた。

下の妹。
私の理論でいくと、「下の妹も2番目かつ、同じ性別の連続」となる。
しかし、全く違う。
兄が誕生して、12年の月日が流れ下の妹は誕生している。
両親の年齢を鑑みても、おそらく最後だろうと思っていたに違いない。
そう、彼女は我々一家の「最後の子ども」として、誕生しているのだ。
終わりよければ全てよし、立つ鳥跡を濁さず、という言葉がある通り、日本人は終わりに美徳を見出している民族だ。

以上のことから、間に挟まれていて、私のような立ち位置の子どもは家族内において肩書きがない。
長男、長女、末っ子、次男
後塵を拝して、何者でもない感が否めない。
アイデンティティの拠り所を探さなければならない。

社会はこの立ち位置の子どもを減税するなどして、優遇するべきだと思う。

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