aki

株とFXで負け続けた男のお話。

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株とFXで負け続けた男のお話。

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今日の利益+500円だったとします。かけた時間に対して利益が少なすぎると思う人が大半だと思います。バイトしてるほうが儲かるとか。。。
その500円を2年、3年繰り返すと相場の本質が見えるだけではなく、確実に物凄い勢いで資産は増えます。短期で増やしても溶けます。

aki
4年前

FX、株、その他の金融商品で資産を築きたければ、まずは資金管理を学ばなければいけない。テクニカル、ファンダメンタルズは後。メンタルはその資金管理を徹底することだけにフォーカスする。多くの人はここにたどり着くまでに遠回りする。ギャンブルは投資ではない。

aki
4年前

タバコに火をつけてもらった。看護婦に。院内でそのような光景は見たことがないがすべて失ってしまった男への慈悲だろうか。うまく吸えない。これが呼吸筋の麻痺か。咳もだせない。呼吸は苦しい。鼻をつままれマスクをしているようだった。看護婦に聞いた。株って儲かるんですかって。

aki
4年前

急にタバコが吸いたくなったもんだから外に出たかった。個室はカーテンで外が見えない。主治医に言った。外でタバコが吸いたいと。反対はされなかった。呼吸筋も麻痺しているため吸えないかもしれないと言われた。ベッド式の車いすに乗せられ2か月ぶりに外へ。眩しかった。今でも忘れない景色だった。

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4年前

そして株についてとにかくネットで探した。簡単に数百万。年間一億。興奮していた。億はいらない。十万あれば障がい者用の市営住宅に住めるかもしれない。成功すれば親の世話にならずにすむ。これしかないんだ。決心した瞬間、タバコが吸いたくなった。入院して約2ヶ月。存在を忘れるほどどん底だった

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4年前

焦っていた。この体では仕事は無理だと思っていた。動けない。指すらまともに動かない。だが人差し指はパソコンの電源をつける力は残っていた。ネットで年間数億以上稼ぐ人の記事に目がついた。初めて株式市場のことを調べた。指だけは動くクリック出来れば俺も稼げるかもしれないと思った。

aki
4年前

頚髄損傷。これが障害名だった。首から下は感覚がなく異常感覚の激痛だけ。
腕はうごくが指はまともに動かない。握力0になった。箸もうまく使えない。腹筋、背筋も機能しない。当然足の指すら動かない障がい者になった。仕事もクビになった。貯蓄はない。バイトすら雇ってくれないだろう。

aki
4年前

結局、両親が払っていたようだ。27歳にもなって親にローンを払わせるなんてひどい息子だ。死んでしまったほうが皆幸せだったかもしれない。母親は厳しい人だったが病室に来たときはまるで別人になっていた。まるで幼少期のころのように優しく接してくれる。辛すぎる。体も痛い。

aki
4年前

当時、ランドクルーザーシグナスに乗っていた。中古だが低所得の俺にはもったいないくらいの車だった。450万のフルローンだった。だが足が動かなければ車は乗れない。借金だけ残り仕事も失った。貯蓄はほとんどない。リッター4キロの車の維持で給料はほとんど残ってなかった。

aki
4年前

しばらく何も考えれなかった。歩けない?ベッド上の生活?理解に苦しんでいた。会社の社長がお見舞いに来た。一生歩けないのは家族から聞いていたようだ。これからはゆっくり体のことだけ考えろって。事実上のクビだ。そして車の雑誌を置いて行った。俺は車が好きだった。でも、もう乗れないじゃないか

aki
4年前

集中治療室から出て2週間はたっただろうか。両親と主治医が病室に入ってきた。思い空気が流れていた。あなたは一生歩けません、おそらくベッド上の生活が続くでしょう。。。どん底に落とされた気分だった。人生終わったと思った瞬間だった。・・・続く

aki
4年前

何故か起き上がれない。しかも体を横に向けることもできない。動くのは腕だけ。ベッドの布団をのけようとしたとき指に力が入らない。あれ?布団がつかめない。どうなっているんだ?俺の体は・・・毎日天井を見上げる日々。食事は看護婦に食べさせてもらっていた。しかも27歳でおむつだ。情けない。

aki
4年前

ベッドで寝ていると足が空中に浮いているような感覚がする。痛みも耐え難い。
痛くて食事も食べれないほどだった。主治医に聞いた。この痛みはいつ治りますか?無言で病室を去った。これは神様がくれた休日ではないかもしれない。空中に浮いた足を確認したくて起き上がろうとしたが・・・続く

aki
4年前

一週間くらいだろうか。個室の病棟に変わった。仕事は休めるが全身に激痛が走っていて夜も眠れない。皮膚も痛いが何故か内蔵も痛い。体の臓器の部位がわかる感覚でまるで内蔵をのこぎりで切られているようだった。夜も眠れない。痛み止めの薬、座薬、精神安定剤、すべて効かない。

aki
4年前

2011年7月、仕事中の事故により頸椎が折れた。(首の骨)人生初めての骨折だった。気がつけばそこは病院の集中治療室。夏で肉体労働はきつかった。毎朝5時起き、帰宅は午後21時くらい。だからこれは神様がくれた休日だと思った。人生そうは甘くなかった。

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4年前

今日の利益+500円だったとします。かけた時間に対して利益が少なすぎると思う人が大半だと思います。バイトしてるほうが儲かるとか。。。
その500円を2年、3年繰り返すと相場の本質が見えるだけではなく、確実に物凄い勢いで資産は増えます。短期で増やしても溶けます。

FX、株、その他の金融商品で資産を築きたければ、まずは資金管理を学ばなければいけない。テクニカル、ファンダメンタルズは後。メンタルはその資金管理を徹底することだけにフォーカスする。多くの人はここにたどり着くまでに遠回りする。ギャンブルは投資ではない。

タバコに火をつけてもらった。看護婦に。院内でそのような光景は見たことがないがすべて失ってしまった男への慈悲だろうか。うまく吸えない。これが呼吸筋の麻痺か。咳もだせない。呼吸は苦しい。鼻をつままれマスクをしているようだった。看護婦に聞いた。株って儲かるんですかって。

急にタバコが吸いたくなったもんだから外に出たかった。個室はカーテンで外が見えない。主治医に言った。外でタバコが吸いたいと。反対はされなかった。呼吸筋も麻痺しているため吸えないかもしれないと言われた。ベッド式の車いすに乗せられ2か月ぶりに外へ。眩しかった。今でも忘れない景色だった。

そして株についてとにかくネットで探した。簡単に数百万。年間一億。興奮していた。億はいらない。十万あれば障がい者用の市営住宅に住めるかもしれない。成功すれば親の世話にならずにすむ。これしかないんだ。決心した瞬間、タバコが吸いたくなった。入院して約2ヶ月。存在を忘れるほどどん底だった

焦っていた。この体では仕事は無理だと思っていた。動けない。指すらまともに動かない。だが人差し指はパソコンの電源をつける力は残っていた。ネットで年間数億以上稼ぐ人の記事に目がついた。初めて株式市場のことを調べた。指だけは動くクリック出来れば俺も稼げるかもしれないと思った。

頚髄損傷。これが障害名だった。首から下は感覚がなく異常感覚の激痛だけ。
腕はうごくが指はまともに動かない。握力0になった。箸もうまく使えない。腹筋、背筋も機能しない。当然足の指すら動かない障がい者になった。仕事もクビになった。貯蓄はない。バイトすら雇ってくれないだろう。

結局、両親が払っていたようだ。27歳にもなって親にローンを払わせるなんてひどい息子だ。死んでしまったほうが皆幸せだったかもしれない。母親は厳しい人だったが病室に来たときはまるで別人になっていた。まるで幼少期のころのように優しく接してくれる。辛すぎる。体も痛い。

当時、ランドクルーザーシグナスに乗っていた。中古だが低所得の俺にはもったいないくらいの車だった。450万のフルローンだった。だが足が動かなければ車は乗れない。借金だけ残り仕事も失った。貯蓄はほとんどない。リッター4キロの車の維持で給料はほとんど残ってなかった。

しばらく何も考えれなかった。歩けない?ベッド上の生活?理解に苦しんでいた。会社の社長がお見舞いに来た。一生歩けないのは家族から聞いていたようだ。これからはゆっくり体のことだけ考えろって。事実上のクビだ。そして車の雑誌を置いて行った。俺は車が好きだった。でも、もう乗れないじゃないか

集中治療室から出て2週間はたっただろうか。両親と主治医が病室に入ってきた。思い空気が流れていた。あなたは一生歩けません、おそらくベッド上の生活が続くでしょう。。。どん底に落とされた気分だった。人生終わったと思った瞬間だった。・・・続く

何故か起き上がれない。しかも体を横に向けることもできない。動くのは腕だけ。ベッドの布団をのけようとしたとき指に力が入らない。あれ?布団がつかめない。どうなっているんだ?俺の体は・・・毎日天井を見上げる日々。食事は看護婦に食べさせてもらっていた。しかも27歳でおむつだ。情けない。

ベッドで寝ていると足が空中に浮いているような感覚がする。痛みも耐え難い。
痛くて食事も食べれないほどだった。主治医に聞いた。この痛みはいつ治りますか?無言で病室を去った。これは神様がくれた休日ではないかもしれない。空中に浮いた足を確認したくて起き上がろうとしたが・・・続く

一週間くらいだろうか。個室の病棟に変わった。仕事は休めるが全身に激痛が走っていて夜も眠れない。皮膚も痛いが何故か内蔵も痛い。体の臓器の部位がわかる感覚でまるで内蔵をのこぎりで切られているようだった。夜も眠れない。痛み止めの薬、座薬、精神安定剤、すべて効かない。

2011年7月、仕事中の事故により頸椎が折れた。(首の骨)人生初めての骨折だった。気がつけばそこは病院の集中治療室。夏で肉体労働はきつかった。毎朝5時起き、帰宅は午後21時くらい。だからこれは神様がくれた休日だと思った。人生そうは甘くなかった。