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まずは自己紹介からはじめてみる #1

はじめまして。木村彰人です。
これからの活動に先立って、すべての出発地点であり原体験を記した自己紹介noteを書きます。
ひとまずは読み物として面白いコンテンツになっているのではないかと思うので、是非最後までお付き合いくださいませ。長いです(一応エクスキューズ)。それではスタートです!

あなたは何をする人?(要はミッション)

私は「起業家を増やして、日本を再び元気にしたい」人です。現在35歳ですが、残りのライフはこのテーマにオールインします。100歳ぐらいまで生きるとして、いえもうちょっと欲張って、健康的に過ごすのを頑張りつつ医療に期待して110歳までとしたら、大体2100年までのコミットということになりますね。ワクワクします、頑張ります。

なぜか?なぜ日本に起業家を増やしたいか?
それは、私自身がスタートアップでの経営経験を経て、人生が大きく変わり、救われた経験を持つからです。これを原体験として、自分なりに多くの人に価値を届け、自分の考えるより良い社会創りに貢献します。
そして、日本でそれを実現することで、日本人の強みを起業という手段を通じて活かして、まずビジネスから日本を盛り上げたいなと考えています。

あなたの歴史は?(いわゆるキャリア)

これがメインコンテンツです。わりかし面白い人生を歩んでいると思うので、原体験の開示としての意義を全うできるように、可能な限りありのままを書きます。幼少期から現在まで一通り書くので、長いです。
と、書いていて、パートナーのご両親に結婚させていただきたい旨のご挨拶に行った時のエピソードを思い出しました。初対面で何時間(被害者の方々によると6時間)も自己紹介し続けるという奇行種ムーブをかましました。そのエピソードも後ほど触れます。

さて、前置きはこの辺にします。時は1989年に遡ります。

爆誕〜人格形成(小学校前半ぐらい)

1989年2月8日、パリで生まれます。パリ?そうです、フランス共和国パリ市です。戸籍にも載っていて、どこのマンガの設定だよ(笑)って感じですよね。

タイミングとしてはバブル崩壊前夜というところでしょうか。まだ世界の時価総額ランキングでも日本企業が大半を占め、日本が元気だったと言って良い時代に生まれました。元気だったと言って良いどころか、史上最高に元気でつよつよだった時期ですね。

STARTUP DBさんの記事から引用させていただきます。

日経平均株価の史上最高値(終値)は3万8,915円。1989年(平成元年)の年内最後の取引日「大納会」に記録されたものだ。

この年の世界時価総額ランキングを見ると、トップ50のうち32社を日本企業が占めていて、破竹の勢いを感じさせる。2024年は最高値を更新し、4万円台への突入も期待される一年となるが、企業ごとの時価総額を見ると世界までは大きな隔たりがある。2024年のトップ50にはトヨタ自動車の1社がランクインするのみだ。

https://journal.startup-db.com/articles/journal-startup-db-com-articles-marketcap-global-2024

父の転勤のタイミングでたまたま生まれたというだけで、3歳までしかおらず、フランス語は話せません。大学で第二外国語でフランス語を選択して日常会話ぐらいは喋れるようになろうと思いましたが、残念ながら身につきませんでした。頑張らなかったというより頑張れなかった時期に重なりました。後ほど触れます。

ところで、父がフランスなんぞに転勤になるのは、父の職業が環境省勤めの国家公務員だったためです。いわゆる官僚というやつですね。キャリアを地球環境の未来にフルコミした偉大なる尊敬すべき父です。私は父を世界で一番尊敬しています。

父の仕事は、私の人格形成に大きく影響しました。また、家庭環境にも大きく影響を受けています。家庭環境や両親が人格形成に影響を及ぼしているのは、そりゃそうだ誰だってそうだろうという話かと思います。自分の場合は、それが比較的顕著で自覚が強いという話です。

その中でも、特に影響を与えた2点を深掘りします。

  1. 仕事というものは未来に向けて地球規模でコミットするものであること🌏(一般論比較だとひどい誤解)

  2. 父を筆頭とした祖先の誰よりも社会で成果を残すことこそが自分の存在意義であり、親孝行であるということ(父から一度もそんなことを言われたことも要求されたこともない)

まず、1について。「仕事というものは未来に向けて地球規模でコミットするものであること」。まず言えるのは、そんなわけはありません。今は大人なので、一般常識との比較ができるぐらいの分別は身につけましたが、当時は子どもなので、家庭=世界です。なので、家の常識が私の仕事観のベースを作り上げました。社会通念からは大きく乖離していますが、今となってはこのような家庭に生まれたことを感謝しています。冒頭の私のミッションが生まれたコアのコアなのかもしれません。

私の思考回路は、いまだに上記の価値観に基づいています。つまり、未来からの逆算で地球や人類の規模感で考えるのがデフォルトという仕様です。これはもういい悪いではなくソフトウェアの仕様みたいなものです。なんでこんな考え方なんだろう?と悩んだこともありましたが、個性だと割り切ってからはとても生きやすくなりました。
比較というか、例として置き換えるなら、イーロン・マスクさんが分かりやすいです。彼は明らかに人類にコミットしてますよね。そうじゃないとXを買収したり、火星行きの準備をしたりしないと思います。私は、自然と将来の20XX年においてマスクさんはきっとこうしてるだろう、自分はこうしてるだろう、ではあれば状況は云々、のような考え方をします。今のところXを始めとした状況証拠から想像するにとどまっているので、いずれ直接お話しして何考えているのか聞きたいなと思います。
そのため、私のミッションのスコープは「起業家を増やして、日本を再び元気にしたい」という社会単位における日本という国家(コミュニティ)になるのです。なお、なんで日本?という論点については、まだ自分の中でも言語化しきるところにまで至っていないので、また別のnoteで書こうと思います。現段階でいえるのは、私にとっての大切な人たちがみんな日本にいるからかなぁ、レベルの解像度です。ミッションに関わる大事なことなので、一生懸命向き合いたいと思います。

続いて、2いきます。「父を筆頭とした祖先の誰よりも社会で成果を残すことこそが自分の存在意義であり、親孝行であるということ」。これは、尊敬がバーストしたんだと思います。情景として、父の老後に「彰人はめっちゃ社会貢献したなぁ、自分も頑張ったけど彰人を社会に送り出したことも自分の大きな社会貢献だ」と思って欲しいという私のエゴです。そう、これは私のエゴであり、心の底からの願いです。まだまだこれからなので、頑張ります。両親は元気で楽しく過ごしてくれていればそれでいいと言ってくれているので、それはそれで実現し続けます。
私は私の幸せのために、父に、両親に、私という社会的成果を幸せだと思う体験を届けたいのです。

このような価値観で幼少期を過ごしました。もちろん、当時からこのように言語化できていたわけではありませんが、振り返りとしては要点をおさえられてるように思います。
これらの価値観を象徴するエピソードを紹介します。
クリスマスだったか、誕生日だったか、子どもが両親に何かをねだる正当性があるイベントで、私は火の鳥文庫の偉人伝セットを買ってもらいました。
私はその偉人伝セットを、自分の人生のベンチマーク先のカタログとして吟味しました。そして選択したのは、チンギス・ハンでした。理由はシンプルで、「個人の影響が大きいと思える範囲で統一した領土の面積が最大だから」です。
この時点で、自分には規模に対する欲求があることを自覚します。「大きい方がいいなぁ、できれば史上最大がいいなぁ」というピュアな幼い願望です。現在でも、要件ではないものの、この欲求は自分の中に強く存在しているとは思います。何かを成す上で、インパクトの大きさに量的観点があるということだと自己分析しています。

前述の通り、父の仕事の都合上、転勤族なため、2年から3年に1回は引っ越して小学校が変わりました。比較的社交的なタイプだとは思うのですが、友だち関係が分断しまったため、友だちという概念を諦めたようです。これ以降、この体験が若干トラウマチックになって、自分に友だちがいない事実からつい最近まで目を背けていました。ですが、つい先日、自分には友だちがいなかったという事実を受け入れ、今の自分には1人だけ貴重な友だちがいるという整理になりました。このお話も、これからに大きく関わるので、また先々のエピソードで登場します。

インターナショナルスクールに投下され地獄が始まる

再び転校し、今度はスイスに行きます。父がUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に転勤になったため、ジュネーブに引っ越しました。この際に、両親は私を現地校ではなく、インターナショナルスクールに編入させてくれました。今では感謝していますが、当時の私にとっての地獄が始まります。黄色人種という異物に対する子ども無邪気な人種差別を乗り越える戦いがはじまりました。

さてさて、だいぶ長くなってきたので、第一弾はここまでにします。続きは地獄の始まりと、その地獄をどうやって乗り越えたのかというところから始めようかと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。第何弾までいけばこの自己紹介が終わるのか現時点では検討がついていませんが、現在地点に至るまでまず書くことをnoteでの発信では行った上で、各種コンテンツ作成に続けたいと思っています。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

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