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【稲村ゼミ】二限「音楽基礎#2」

はい、稲村ゼミの稲村です。前回の反省として、前置きから書きはじめると書きたかったことを書き切れない、というより書きはじめることすらできないことが分かったので、今回は単刀直入を心掛けます。

最近の私は音楽の技術的な側面に興味があります。私が音楽初心者にも関わらず他人前で演奏することができているのは「コード(和音)」というものの存在が非常に大きい。コード進行さえ分かれば、どんな初心者でもとりあえず演奏っぽいことをすることができる…!これはド素人の私にとって衝撃でした。というわけで今回は「コード」について思うことを書くところから考察を始めます。

六月。私はバンドのキーボードの担当として音楽活動を始めることになったのですが、バンド内にはすでにボーカルギターとギター、ベースの三名がいました。音楽の基本要素に「メロディ・コード・リズム」の三つが挙げられますが、メロディはボーカルが、コードはギターが、リズムはベースがその役割をすでに果たしていてバンドの音楽としてはもう成り立っている状態。通常のバンド編成の余地として残っていたのは唯一決定的要素として欠けていたドラムスで、私も一瞬だけカホンという打楽器を叩いたことがあったのですが、リズム感のなさが絶望的で「ここは自分の場所ではないのだな」ということが瞬時に分かりました(ちなみに話は逸れるのですが私が思うドラムスの難しさはリズムキープでした。ドラムスがバンド全体のリズムの基準になるため、他の楽器に引っ張られずにつねに一定のリズムを守り続ける必要があるのですが、それが大変難しい。周りの音に意識を向けると、自分の音に集中できずリズムが乱れる。かといって自分の音に集中しすぎると、周りの音が聞こえなくなって全体のリズムをまとめられない。周りのことを常に意識しながら自分の仕事を最後までやり通す。もちろん、それはどんなパートにも求められる技術ですが、リズムに関して責任が最も重いのはドラムスです。私はそこに適性がないことがすぐに分かりました)。

それで担当することになったのが今のキーボード(のち、シンセサーザー)なのですが、加入して二ヶ月くらいは訳も分からずただコードの一部を単音で鳴らしていただけでした。

cf.『ピアノを練習しています - 日記』

非常に拙いというか、初めて弾いているのだから当たり前ですが、それでも一応演奏には参加できていた。なぜならコードを弾いていたから、です!コードの中の音を弾く限り絶対に音を外すということがないからです!このことを初めて知ったときには感動しました。例えば「ちょっと味の薄い醤油ラーメンに塩を後から足したら味がさっきよりは良くなった」みたいな感じ(なのかな?)。でも塩気は丁度良くなったかもしれないけれど、全体の味のバランスはもちろん変わります。違う味が加わることで全体として味に複雑さが増して美味しくなるのかもしれないし、調和が乱れて不味くなるかもしれない。それはやってみなければ分からない。どうすれば美味しくなるのだろう。というような具合で、私のバンド活動はスタートしました。

それからバンドに新たなメンバーが加わって、私の担当は現在シンセサイザーに落ち着いています。担当が若干変わったのは、機材が変わった(「練習用のカシオコード(49鍵・ミニ鍵盤)」→「YAMAHA MM6(66鍵・標準鍵盤)」)ということもありますが、音楽的にも若干変化がありました。

まず新たなメンバーとしてドラムス・ピアノ・ギター・朗読・コーラスが加わりました。これによって先に述べた音楽の三要素「メロディ・コード・リズム」は完全に満たされて、音の厚みも増し、通常のバンドではありえない編成ですが飛び道具的な要素までプラスされて、もう言うことなし。その頃くらいになると私も一応は鍵盤というものに親しみはじめて、三和音を三本の指を使って弾くくらいのことはできるようになっていましたが、バンドの音楽に必要なものはすでに満たされている以上、「自分が果たすべき役割は一体なんなのか」というアイデンティティクライシスに陥ることになりました。

そこで見出したのが、かの有名な「うな丼における山椒」仮説(「ラーメンにおけるメンマ」仮説としても知られる)になります。

cf.『Silence is gold - 日記』

(更新中・・・)