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フランス外人部隊とは

皆さんは、フランス外人部隊という組織をご存じでしょうか?
最近ではメディアでの露出や関連書籍が多く出回っていて、もしかしたらどこかで聞いたことがあるという方もおられるかもしれませんね。

最近では映画や漫画でも登場

この記事では、私の前職であるフランス外人部隊について書いてみました。興味のある方は是非読んでみてください。

私の部隊兵歴

私は2011年5月から2016年5月までの約5年間、南フランスのマルセイユ郊外(Cassis)に駐屯する第6軽機甲旅団 第1外人騎兵連隊(仏: 1er régiment étranger de cavalerie、通称:1eREC)の第3中隊に所属していました。

在職中は主に軽装甲車の操縦手と重機関銃手をしていました。軍事作戦としてはエペルヴィエ作戦とセルヴァル作戦に参加。最終階級は騎兵伍長です。

フランス外人部隊は傭兵か

皆さんは「フランス外人部隊」と聞くと、どんなイメージを持たれますか?大概の方は傭兵部隊のようなイメージを持たれるのではないでしょうか。

元々は兵役に就くため契約によりフランスに雇われた外国人から成る部隊、いわゆる傭兵部隊として創設されましたが、現在ではフランス正規軍に統合され正規陸軍の隷下になっています。

「外国籍の者であっても、フランス軍に正式に志願・入隊する事ができる特別部門」と思ってもらえればいいです。外人部隊兵は傭兵ではなくれっきとしたフランス陸軍の軍人であり特別職国家公務員です。

フランス外人部隊の将校や士官のほとんどは全員フランス正規軍人で、外人部隊兵がなれるの下士官までです。入隊すると部隊兵はラテン語で"Legio Patria Nostra" (外人部隊こそ我が祖国)をモットーにフランスにではなく部隊に忠誠を誓います。

フランス外人部隊(仏: Légion étrangère)は、フランス陸軍所属の外国人の志願兵で構成された正規部隊です。
外国籍の構成員は、フランスの法律によってフランス陸軍軍人の地位を与えられており、傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約で禁止されている傭兵ではありません。

Wikipediaより抜粋

フランス外人部隊の歴史

歴史は古く、1831年にルイ・フィリップ 一世によって創設されました。国民軍を多く死なすと国民から反感を買ってしまうことから、外国人を雇って傭兵部隊を組織したという経緯があります。

創設当初の外人部隊兵の服装 

フランス外人部隊という名を一躍世に知らしめた「カメロンの戦い」

外人部隊では毎年4月30日に「カメロン祭」という記念日があります。この祭りの日は各連隊で盛大な閲兵式が行われ、基本的に5月1日の夜まで駐屯地が一般開放されます。このカメロン祭の由来は、1863年4月30日に起こった「カメロンの戦い」まで遡ります。

カメロン祭閲兵式

ナポレオン三世が命じたメキシコ遠征に、左手に義手をはめたダンジュー大尉率いる外人部隊兵64名が大量の物資を積載した輸送隊の護衛に就いていました。しかしその道中メキシコ軍部隊と遭遇、その数およそ2千。
数で圧倒的に勝るメキシコ軍から何度か投降を求められましたが、ダンジュー大尉はこれを拒否。死ぬまで戦うと宣言しました。そして激しい戦闘の末ダンジュー大尉は名誉の戦死を遂げ、外人部隊は完全に包囲されてしまいます。最後に残った外人部隊兵は僅か6名。
この頃にはメキシコ軍からの降伏勧告が再び行われましたが直後に外人部隊兵3名が戦死。そして交渉の結果、武装解除をしないことを条件にフランス外人部隊は降伏に応じました。部隊が身代わりとなってメキシコ軍を引きつけたおかげで、輸送隊は物資を奪われずに無傷で無事目的地に到着することができたのです。この外人部隊の勇戦にメキシコ軍も賞賛し、「フランス外人部隊」という名を一躍世に知らしめました。

後日、フランス外人部隊ではこの勇戦と自己犠牲に対して敬意を表し、毎年4月30日を「カメロン記念日」として制定しました。

カメロンの戦いの様子を描いた絵画

絶望的な状況の中でフランス外人部隊史上に残る激戦を指揮したダンジュー大尉はこの「カメロンの戦い」の英雄であり、部隊兵の心意気を最も体現した象徴として、大尉の左手の義手は外人部隊で最も神聖な遺物としてクリプト(聖堂)に納められています。

この義手を部隊兵が間近で拝めるのは基礎教育訓練の修了後と除隊時だけで、聖堂の外に出されるのはこのカメロンの閲兵式だけです。

ダンジュー大尉の木製義手
カメロンの閲兵式

フランス外人部隊の部隊構成

フランス外人部隊の部隊構成は当初傭兵部隊として独立していた名残から現在でも「歩兵連隊」「騎兵連隊」「工兵連隊」「パラシュート連隊」「教育連隊」「人事連隊」「新兵徴募隊」など多岐に渡り、フランス全土およびフランス海外県に広く駐留しています。 

8個連隊+1個准旅団+1個分遣隊で編成

外人部隊新兵徴募隊(GRLE)

-パリ駐屯
-2007年新設 定員149名

フォル・ドゥ・ノジャンの徴募隊舎

パリの東に位置するフォル・ドゥ・ノジャンという街に所在し、ほとんどの志願者はこのパリの徴募隊の門を叩くことになります。門を叩くまでに結構勇気がいりました。ほかの連隊の要員が海外派兵に行く際のトランジットの場所も兼ねており、真冬にはパリ市内や近郊の生活困窮者たちに食事と寝床を提供する慈善活動を行うこともあります。また、各所を回って広報活動も行います。

志願者の受付を行う部隊兵

第1外人連隊(1eRE)

-オーバーニュ駐屯
-1841年創設 定員530名

第1外人連隊の集屯場

外人部隊総司令部下で外人部隊全般の人事、輸送、装備、消耗品、新兵業務、その他の管理を担当。大規模な式典などもここで行われます。

志願兵の選抜センターもここにある

第4外人連隊(4eRE)

-カステルノダリ駐屯 
-1920年創設 定員975名

第4外人連隊

外人部隊における新兵訓練、下士官訓練を担当。全ての選抜テストに合格した志願兵はこの教育連隊(通称カステル)に送られ、約四ヶ月間の厳しい基礎教育訓練を受けます。他にも通信・衛生・事務・調理・整備などの専門課程から、伍長や軍曹への昇進課程、車両操縦課程といった多種多様な特技課程を担任しています。

基礎教育訓練を受ける志願兵

第1外人騎兵連隊(1eREC)

-カルピアーニュ駐屯
-1921年創設 定員746名

AMX10RC-R6輪式装輪戦闘車

私が部隊兵として過ごした連隊で部隊で唯一の機甲連隊。主な任務は威力偵察です。105ミリ砲を搭載したAMX10RC-Rという6輪式装輪戦闘車を外人部隊で唯一保有しています。騎兵連隊とありますが、これは元々が騎馬の連隊だった名残です。

現在でも乗馬訓練をする伝統が残っている

第1外人工兵連隊(1eREG)

-ロダンラルドワーズ駐屯
-1921年創設 746名

地雷探査を行う工兵

地雷などの障害処理、陣地の構築、架橋などの戦闘支援・建設業務を担当。専門以外にも戦闘工兵として通常の近接戦闘訓練も行います。第一次湾岸戦争では多くの地雷を除去して勇名を馳せました。PCG(戦闘工兵ダイバー)やEOD(爆発物処理班)といった特殊部隊が同連隊に属しています。

水中での任務を専門とする特殊部隊PCG

第2外人工兵連隊(2eREG)

-サンクリストル駐屯
-1999年創設 定員892名

雪山での機動能力も求められる

普通の工兵とは違い、山岳戦闘工兵という特殊技術を有する連隊です。SRIO(特殊偵察小隊)と呼ばれる特殊小隊があり、GCM(山岳コマンド)などの専門職があります。

山岳での任務を専門とする特殊部隊SRIO

第2外人歩兵連隊(2eREI)

ニーム駐屯
1841年創設 定員1093名

外人部隊で最も定員数が多い連隊である

外人部隊の創設期から存在する由緒ある歩兵連隊です。2012年から配備されたFELIN(次世代歩兵用統合装備)システムにより、市街地や夜間戦闘の能力が著しく向上しました。最もスタンダードな職種と言えます。

FELINシステムを搭載したFA-MAS

  第2外人落下傘連隊 (2eREP)

-コルシカ島カルビ駐屯
-1948年創設 定員1097名

外人部隊の中でも精鋭で知られる

言わずと知れたフランス外人部隊の精鋭集団。創設以来、フランス陸軍の中でも最精鋭であり、外人部隊においてもそれは変わりません。かつての外人部隊の伝統を一番色濃く残している連隊であり、最も「キツイ」連隊として有名です。さらにこの連隊は他の連隊に比べて訓練中の重傷率が非常に高いとも言われています。
この連隊は戦闘中隊ごとにそれぞれ専門が分かれており、第1中隊(市街地戦闘中隊)、第2中隊(山岳戦闘中隊)、第3中隊(水中・上陸戦闘中隊)、第4中隊(爆破・短距離狙撃中隊)、第5中隊(砂漠戦闘中隊)という編成となっています。

ほかにはCEAと呼ばれる偵察戦闘支援中隊(偵察、対戦車戦闘、長距離狙撃)があり、同連隊にはGCP(空挺コマンド小隊)と呼ばれるコマンド特殊部隊があります。

2013年のマリ北部紛争でも最前線で活躍

第3外人歩兵連隊 (3eREI)

-フランス海外県南米ギアナ・クールウ駐屯
-1915年創設 定員636名

ジャングルでパトロール中の部隊兵

主な任務はクールウにあるギアナ宇宙センターの警護で、ブラジルなどからの不法入国者をフランス国家憲兵隊とともに取り締まります。時にはジャングルの奥地までパトロールすることもあり、車両での移動が不可能なので50kg以上の荷物を背負って起伏あるジャングルを歩くこともあります。
ほかにもカリブ諸国が危機的状況に陥った場合、その治安維持活動にあたることもあります。
また、CEFE(ジャングル戦闘訓練センター)と呼ばれるジャングル戦闘課程の訓練所があり、長期および短期派遣中の部隊兵と正規軍兵に訓練を行います。運が良ければコロンビア、ベネズエラ、ブラジルといった国に派遣され、現地のコマンド課程を受けられる機会があります。枠があれば基礎教育訓練修了後に長期派遣されることもあり、期間は概ね3年間です。

ジャングルコマンド課程履修中の正規軍兵士

  マヨット外人部隊分遣隊 (DLEM)

-フランス海外県マヨット島ザウジ駐屯
-1976年創設 定員288名

外人部隊最後の楽園

主な任務は南インド洋地域の治安と安定および主権の維持、それに付随してマダガスカル軍やコモロ軍への軍事訓練も行なっています。2015年からは、コモロ諸島から流入する不法移民の拠点となっている島へのパトロールをフランス国家憲兵隊とともに行うようになりました。

またこの連隊はCIANという主に水上での訓練施設を擁しており、短期派遣で訪れた部隊兵や正規軍兵に訓練も行っています。この連隊はマダガスカル島の真横に駐屯している関係上、マダガスカル軍と合同訓練することもあるようです。

マダガスカル軍との合同訓練

  第13外人准旅団 (13eDBLE)

アラブ首長国連邦アブダビ首長国駐屯
1940年創設 定員277名

戦闘服はデザート調のカモフラージュ

2011年までジブチに駐屯していましたが、フランス軍の再編成に伴い大幅に人員を削減された後、アブダビに移駐されました。

この連隊にはCECAMと呼ばれる訓練所があり、砂漠戦や市街地戦闘訓練など中東地域での作戦行動に慣れさせるための訓練を主に担当していました。

しかし、2016年にモンペリエの北西に位置するラルザック演習場に移駐したのを機にフランス領外に駐屯している外人部隊の連隊はすべてなくなってしまいました。フランス領外に駐屯していた時は給料ベースが部隊内で最も良く、誰もが希望する連隊でした。

今後は第2外人歩兵連隊のように最新のFELIN(次世代歩兵用統合装備)システムを完備した歩兵連隊になるようです。

やはり外人部隊は砂漠が似合う

フランス外人部隊の日本人

フランス外人部隊 その実体と兵士たちの横顔 (角川新書)

ここ10年ぐらいで外人部隊への日本人志願者が急増しました。背景としては関連書籍の出版やインターネット、SNSなどの普及によりメディアへの露出が多くなったことが挙げられると思います。

週末には他の連隊の日本人同士で集まる機会もある

むすびに

フランス外人部隊には130ヶ国を越える国籍の部隊兵が在籍し、言葉も文化も違う人種がこれほど一つの場所に集まって生活をともにする環境は世界広しといえどここだけです。

また、外人部隊に5年以上勤務すればフランス国籍を取得する権利が得られ、25年以上勤務すれば生涯に渡り軍人恩給が支給されます。希望すれば老後、外人部隊の養護院に無償で入居することもでき、最後まで部隊が面倒を看てくれます。このことからもわかるように外人部隊は仲間を決して見捨てません。

外人部隊は国や人種、宗教に関係なく全ての人間に対し平等に人生をやり直すチャンスを与えてくれるのです。

フランス外人部隊のシンボル

※この記事で書いた内容は、私が在隊していた当時のものです。

引用:Wikipedia、外人部隊125の真実(合田洋樹 著)

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