辛い時だからこそ届けたい歌がある!日本民謡梅若流梅若会 浅野江里子
「〽コラ ウイルス対策基本の基本 手洗いコ うがいコだ~」
2020年5月、秋田音頭のリズムにのせて感染予防の対策方法などを歌う『五六七(コロナ)撃退音頭』がYouTubeに投稿されました。
まずはこの動画で感染予防対策を振り返ると共に、クスッと笑える秋田弁にも耳を傾けてみてください!
明るい歌声を届けてくれるのは、梅若流梅若会(うめわかりゅううめわかかい)の浅野江里子さん。
<名前>浅野 江里子(あさのえりこ)
<出身地>秋田県秋田市
<生年月日>1984年1月24日
<経歴>祖父が初代宗家・浅野梅若(あさのうめわか)、母が二代目・浅野梅若と民謡一家に育つ。秋田和洋高校(現:秋田令和高校)卒業後、22歳という若さで日本民謡梅若流梅若会大師範となる。一男の母。
この動画の企画立案と替え歌の歌詞は三味線奏者の兄・梅若鵬修(ほうしゅう)さんが担当。民謡を披露できる場が制限される中、全国に元気を届けたい!という思いから始まったといいます。
秋田の民謡で活気づけ!
― 秋田音頭の替え歌『五六七撃退音頭』、とても明るい気持ちになりました!
ありがとうございます。この曲はコロナで活動が制限される中、少しでもみなさんに明るい歌を届けたい!という気持ちから生まれたものです。
秋田音頭の替え歌ということで最初は「難しいかな?」と思ってましたが、メロディーが流れると次第にノッてきて、ウイルスを吹き飛ばす勢いで歌っちゃいましたね(笑)
いろんな地域に民謡がありますが、中でも秋田の民謡は明るく、活気のある歌が多いんです。県外で民謡を歌われている方からも「秋田の民謡、元気出ます!」という声を聞きますし、実際に秋田民謡を好んで歌われている方も多いんですよ。
― 2020年はかなり活動が制限されたのでは?
そうですね~。歌いたいけど歌える場所が無くて、もどかしい日々が続きました。以前までは秋田市内のイベント会場や結婚式、秋田駅西口の長屋酒場で毎週民謡を歌っていたのですが...。なのでこの期間中は、ひたすら舞台で着る着物の整理や民謡の練習をしていました。
それでも少しずつイベントが開かれるようになってきて、最近では慣れないフェイスシールドを装着しながら歌わせていただく機会が増えてきました。お客さんとの距離も遠く、戸惑いを覚えながらですけどね。
<フェイスシールドを装着してイベントに出演する準備中。マイクがシールドにあたったり、離れすぎたりすることがあり戸惑ったようだ>
― 活動が制限される中で始めたのが"動画投稿"だったのですね。
これまでは毎年行われる全国大会やイベントなどにお声がけいただき参加していました。ですが今年は開催すらされない...だったら、活動の幅を自ら広げていこう!というのが動画投稿を始めるきっかけでもありました。この先もYouTubeでは新しい動画を投稿できたらと考えています!
民謡っていいものなんだ!
― 伝統芸能一家に産まれた江里子さん。民謡はいつ頃から歌われていたのですか?
民謡を歌い始めたのは4歳頃から。私の記憶にはありませんが、カセットテープに歌声が残っていましたね(笑) 当時、県内外から民謡を学びに来ていた内弟子さんが常に家にいる環境で育ったので、民謡との距離はかなり近かったです。
小学校3年生の時、民謡から距離を置きたくてバレーを始めたんです。中学校は3年間陸上をやっていました。
― 民謡一筋!...とはいかなかった?
いきませんでしたね~。ですが高校生になったら少しずつ民謡と向き合えるようになってきて、民謡や踊りなどの活動をする郷土文化部に所属しました。高校の文化祭では全校生徒の前で披露したこともありましたね。
― ただでさえ人前で歌うのは大変なのに、同年代に向けて民謡を披露するのはなおさら勇気がいると思います。
あの場所では普通、流行のJポップやバンドなどを披露するのが主流ですよね?でもあの時は「民謡って悪いものじゃないよ!」という気持ちで歌いました。
ステージでは秋田音頭を披露したのですが、やはりみんな馴染みのある曲だったようで、最後までしっかり聞いてくれてホッとしました。
<高校卒業後は内弟子修行に励むと共に、民謡酒場(秋田市・第一会館 ※現在は閉業)で「出前民謡」を披露していた>
上手に歌えたことは一度もありません
― 高校卒業後、民謡に対するの気持ちの変化はありましたか?
「民謡やめたい」という思いが強くなりました。
― ええっ、そうなんですか!?
いろんな大会に参加し、ありがたいことに優勝させていただく機会が増えてきましたが、その反面、タイトルの重さをひしひしと感じるようになったんです。どこで歌っても「優勝した人だ!」って見られるし、「あの時のように歌えているかな?」と意識するようになって...。悩みすぎて、声がうまく出せなくなった時期もありました。
<優勝した頃の歌声をキープできるか、失敗しないか、今もなお重圧を感じる日々だと江里子さん>
― 常にプレッシャーを感じていること、意外でした。
いまだに「今日、上手に歌えた!」と思えたことが一回も無いんですよ。大会で優勝しても「100%出せた!」と思ったことが一度もありません。常に緊張とは隣り合わせで、普段着物に隠れて見えませんが膝はずっと震えています(笑)
<イベント出演時の様子>
子供を産んだ後、歌えるキーが下がった時はすごく焦りました。お客さんから「声、変わったな~」と直接言われたときは、すごくショックでした...。
そんな時「今の年齢でしか出せない歌声があるから焦らず、自分の味をだせばいい」と母からアドバイスを受けたんです。そのアドバイスのおかげで、今は割り切って歌えるようになってきました。
<取材時には江戸中期から歌われている豊作祈願の「生保内節」を披露していただいた。左から:二代目・浅野梅若(うめわか)さん(母)、日本民謡梅若流梅若会大師範 三味線・尺八奏者の梅若梅貢(ばいこう)さん(父)、日本民謡梅若流梅若会名取大師範 三味線奏者の梅若鵬修さん(兄)、江里子さん>
毎回プレッシャーは感じますが、そのときにしか出せない魅力を表現していけたらと思っています。民謡は声色、節回しの勢いなどに個性がでてくるので、もっと技術を磨いて上を目指せたらなと。
変化を楽しんでほしい
― 伝統芸能一家として、秋田民謡を守らなければという使命感は抱いていますか?
ありますね。祖父、母と秋田民謡を歌い継いでいるので、次は私の番だなと。でもこれからは、本来の民謡はもちろん、堅苦しくなく、面白いカタチでも民謡を発信できたらなと考えています。
例えば民謡って、歴史的な説明が難しくて"馴染みにくさ"があると思うんです。だから三味線のメロディーを現代風にアレンジしたり、子供でも楽しめるようにすることで、興味を持ってくれる人が増えるのかなと。その変化のひとつとして試したのが、五六七撃退音頭でした。
― 伝統芸能のカタチを崩すのはタブーだと思っていましたが..
本来の民謡を歌い継ぐのはもちろんですが、それだけだと興味を持ってくれる人はきっと少ない。ならば砕けた表現...現代に合わせた表現があってもいいのでは?と思うんです。やっぱり聞いてくださるお客さんがいてこそ民謡は成り立つので、お互い楽しめる方法があっていいのかなって。
お客さんの前で民謡を披露する機会が少なくなり、もどかしい日々が続いています。これからはYouTubeで動画配信をしたように、自分たちでも活動の場を増やしていかなければなとも感じています。今年は大きな変化があった年でしたが、これからの秋田民謡の変化も楽しんでいただけたら嬉しいです。
【日本民謡梅若流梅若会】
《住所》秋田県秋田市新屋扇町85−22
《連絡》TEL:018-828-4638
《HP》https://umewaka-geinou.com/
【取材・文:秋田ブロガー兼YouTuber じゃんご】https://dochaku.com/
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