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最終話『帰ってきた、ふくせん探偵』

 梅雨は完全に明けて、
 祇園ばやしが聞こえてくる初夏。

 僕は、中ぶらりんな精神状態で
 訪問リハビリの仕事を続けていた。
 多香美さんに話したように、
 具体的な将来の目標ができた
 僕だったが、
 最初の一歩を踏み出せずにいた。

 日崎さんのおかげで
 リハビリの価値を再確認し、
 その支援者でありたいとは思った。
 しかし同時に、
 訪問リハビリの限界も感じた
 からこその目標だったのだが。

 その頃の僕は、加茂さんの件で
 自分をまだ許せずにいた。

 それで、
 別に家族がいるわけでも無いのに、
 引っ越しや転職の手間を言い訳に
 ずるずる先延ばしにしていたのだ。

 多香美さんとはあの日、
 連絡先を交換させて貰ってから
 定期的にやりとりしていた。

 日崎さんに似てマメな多香美さんは、
 入院中の様子などを
 こまめにメールで教えてくれた。
 もちろん、日崎さんも了承済みだ。

 日崎さんの運動機能は
 順調に回復しているようだった。

 運動をしっかりしたかったから、
 100%自立の5時間ではなく、
 70%の8時間を目指したこと。
 そしてその為に毎日、
 パーキンソンの症状に合わせて
 大原医師と薬を微調整したこと。
 
 この2つが奏功し、
 1日2回・60分の院内リハと自主運動で、
 ある程度の運動量を確保できていた。

『やっぱり、
 果報は寝て待て なんて嘘ね。
 積極的なトライ&エラーこそ、
 人類の叡智であり正義よ』

 とは、かなり調子を取り戻した
 名探偵の入院中名言のひとつ。

 僕は、多香美さんからのメールの中に
 日崎さんらしい台詞が増える度、
 嬉しさと共に淋しさも感じていた。

 日崎さんはどうやら、
 100%の状態でないと僕と会いたくない
 らしく、まだ、直接は会えないでいた。
 そしてそのまま、
 ドイツ行きの出発日が近づいていたのだ。

 多香美さんによれば、
 やはり確かに書いてくれたらしい
 日崎さんからの手紙も、
 まだ届かないままだった。

『母は随分元気です。
 手紙のことは、
 ちゃんと書いたし送った
 としか教えてくれません。
 相変わらず、ぶきっちょばあさんです』

 昼休み、
 診療所の事務所で最新メールを
 確認した僕は、小さいため息をついて
 午後の訪問の準備をし始めた。

 その時、菅さんから声がかかった。

「松嶋くーん、電話~!」

 事務所には内線電話が一台しかなく、
 一番近くの菅さんが電話交換手を努める
 ことが多かった。

 急いで菅さんのところに馳せ参じた僕に、
 受話器の送話口を手で押さえたまま、
 ひそひそ声で菅さんが付け足した。

「加茂さんからみたいよ!」

 ドキッとした。
 加茂さんとはあの日以来、
 一切接触していなかった。

 担当ケアマネジャーの菅さんに
 一度確認して貰ったところ、
 僕の暴言には怒っていたものの、
 法的にどうこうするつもりはない。
 と、落ち着いた声で言っていたそうだ。

 それ以来、訪問リハビリは一旦中止。
 僕は部長宛てに始末書を書いて、
 厳重注意を受けただけで済んでいた。

 今頃、また怒りが再燃したんだろうか?

 悪い想像ばかりしながら、
 僕は電話を受け取った。

「・・・はい、お電話代わりました。
 松嶋です」

「加茂です。お久しぶりです」

 電話の向こうから聞こえたのは
 加茂さん本人ではなく娘さんの声で、
 僕はかなりほっとした。

「お久しぶりです・・・あの、
 いつぞやは本当にスミマセンでした」

「いえ、あれはお互いさまだったと
 私は思っていますから・・・」

 相変わらず小さめの声だが、
 あの時のような芯も感じさせた。

「ありがとうございます・・・。
 それで今日はどういったご用件
 でしょうか?」

「実は、父が話をしたいと言ってまして。
 お呼び立てするようで申し訳ないですが、
 お時間とれますか?」

 何の用事かは結局分からないまま、
 僕はその日の夕方、加茂家を訪れた。
 およそ、2ヵ月ぶりだったはずだが、
 もう何年も経った気がした。

 いつも運動などをしていたリビング
 に入ると、食卓に加茂さんが座っていた。
 目を閉じて腕組みをしている。
 隣には娘さんが座っていて、
 僕に軽く会釈してくれた。

 娘さんは初めて見たときよりも
 かなりこざっぱりした印象だった。
 散髪も化粧もしていて、部屋着でもない。

 僕が覚悟を決めて促された椅子に座ると、
 娘さんが喋り始めた。

「わざわざ来て頂いてすみません。
 どうしても直接お話したかったこと、
 あと、直接お渡ししたかったもの
 があったんです」

 話はともかく、
 渡したいものって何だろうか。
 そう思いながらも僕は、
 1番言いたかったことを
 先に言わせて貰った。

「いえ、こちらこそ呼んで頂いて
 ありがとうございました。
 本来、私の方から伺うべきでした。
 大変遅くなってしまいましたが、
 謝罪させて下さい。

 あの時は、
 感情に任せて暴言を吐いてしまい、
 申し訳ありませんでした。

 加茂さんが積み重ねてきた何もかも
 理解しようともしないまま、
 信頼関係もないまま、
 あんな事を言うべきではなかった。
 本当に申し訳ありません!」

 あの日の感情がぶり返してきて、
 心がぎしぎし音を立てた。
 だが、そうなると分かっていても、
 これだけは言っておきたかったのだ。

 頭を下げ続ける僕に、
 加茂さんが穏やかに声をかけてくれた。

「君のことだから、きっと
 真っ先に謝ってくれると思っとった。
 これで、今日話そうと思っていたこと
 を気持ちよく話せるよ。

 そりゃあ、あの時の君の言葉の数々は、
 今思い出しただけでも背筋がざわつく。
 あんなに怒りを覚えたのは、
 人生で初めてかもしれん。

 でもさ、悔しいけどその通りだって、
 そうも思ってしまった。

 それに、
 君はあの日までの数ヵ月間、
 真面目に仕事をしてた。

 俺の言動や家の様子だけじゃなく、
 主治医や例の探偵ばあさん辺りから
 情報も貰ってたろう?

 俺が君の立場なら、
 絶対に胡散臭い家だなって思うわ。
 それでも、君はあの日までずっと
 真摯に役割を果たしとった。
 おかげで体がちょっとずつ軽く
 なっててな、隠すのが大変やった。

 君を焚きつけたのは俺や。
 カンウンセラーの動向が気になって
 鎌をかけた。でも、まさかあんなに
 怒るとは予想外やった。

 あれからしばらく、毎日考えてた。
 俺は本当は何がしたかったんやろう?
 俺は本当は何に怒っていたんやろう?
 ってな」

 加茂さんの独白を娘さんが
 引き継いだ。

「父だけじゃなくて私も同じです。
 あの時の松嶋先生の言葉は、
 とっても直球で衝撃的だったけれど、
 本当にそうだなって納得してしまった。
 だから2人で考えたんです」

「2人で色んな話をしたんや。
 この子が産まれてからこんなに話した
 のは初めてやった。
 成人してからも女房と頻繁に会ってた
 ことも初めて知ってな、
 こんなんでよく保護者面できてたもんだ
 って、笑ってしまったよ。

 そんな時、手紙が届いたんや。
 差出人には日崎マイ子と書いてあった」

「えっ!日崎さんからですか?」

 もう頭はあげていたが、
 話の流れを見失うまいと必死で
 耳を傾けていた僕は、
 意外な名前に思わず声を出した。

 いったいいつの間に?
 多香美さんから、
 僕と加茂家での出来事を聞いてから
 病室で書いたのだろうか。

「そう、君の先生やろ?
 あの日、君がちらっと言っとったし、
 手紙にも書いてあったよ」

「僕のことも書いてあったんですか?」

「ああ、名前は伏せてあったけどな。
 ほらこれだよ、読んでみるかい?」

「宜しいんですか?」

 加茂さんは無言でうなずき、
 僕に座るように促しながら、
 日崎さんからの手紙を渡してくれた。

 加茂さんが渡したかったのは
 これだったのかと思い、
 僕は丁重に受けとった。

 手紙はA4サイズのシンプルな便箋が、
 きっちり10枚。
 多香美さんの秀麗な字とはまた違う、
 流麗な日崎さんの直筆だ。

『加茂さま、突然のお手紙ご容赦下さい。

 先日は、私のアシスタントが
 少々過激な発言をしたようで
 失礼致しました。

 自分の役割を全うする為の
 真摯な発言であったことは、
 それまでの彼の働きぶりを見れば
 明らかだとは思いますが、
 それでも、
 貴方を傷つけてしまうものだった。
 
 彼の発言に関する責任は全て、
 指導者であるべき私にあります。

 こんなことを想定すること自体、
 豊富な社会経験や良識をお持ちの
 貴方には失礼なことだとは思いますが、
 もし加茂さまの怒りがおさまらず、
 何かしらの法的措置をお考えなら、
 彼や彼の勤め先ではなく、
 私宛にお願い致します。

 では、本題に入らせて頂きます・・・』

 という冒頭から始まった手紙には、

 カウンセラーを騙ったことへの謝罪。
 自分の本職である、ふくせん探偵の説明。
 自分の病前の経歴と病後の試行錯誤。
 家庭人としては落第だったが、
 自分には勿体ない娘に恵まれたこと。
 パーキンソン病に関する世界中の最新知見。
 自分の現状とこれからの夢。

 そして最後に、
 日崎さんが思う疾病利得について。
 日崎さんらしい、
 簡潔だが情熱的な文章で書かれていた。

「君は、いい先生に恵まれたな」
 
 僕が読み終わった頃合をみて、
 加茂さんがぼそりと言った。

 冒頭を読んだだけで感謝と、
 申し訳なさで胸がいっぱいだった僕は
 その言葉でまた涙腺が緩んでしまった。

 しばらく喋れそうにない僕を横目に、
 加茂さんと娘さんが
 再び胸の内を話してくれた。

「冒頭、丁寧なふりして、
 駆け引きもしっかりしてくる辺りの
 手慣れた様子と、
 カウンセラーだと偽っていたこと
 については、今でも良い感情はない。
 
 だけどそれ以外は、
 君と同じく実直でいて且つ、
 俺とは比べられんくらい深く
 病気と向き合ってたのが分かった。

 分不相応な娘に恵まれて、
 救われたのだけは一緒やったけど。

 パーキンソン病の情報も、
 一般人が調べられる範疇を越えてる。
 ふくせん?やったか、
 今の探偵業とか昔の事業の関係筋だと
 書いてあったが、それも含めて、
 あの婆さん自身が掴み取ったもんやろう。
 全く凄い人やと思った。

 そして最後の、疾病利得の話や。
 君に言われて調べてみたけど、
 悪い意味で使われることが多いみたい
 やったし、自分の印象でも同じやった。

 ところが、あの婆さんは・・・」

 感心なのか僕と同じ理由だったのか、
 ふいに言葉に詰まった
 加茂さんの代わりに娘さんが話を継いだ。

「あの婆さんはやめてよお父さん、
 松嶋先生、失礼でごめんなさいね。
 先生も今読んで頂いた通り、
 日崎さんからの手紙には、こうありました。
 
 真の疾病利得とは、
 病をきっかけに自分や、
 自分に関わる人・物を見つめ直すこと。
 そうして得られる、
 新たな知恵やつながり だと思う。

 色んなものを一旦失ったり
 手放した代わりに、
 貴重で愛おしい何か
 を手に入れること だと思うと。

 これを読んだ時、
 父と2人で心から共感して、納得して、
 しばらく泣いていたんです。
 そして決めました。

 私は心療内科に通うのを止めます。
 飲むと気分が悪くなるので、
 もう何年も貰った薬を飲んでいなかったし。

 障害年金にも長い間助けて貰いましたけど、
 薬は不要なことを医師に伝えて、改めて、
 認定調査をお願いしようと思っています」

「・・・俺も決めた。
 俺は改めて大原先生のところに行って、
 パーキンソン病の治療を始める。
 名探偵婆さんみたいに進行しないよう、
 他にもできることは全部やる。
 できれば一生、要介護状態になんか
 ならんように頑張ることにしたんや」

 落ち着きを取り戻した加茂さんが
 話を締めくくり、
 加茂家は厳かな静寂に包まれた。

 加茂さんと同じく、
 ようやく心と涙腺が落ち着ついた僕は、
 迷宮入りしたと思っていた案件が
 鮮やかにほどけていくのを
 目の当たりにして、
 信じられない気持ちだった。

 そして、僕の暴走をフォローしつつ、
 解決のきっかけを作った入院中の名探偵と、
 灯された真実から目を背けることなく、
 新たな道を選んだ加茂さん父娘に対して
 深い深い敬意を覚えた。

 経済的に厳しくなってしまうのでは?
 という僕の問いかけに対しても、
 加茂家の2人は、胸を張って答えてくれた。

「難病の支援はもちろん受けるから、
 医療費の負担は一定で済むんや。
 訪問リハを利用できる余裕はないけど、
 君に沢山運動を教えて貰ったから不安はない。
 後は、娘も俺も、もう1回働き口を探していて、
 実はある程度目途もついたんや」

「加茂さん家は、
 2人とも優秀やもんね、お父さん」

「その通り。
 能ある鷹の爪を隠すのも、
 病気であり続けるのもつらかったんや。
 これで、大手を振って買い物に行ける。
 もちろんまだ閉店間際狙いやけどなぁ」

 加茂さんが笑っていた。
 娘さんも笑っていた。

 この2人は本当は、
 こんなに気持ち良く笑える人たち
 だったんだ。
 そう感じた僕はますます、
 昔の自分の浅はかさを思い知らされ
 思わずつぶやいた。

「・・・2人とも凄いです。
 本当に凄い。
 お前は偉そうに誰に正論吐いてるんだ!
 って、あの日の僕に言ってやりたいです」

「何言ってる、
 君が言ってくれたからや。
 君の言葉が、抑えきれんかった感情が、
 俺と娘を揺さぶった。
 そして君が、
 俺たちと探偵ばあさんを繋いでくれた。

 俺たちにとって今回の一番の恩人は、
 間違いなく君なんや。
 だから今日、時間を取って貰った。
 直接言いたかったのは、
 俺たちが決めたことの報告とお礼や」

 そう言って加茂さんと娘さんは、
 申し合わせたように立ち上がり、
 僕に向かって深々と頭を下げた、
 そして、

「松嶋先生、
 この度は色々と世話になりました、
 俺が作ってしまった胡散臭い家を
 ぶっ飛ばしてくれて、ありがとう!」

「私からも、
 父とまっすぐ向き合って、
 ちゃんと怒って下さったこと。
 私たちがもう一度、
 私たちらしく生き直すきっかけを
 下さったこと、本当に感謝しています」

 2人の言葉は、爽やかだが、
 少しだけ暑苦しい初夏の風みたいに
 僕の心に吹いて、そして、
 自分を許してやれよと囁いてくれた。

 僕はその声に素直に従うことにした。
 
 加茂家の2人に和やかに見送られて
 僕は玄関に降り、
 改めて今日のお礼と、
 加茂さんのリハビリを
 応援していることを伝えた。

 くるしうないとばかりに、
 大仰に頷いていた加茂さんが突然言った。

「あっそうや!いかんいかん、
 君に渡すものを忘れるところやった!」

 加茂さんが慌ててリビングに入り、
 手に封筒を持って戻ってきた。

「探偵ばあさんの封筒に、
 何故か君宛の手紙が入っていてな。
 何でこんな回りくどい渡し方するんか
 分からんかったけど、
 あの人のことやから何か理由があるんやろ」

 そう言いながら、
 加茂さんは封筒を1つ僕に手渡してくれた。

 表面には、
 【加茂さまの訪問リハビリ担当者さんへ】
 と書いてあった。

 確かに日崎さんの字で、
 確かに僕宛のようだった。

 僕は、加茂さんと同じ疑問を抱きながら、
 何度もお辞儀しながら加茂家を後にした。

 時刻は17時に近づいていたが、
 大分陽が長くなってまだまだ明るかった。
 僕は、まっすぐ日崎探偵事務所に向かい、
 日崎邸を見上げる路肩にバイクを停めた。

 日崎さんからの手紙を受けとったら、
 ここで読もうと前から決めていたのだ。

 簡素だが上質な茶封筒は、
 日崎さんが依頼人などとのやり取りに
 好んで使っていたものと同じだ。
 まさか、
 最後に自分宛の封筒を手にする
 ことになるとは思いもよらなかった。
 僕は神妙な心持ちで封を開けた。

 中には、加茂さんへの手紙と同じ、
 飾り気がないシンプルな便箋が
 折り畳まれて数枚入っていた。

 僕は、手紙が風に飛ばされないよう
 気をつけながら、
 人生の師となった人からの手紙を
 読み始めた。

『加茂さまの訪問リハビリ担当者さん、
 改め、
 ふくせん探偵・日崎マイ子
 黄金期最後のアシスタントを
 立派に努めて下さった、
 親愛なる松嶋俊比古さま。

 この手紙は、
 多香美からあなたと加茂さんのことを
 聞いた時から、加茂さんに送るものと
 一緒に書き始めたものです。

 加茂さんと同じタイミングで、
 診療所にでも直接郵送するつもりだった
 のだけど、止めました。

 私がいくら助言をしても、
 あなたを許すと書いたとしても。
 松嶋先生自身が決断をして、
 そして納得しないと
 何も変わらないと思ったからです。

 あなたがこの手紙を読んでいる
 ということは、過去から逃げず、
 加茂さん達としっかり話ができた
 のだと思います。

 あなたのことだから、
 絶対に謝りに行くと思っていたので、
 あえて加茂さんに預けました。
 
 加茂さん達の決断はどうだった?
 松嶋先生は自分を許してあげられた?
 私の手紙が一助になることを願います。

 過去は変えられないけど、
 その意味合いは
 時間を経て変わることがあります。
 そして、
 それを良い意味合いにできるのは
 きっと自分だけです。

 そのことを、加茂さん達やあなたに
 分かって欲しかった。

 できれば私が日本を離れる前に、
 顛末を教えて下さい。

 さて、問題です。
 いったいいつから、あなたの隠し事が
 私には分かっていたでしょう?
 もちろん、
 多香美ちゃんに聞いた時
 なんかではありません。

 正解は、
 最初に訪問リハビリからの報告書を
 読んだ時、です。

 あれは完璧過ぎました。

 私は今回以外で何度も
 同じ方法で情報を集めたことがあるけど、
 ふくせん探偵という
 社会的には極めてマイノリティな相手に、
 普通あそこまで書けません。
 例えあなたの同僚だったとしてもね。

 それくらい、
 私の仕事のやり方や、
 ふくせん探偵という存在そのものへの
 揺るぎない信頼と期待がつまっていた、
 そんな報告書だった。

 だから一読で分かりました。
 消印なんかじゃ誤魔化せません。

 もしかしたらあなたは、
 この隠し事の件でも自分を責めたり
 しているかもしれないけれど。
 全く隠せてなかったから安心して。
 隠し事の大きさでは私の方が上だしね。

 ちょっとしたイタズラだったのか、
 何か具体的な目的があったのか。
 たぶん半々かな?
 理由はともかく私にとっては、
 とっても嬉しいことだったのです。

 今回の件だけではなく、
 松嶋先生が担当になって下さってからの
 約1年間で、
 私は20年分の喜びを一気に得ました。

 今まで、それはもう大勢の方々が
 私のリハビリ担当になってくれました。
 看護師、ヘルパー、ケアマネも含めれば
 私がこの20年で関わってきた人たちは、
 数えきれません。

 それでもあなた程、
 ふくせん探偵というものに興味を持ち、
 その価値を認めてくれた人はいなかった。

 きっかけは、私の特別な人と同じ名前
 だったということだけ。
 人生経験も自己肯定も、
 自分の将来像さえも、
 まだまだ薄くて脆い。

 自分の仕事にさえ、
 疑問を持っているのに気づいていない。
 今までの担当者の中で一番変な人。

 最初はそう思っていたのよ。

 だけど、
 人との会話や、やりとりを好み、
 好奇心旺盛で何でも楽しもうとする、
 素直なひねくれもの。
 そんなあなたに興味が沸いていった。
 
 初めて、
 ふくせん探偵の依頼内容や、
 その顛末を話した時の
 あなたの目の輝きが忘れられずに、
 予定していたドイツ行きを延期したこと。

 あなたの熱が冷めるのが怖くて
 ドイツ行きを隠し続けながら、
 時に守秘義務もそっちのけで
 何度も依頼の話をしてしまったこと。

 そんな後ろめたさも忘れてしまう程、
 あなたは私の話をいつも真摯に聞いて、
 驚き、悩み、喜んでくれた。
 そして最後まで、
 私を名探偵だと信じてくれていた。

 誰かに信じられていることが、
 まっすぐな憧れが、
 こんなにも力強く自分を支え、
 そして、
 名探偵であり続ける力をくれるなんて
 思いもしなかった。
 
 それはきっと、
 あなたの根っこが私と同じだから。

 人間という生きものが好き。
 人間が時に意図せず作り出す有象無象、
 良くも悪くも変化に満ち溢れた、
 この世界が、好きでしょう?
 
 松嶋先生にちゃんと聞いたことは
 無いけど、絶対に間違ってないって思う。

 私は、もうすぐドイツに発ちます。

 苦心して作り出した黄金の5時間と、
 その為の犠牲。
 日崎探偵事務所での日々にもちろん
 悔いはありません。

 若い頃から色んな商売をしてきて、
 24時間、常に頭と体を使い続けてきた
 私にとって、
 5時間をいかに有意義に使うか
 を考え抜いたこの10数年間は、
 必要な時間だったと納得もしている。

 でも、自分が自分じゃなくなる夜
 を迎える度、どうしようもなく
 不安になった。

 でもね、
 自立度70%の8時間や、
 50%の10時間を目指すのも嫌。
 だから、情報を集めていたの。
 次のステージに上がる為の情報を。
 
 そんな中であなたに出会って、
 色んな話をして、
 あなたの成長を見て、より強く思った。
 私も成長したい、まだ成長できる。
 やりたいことがまだまだ沢山あるって。

 長くなってごめんなさいね。
 あと、直接会うことを避けていて
 ごめんなさい。
 何だかんだと言い訳をしていたけど、
 実は、あなたと最後に会ったあの日、
 絶対に見せたくなかった姿と涙を
 見せてしまったのが
 恥ずかしくって悔しくって、
 尾を引いているのです。

 だから、お見舞いはお断りします。

 最後に、本当はちゃんとお会いして、
 ちゃんと自分の声で伝えたかったこと
 を書きます。

 松嶋俊比古さま、
 私と出会ってくれて、
 私の話をきらきらした目で聞いてくれて、
 ふくせん探偵 日崎マイ子を愛してくれて、
 本当にありがとう。

 あなたは、自分は何もしていない、
 お礼を言いたいのは自分の方だと、
 きっとそう言うでしょう。

 でもあの日あの時、
 あなたという人が私の隣に居てくれた、
 それだけで私には、
 途方もない価値があったのです。
 
 あなたのおかげで私は、
 最後まで名探偵で在らねばと思い、
 そして、そう在ることができました。

 私にとって最初で最後の弟子だと、
 勝手に思っています。

 そんな弟子に託したいこと、
 頼みたいことがあったのだけど、
 明言はしません。
 私の言葉であなたを縛りたくはない。

 でも、ちょっとだけ期待もしています。
 あなたが見つけた将来の夢と、
 私の希望が同じかもしれないってね。

 もしも、あなたの夢を叶えるのに
 何らかの助けが要るのならその時は、
 多香美ちゃんに伝えて下さい。
 彼女が力になってくれると思います。
 
 それでは、さようなら。
 ドイツでもう一度なりたい私になって、
 必ず戻ってきますからね。
 
 追伸、
 飛行場への見送りは特別に許可します。

 ふくせん探偵 日崎マイ子』

 手紙を読み終えた時、
 僕は笑っていた。

 加茂家で涙を使い果たしたのか、
 人間は本当に感動した時笑うのか。
 どちらかは分からない。

 僕が敬愛する名探偵からの手紙は、
 両親からも昔の恋人からも
 貰ったことがないほど、
 まっすぐな感謝と愛がつまっていた。

 僕は、心から幸せだと思った。

 少しずつ暗さを帯びる空の下、
 僕は多香美さんに電話させて貰い、

 加茂家でのできごと。
 日崎さんからの手紙を受け取ったこと。
 涙も出ないくらい感動していること。
 ドイツ行きの見送りを許されたこと。

 などを報告した。
 多香美さんは終始笑いながら、
 聞いてくれた。

 そして最後に、
 僕は幾つかお願いをした。
 多香美さんは今度は笑わずに
 聞いてくれて、

「うん、そっかそっか。
 それがトシヒコ君が自分で決めた、
 本当にやりたいことなら、
 準備しといてあげる」

 そう言って、電話は終わった。
 僕は大きく背伸びをしてから、
 夜診の明かりがついてるであろう
 診療所に戻ることにした。

 それから3カ月の間、
 僕は人生を変える一歩を
 何度も踏み出すことになったのだ。

 まず、8月上旬。
 日崎さんのドイツ行きの見送りをした。
 約半年ぶりに会う日崎さんは、
 車椅子ではあったが
 スラッと痩せて体が軽そうだった。

 僕たちは、互いにお礼を言い合い、
 固い握手を交わしただけで
 多くを語らず別れた。

 多香美さんに言わせると、

「2人とも照れ屋で、
 ロマンチストだからね」

 ということになるが、少し違う。

 僕と日崎さんは、
 もう十分過ぎるほど話して、
 お互いの価値観を共有して、
 共通の目標を持った。
 
 リハビリテーションの本質
 に照らし合わせれば、
 【自分らしく生きることを取り戻す】
 ことを追い求める同志だ。

 そして、
 それぞれが目指す目標地点も
 その道のりも、
 いつかまた必ず重なると信じている。

 だから、あの時はもう
 言葉のやりとりはいらなかった。
 手を握ってアイコンタクトして、
 小さく頷く。
 それだけで十分だったのだ。

 
 続いて9月15日付けで、
 それまで10年間勤めた診療所を退職した。

 後輩が送別会を企画してくれると言って
 くれたが断った。照れくさかったし、
 僕が入職した時から大分スタッフも
 入れ代わっていたからだ。

 結局、古馴染のケアマネ管さんと所長と
 しばらく思い出話をして、
 激励を頂いただけで最終日は終わったが、
 それで大満足だった。


 10月には、約10年住んだワンルームから
 3LDK事務所付きに引っ越した。
 でも家賃はオーナーのご厚意で、
 ワンルーム時代と同じだ。

 その事務所には、
 座り心地にこだわった特注の椅子が有り、
 壁付けの大きな棚には沢山のファイルが並ぶ。
 窓の外には、
 古めかしいが上質な看板がかかっていた。

 そう、僕は、
 主が不在になった日崎探偵事務所に
 引っ越したのだ。

 ちなみに僕が多香美さんに頼んで
 借して貰ったのは、
 探偵事務所やリビングなど
 一式が揃った2Fフロア。

 探偵事務所の電話は、
 規定の料金を支払い、
 番号ごと権利を譲って貰った。

「ちゃんと法的に相続してあげるのに。
 元々、母はそのつもりだったし」

 などという多香美さんの甘言には
 1ミリも心動かさず、きっぱりと断った。
 そんなぬるま湯に浸かっていたら
 男気もやる気も、すぐに溶けてしまう。

 僕にその気が全く無いと分かると
 速やかに、
 屋上は週末ガーデニング用、
 1Fは月決めガレージとして運用する辺り、
 さすがの日崎オーナーだった。

 そして、
 暑さがすっかり影を潜めた11月某日。
 僕は、この備忘録兼、
 ふくせん探偵・日崎マイ子の1年伝記
 を書き終えた。

 今の僕は週に7日、
 午前中だけ整形クリニックで働きつつ、
 日崎さんが営業していた時間で
 恐れ多くもふくせん探偵を名乗り、
 依頼を受けている。

 夜は、不定期で自費での訪問リハと、
 保管されている昔の依頼ファイル
 を使って探偵としてのお勉強。
 あと、ケアマネージャーの試験勉強だ。

 日崎さん、多香美さん、菅さんに
 相談した上で、
 ケアマネージャーの資格取得を決めた。

 日崎さんが築いた地盤を
 継いだ形になったとはいえ、
 2代目ふくせん探偵には、
 日崎さん程の実力も人脈もない。

 今でこそ1日数件の問い合わせがあるが、
 今後も続く保証はない。

 その対策として、
 ふくせん探偵の依頼にも活動にも、
 収益面でも良い影響を与える、
 ケアマネ資格に白羽の矢が立ったのだ。

 個人的には、
 日崎さんが戻るまで
 ふくせん探偵という存在を守りたい
 という思いだけが強く、
 ビジネスとして安定させる頭はなかった。

 しかし、かねてから日崎さんが、

「社会的に有意義な事業こそ、
 ビジネスとしても成功するべきよ。
 そうなってこそ、
 第2第3のふくせん探偵が世に生まれて、
 やがてマイノリティではなくなっていく。
 1人の理想や思想だけでは、
 提供できる価値に限界があるもの」

 とおっしゃっていたことを思い出し
 相談した時も改めて助言頂いたので、

 『ふくせん探偵兼ケアマネージャー
  兼リハビリセラピスト』
 
 というややこしい肩書に落ち着いた。

 前途は全く不明瞭だが、
 心だけは晴れやかで澄んでいる。

 今まで支えてくれた人たちがいて、
 それぞれとの間に
 ちょっとずつ違う僕がいる。

 どの僕も、
 もうそんなに嫌いではない。

 師が残してくれた宝ものも沢山ある、
 もちろん、座り心地が抜群の椅子も。


 さあ、そろそろ13時。
 探偵事務所の営業開始時間だ。

 ありがたいことに、
 さっそく事務所の電話が鳴り始めた。
 僕は速やかに受話器をとって言った。

 「はい、日崎探偵事務所です!」

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