博士とって何がしたいの?
自分が最近問われてすぐに答えが出なかった問いだ。博士というキャリアを選んだ理由とか、博士でやりたいことはパッと思いつくが、その先は…。
少し経緯を説明したい。自分は現在修士2年で博士進学を決めたわけだが、リーダーシップ教育院というプログラムにも所属している。巷で言う卓越教育院なるもので、修博一貫のプログラムで支援を受けられるというものだ。その支援を受けるためには毎年審査を受けるわけだが、最近行った面談で聞かれた問いだ。
就職かポスドクかとかいう地位ではなくて、what、何をしたいのか。
博士取得はそれが目的ではないし、卓越教育院が支援を与える理由は社会で活躍できる博士人材を育成することだ。
実際、博士課程そのものから得られるものはそれほど多くないのかもしれない。むしろその先に求めているものがあって、そのための準備期間、トレーニング期間と見るべきなのかもしれない。
その先にキャリアをイメージし、博士3年間で何ができるのか。逆算的に考えて行動しないと残るのは博士という地位だけで、結局修士と変わらないということになりかねない(特定の研究テーマをより極めた修士の延長)
学振を書くことはそういう意味で非常に重要だと思う。3年間の研究プランを考えるわけで、研究者としての一歩を踏み出す登竜門だと言える。
今まで自分の研究テーマに固執していたところからより広い研究分野を眺め、自分の研究の位置づけが見えるようになる。
ほとんどが研究をしたいということで博士を目指すわけだが、どういう研究をしてその先何をしたいのかはそういう広く研究領域を眺めることで見えてくる。どこに身を置くかと考えるわけだ。
研究の世界は実に広い。似たようなことに取り組んでいる人は山のようにいるし、今の研究をずっと続けるわけではない。
かといって博士のその先を今から想像できるものなのか。多分明確でなくてもいいような気がする
就活でよく軸を大事にするという話を聞くが、これは自分のやりたいの共通項。では博士課程は?
自分は研究者としての軸を見つけることなのかなと思う。
最近、責任という言葉をよく耳にする。
ある事柄に関わった時に、そこに自分の関与することと、そして他者に影響を与えること公的に宣言することだと捉えている。
修士では自分の研究テーマにだけ責任を持っていればよかったが、博士になると研究室の研究分野に責任を持つことになる。
その分野で何かしらの進歩を生み出すことで、新たな知を創造することに貢献する。
そういう責任感がその先のキャリアとも繋がってきていて、大きな方向転換は起こり得ないだろう。それを覚悟すべきなのだ。
生物のもつ精密な機構を生かした物づくりがしたい。それが生物のもつ、生体分子の活用でもいいし、生物そのものでもいいし、それらを思いのままにコントロールして、それを形にしたい。
トップダウン的な物づくりだ。
部品を組み合わせて作る機械と違って、元あるものをガチャガチャ変えて、より求めた機能に改変していく。組み合わせと変異。それが新しい物づくりにつながるのは、リジッドな機械にはない面白さ。生物故の意外性。試行錯誤の過程が好き。
最近ボトムダウン的なタンパク質開発も進んできていて興味あるところであるが、こう書き進めるうちに、自分の興味が大分構造化されてきたのを感じる。
より抽象化して、視野を広げていくこと。あらゆる研究分野に触れて自分の分野の位置づけを確認すること。それができて初めて自分の進むべき道が見えてくるのだと思う。
おそらく答えがすぐ出る問いではない。問い続けて答え続けていく問いなのだ。自分は何をしたいかを定期的に問うて、現在地を確認する。いつかわかる時が来る。
今は生物のもつ分子(タンパク質)を使って、社会に役立つトップダウン的な物づくりをすること。
具体的にはバイオセンサー、創薬、ドラックデリバリー、合成生物学がある中でバイオセンサーという試行錯誤とその背後にあるメカニック的な考え方は面白い。
この分野を極めて、自分で一つ、これだっていうセンサーを開発したい。
当面はそれを目標にしよう。
”挑戦しない後悔より挑戦した後悔を”
選択が間違っていても挑戦すること自体に間違いはないはずだから。
向いてないかもとかどうだっていい。頭が足りないとか関係ない。そういう過去の遺産に囚われない。自分の意思とこれからの努力を怠らない。その先で目標を目指してみることは悪いことでないはず。
先は長いが、じっくりゆったりでも着実に前に進んで行こう。昨日の自分より前に進めることで安心できる
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