市ヶ谷写真

第7話/全9回小説家・小林敏生の変身

  これまでの話/主人公・小林敏生は5歳のとき結婚の約束をした井上安子のことが忘れられずにいた。安子が井上エリスと名前を変え、人気女優になってしまったからだ。一方敏生は編プロに勤めながらスーパーヒーローの小説を書く、冴えない日々を送っていた。鬱々とした生活の中、敏生は何度も繰り返し同じ夢を見てしまう。5歳の敏生はファイブレンジャーレッドになって安子を迎えに行き結婚する約束をするが、井上安子が最後に何と言ったのか敏生は思い出せない。そんなとき、インタビューの仕事を通じて二人は11年ぶりに再会するが、敏生は自信のなさから名乗り出ることができないのだった。

 24歳の誕生日は、六本木ミッドタウンからほど近いクラブ「FERIA」のクリスタルラウンジを貸し切って、DJを呼んでパーティしよう、とその男性は言った。そして私が5歳の時の初恋の人が忘れられないの、と話すと鼻で笑ってどこかに行ってしまった。きっと、断り文句だと思ったのだろう。
 おい、井上安子、あなたもう24歳でしょう、いいかげんやばいよ、と私は自分に言い聞かせる。 


 初恋相手・小林敏生くんとは、16歳までメールしていた。だから初恋が5歳の時だったとはいえ、16歳まではちゃんと友達だったのだ。ただ最後に会ったのが5歳の時だっただけで。いつか会える、大人になったらまた会える、そう信じて辛い仕事も頑張ってこれた。仕事が終わった後、ケータイにメールの返信が来ていると嬉しかった。私はほとんど学校には行けなかったから、同世代の友達は敏生くんだけだった。私の仕事が忙しくなるにつれ、だんだん私がメールの返信が遅くなり、それに合わせてメールの頻度は減っていき、なくなった。仕事なんかほっといて、こっそりトイレでもなんでも隠れてメールすればよかったと今でも思う。
 それはもう恋とはいえないのかもしれない。ただ、後悔と執着が、24歳になった今でも私を捉えて離さない。私の人生には大きな穴が空いている。いつもそれを埋める何かを探すような、飢えに近い感情に突き動かされて、私は仕事をこなしていった。そんなときだった。インタビューの仕事が入ったとき、ライターの佛田さんという女性が言った。


「お世話になります。ライターの佛田です。今、おつかい中のアシスタントが今日は遅れて来るんですが、彼、井上さんと同じ幼稚園で同い年らしいんですよ。小林くんっていうんですが、井上さん覚えてます?」


 運命だと思った。寂しかった、会いたかった。絶対また会えるって信じていた。言葉が溢れ、コントロールを失いそうだった。遅れてきた敏生くんは、私が好きなフルーツのクッキーを手土産に買って来てくれていた。顔には、5歳の時の優しい面影が残っていた。
 せっかく仕事で一緒になれたのだから、絶対へまはできない。まずは仕事をパーフェクトに完了させよう。せっかくだから良い印象を持ってもらって、それから私のことを思い出してもらおう。私の芸名は伝えてあるし、さすがに高校生のときのことだから覚えてはいるだろう。随分時間が流れてしまったし、私の仕事のこともあるし、付き合えるかなんて想像もつかない。でも、一回飲みに行くくらいならいいじゃない。
 それなのに、だ。私の浮ついた気持ちを察したのか、マネージャーはインタビューが終わるやいなやすぐに私を連れ出した。社長の意向で次の仕事の開始が繰り上がったと彼は言った。意義を申し立てたところ、社長は灰皿を私の背後の壁に投げつけた。飛び散った吸い殻が私の顔をかすった。体罰をほのめかす脅しだと私は理解した。吸い殻が当たったことで怪我をしたわけじゃない。でも、悔しくて悔しくて、強い痛みを感じた。
 以前からパワハラ気味ではあったけれど、今回のことで踏ん切りがついた。以前から自分がやりたい仕事とは違うベクトルの仕事しかさせてもらえなかったし、いい機会だったかもしれない。敏生くんと再会させてくれた、これだけはこの事務所に感謝しよう。


「敏生くん、覚えてるかな…」


 忘れもしない、幼稚園で私のお別れ会のときに、私は敏生くんと約束をした。


『オレ、小学校を出たらファイブレンジャーレッドになるんだ。そしたら、ケッコンしよう』


 嬉しかった。私たちは両思いだった。必ずまた会える。大好きだった幼稚園も敏生くんもいない、怖い、怖い東京の街でもきっと、また会えるって信じていたら頑張れる気がした。


『としきくん、あのね』


『なに?やすこちゃん』


『としきくんがファイブレンジャーレッドになるなら、やすこはファイブレンジャーピンクになる。ぜったいおむかえに来てね。あんまり待たせたら、やすこがとしきくんをむかえにいっちゃうからね』


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