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Attitude アティチュード 心構え

ノースフェイスのバカデカイ相棒を背負い、歩く。そしてまた歩く。
左手に日本でいうところの100円ショップがある。丁度小さな交差点の手前。
当時も感じたことだが、このショップは移民と思しきたくさんの客で賑わっている。遠目に中を覗いてみても当時と状況は変わらないようだ。

信号がかわる。

確かに駅からマイスターシューレまでの道のりはかなりあったのだが
『こんなにあったっけ。。。』

ここをまた帰るとなると、、、想像もしたくない。
それほど気温も高くない心地よい陽気だが、自分の周りだけはまるで灼熱のようだ。

取り敢えずここで休んでからにしよう、とスーパーマーケットに入る。
そのスーパーマーケットのある交差点を右折し牧草地を抜ければようやくマイスターシューレである。

ミネラルヴァッサー(ミネラルウォーター)のガス入りを買い敷地内のベンチに腰掛ける。
すでに汗だくだ。

そもそも、マイスターシューレにやってくるのも乗り気ではなかったのだ。
というのも、私が通っていた当時の実技の教授であるゲオルグ・シュミット氏は定年退職して、当時の校長も退任していた。

しかしながら、知っている人が少なくなった、と言う理由とは別の理由で乗り気ではなかったのだ。

現在の校長は、私のいた当時は新任で教科は忘れてしまったが、その時の印象があまり良くなかった。彼女の父親も経営学を教えていたが、『なぜこの時期でこの人選?』と生徒たちは疑問に思った。それはありえないようなタイミングで新任として入ってきたからだ。まだ私くらいの年齢だがあれよあれよと校長になった。
『娘にそのポストを与えた』
という印象は、当時の生徒たちの間でも話題に上がるほどで、感じるところは皆同じだったのだ。

職人の端くれとして言わせて頂くならば、やはり経験のある職人が校長の座に就いてほしい、と願ったのだった。

『昨日の売上よりも5円でも多く。』

この言葉は、彼女の父親が講義で毎度毎度唱える呪文である。

この呪文の存在は、Berufsschule(弟子時代に通う職業訓練校)の実技の教授ギュンター・ブルグハルト氏も知っていて

『あいつは金のことばっかりだろタケ!?』
と言われたほどだ。

まともな職人であるなら
『良いものを作れ。それだけに集中しろ。結果は後からついてくる。』

と次代の後継者たちに説くべきではなかっただろうか?
振り返るといまでもそう思うのである。


あと数百メートルの距離が実に長く感じる。
『ハア。。。』

歩き出し右折するころにはまた汗だくになっていた。


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