eine lenge Geschichte アイネ ランゲ ゲシヒテ
旅も佳境に入ってきた。
ペーターとの、“おとこふたりたび”も終わり自己満足に浸るのも束の間。
次の日の早朝にはLandshut(ランヅフート)に向け出発した。
ランヅフートと言えば、世界で最も歴史のある食肉学校でマイスター養成施設がある。そして私の母校でもある。
血気盛んな若者がマイスターを目指しバイエルンの中核都市、ランヅフートへやってくるのだ。
3年間の修行を終え、Berufsschule(ベルーフスシューレ:職業訓練校)の試験も合格した私は当然のごとく、その門をたたいた。
当然のごとく。とは私の親方が卒業していたことで、そこに行きたい、と自然の流れで入校したということで、何もMeisterschule(マイスターシューレ:マイスター養成施設)はランヅフートだけではない。
先にも述べたように、ランヅフートのマイスター養成施設は世界で最も歴史がある。【マイスター証書】を取得するには他校であっても結局【マイスター】に変わりはない。
しかし、その歴史の重みからわざわざバイエルンのランヅフートでマイスターを取得したいというものが後を絶たないのである。
私の下宿先には、もう一人同時期入校のスティーヴという男がいたが彼は北ドイツ出身。
もちろんその地域にもマイスター養成施設はあるのだが
『ランズフートの証書があればどこでも働ける』
と言うのだ。
実際に、修了前からドバイやアメリカといった海外の企業からの社員募集案内があった。
『修了生を我が社に』といった具合である。
日本人である私は、尊敬する親方が卒業したのだから、というような感覚でしかなかったのだが、同級生たちを見渡せば、バイエルン出身者は3分の1ほどでゴードン(マイスター施設で仲良くなり、今回の旅でもお世話になった男)もベルリン近郊の出身だったりドイツ全土から集まり、中にはオーストリア、イタリア、そして一人は南アフリカ出身というものもいた。
ランズフートのマイスター養成施設の歴史や、その重みは入校してからしばらくして仲間たちから聞いて知ることになったのだった。
事実。そんなものは今でも関係ないと本人が一番思っているのだが。
そんな養成施設だからなのか、日本人の修了生は私の前にはただ一人で、私が2人目の修了生になったのである。
日本人でもマイスターを取得している方は数人確認できるが、それは他校で取得した者なのだ。
私は日本では食肉加工や食肉の世界に居なかったわけで、業界の事は何も知らないし、横のつながりもない。それ故に、その価値など全く分からないのだが、私が実際に確認したものにこのようなことがあった。
当時の養成施設の実技の教授であったゲオルグ・シュミット先生と写真を撮り、ランヅフートの卒業生としている店主がいたのである。
私が二人目であり、最初の修了者とはその縁で面識がある。
つまりは1.5人目と言うあり得ない人物が、『卒業生』として商売をしているのだ。
もうひとつは、最初の修了者からの突然の電話で発覚したのもだが、愛知県ではないここら辺の地域、とだけしておくが同じくシュミット先生との写真とシュミット先生がお手本で作って見せたものを写真であげて、自分が作った、もしくは卒業生のようにブログに出しているというものだった。
電話越しにもその方の怒りが伝わったものである。
なぜそのようなことが起こってしまうのかと言うと、このマイスターシューレは週末に市民講座を開催し、希望者は主婦であれ誰であれ参加できることにある。
レベルの高い学校の最高の実技の教授から直接指導を受けるとなれば、人気の講座に間違いない。
ミュンヘンで乗り換え、ランヅフート駅に到着する。
『そういえば、駅から見える風景は結構雑然としていたな』
修了して10年以上になるが歩き出すとその道すがらを思い出すものだ。
そうそう、駅からかなり距離があったな。
バカデカイ相棒が煩わしくなってきた。