見出し画像

ごてんまりの歴史が変わってきた

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

かつて本荘の”ごてんまり”は、江戸時代初期の慶長十八年に楯岡満茂が本荘城へ移った際に、城の御殿女中達が遊戯用の手まりとして作ったのが始まりだと言われていました。
2007年の秋田わか杉国体で販売・配布されたごてんまりの携帯ストラップには、こんなことが書かれた紙が添付されていました。


本荘の「ごてんまり」
本荘の「ごてんまり」は、赤白の房が三方に下がる華麗さと、模様の美しさで知られ、江戸時代初期の慶長十八年(一六一三年)に本荘城へ移った楯岡豊前守満茂の御殿女中達が、遊戯用の手まりとして作ったのが始まりと言われています。
毎年十一月に由利本荘市で開催される「全国ごてんまりコンクール」には、全国各地から「ごてんまり」が出品され、その美しさを競っており、丸いごてんまりは円満の象徴としてお祝い品や装飾品としても愛されています。

しかし最近では、江戸時代の本荘に何らかの手まり文化があったという記録はなく、本荘のごてんまりは昭和36年に行われた国体をきっかけに有名になったものであると、昭和の時期に焦点をあてた説明が一般的になっています。

江戸時代の本荘に手まり文化があったという記録はない。そして本荘の”ごてんまり”は昭和の時代に大きく発展したーー。

ごてんまりの歴史に関する説明は、なぜこれほどまでに変化したのでしょうか。
それには2011年『由理』という地域誌に掲載された石川恵美子さんの「『本荘ごてんまり』の歴史と今日的課題」という論文(注1)と、『秋田魁新報』がその論文を紹介した記事(注2)が大いに関係していると思われます。
この論文は、2002~10年年度に本荘郷土資料館で資料調査員を務めた石川さんが、当時の状況を知る人物として斎藤ユキノさんに直接インタビューした情報(他の関係者は調査時既に他界)と、市や県が発行した膨大な資料をもとに論考が進められており、非常に信頼性の高い内容となっています。
その結論が「したがって、『満茂説』は、童謡『鞠と殿様』による先入観から生まれ、本荘市が歴史的裏付けをしないままに、取材不足のマスコミが勝手に物語を作り、それを転載することによって広がった全くの虚構と結論づけられるのである」としたため、これまでの「本荘のごてんまりは江戸時代の御殿女中が作った説」が完全にひっくり返りました。

昭和36年当時を知る人の中には、本荘市がPRするごてんまりの歴史は「ねつ造」であるとか、牽強付会した故の「偽伝」だと批判する声もありました。(注3)
市の説明が劇的に変化したのは、直接的には前掲論文よりも秋田魁新報の記事の影響が大きかったと思われます。
地元で最も影響力を持つとされる新聞が取り上げたため、市もごてんまりの歴史観を見直さざるを得なくなってきたのです。
市商工観光部は記事の中で「市の宝であるごてんまりを後世に伝えることが何より大事。御殿女中説を採り続けるかどうかは検討の余地がある」とコメントしています。
上記のリンク先にあげた由利本荘市観光協会の説明は、2020年2月9日に発表されました。
つまり検討した結果「江戸時代から本荘のごてんまりがあったのは間違いだというのはほぼ証明されてしまった。このまま偽史を喧伝するのはまずい」という判断になったということです。

今までずっと「本荘のごてんまりは江戸時代の御殿女中が作った」と言ってきたのに、――”満茂説”初出の可能性として、石川さんは秋田県広報協会発行『あきた』昭和38年(1963年)11月号を挙げています――つまり50年以上も続けてきた歴史観がこうもしれっと変わるだなんて、なんとも妙な気持ちになります。
ただ、未だに変わっていないところもあります。
由利本荘市本庁の出入り口には現在もこういったディスプレイがされていますし、

江戸時代から続く悠久の技 民芸さいとう

「江戸後期から続く悠久の技」だそうです

2022年に秋田県が発行した冊子には、「江戸時代に本荘城の女中が作って遊んだものが庶民に伝わったとされ」と書いてあります。
この『SOU』という冊子は、現在羽後本荘駅などで配布されています。

秋田県の工芸 SOU
SOUの中身

いきなり全てが変わることなんてありません。
つまり今が歴史の過渡期ということなのでしょう。
そしてハード面より、人間の内面を変える方がよっぽど大変です。
何しろ50年もの間偽史というか、誤解が信じられてきました。
まだまだ御殿女中説を信じている人は少なくありません。
それなりに大変だと思いますが、ごてんまりの歴史は変わってきているんだよと、ごてんまりの新しい歴史観を自分なりに伝えていけたらいいな、と思っています。
こうしてごてんまりの歴史が変わる、この瞬間に立ち会えていることに、深い意義を感じます。


(注1)石川恵美子「『本荘ごてんまり』の歴史と今日的課題」『由理』第四号 2011年本荘由利地域史研究会
(注2)平成24年(2012年)3月9日付の地元の新聞『秋田魁新報』が「“御殿女中説”異議あり 50年前、勘違いが通説に」というタイトルで前掲論文を紹介した。
(注3)高野喜代一は『私記 北京 宮古島 家郷』1995年 秋田文化出版や『評論 青銅刀子』2003年などで、本荘市の語るごてんまりの歴史は偽りだと述べている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?