押入れと猫
僕は寺で育った。
父親が坊さん。爺さんも坊さんだ。
以前は「寺生まれ寺育ち」と言っていたのだが、冷静に考えてみれば生まれたのは近所の病院なので、前半部分は言わないようになった。でも、「寺で生まれたの?」と聞かれたときに「病院」と大概顔をしかめられる。なぜだろう。
寺ではだいたい土日に法事がある。地域によっては各家庭で法事があるという場合もあるのだろうが、都心の方ではそういったケースはレアになっている。
小学校低学年か、幼稚園の年長ぐらいの歳だった記憶しているが、ある日、年子の兄と追いかけっこをしていた。寺の中で。僕は「逃げろ逃げろー」と叫びながら走っていた。扉を開けた。その扉は本堂に入るための扉だった。
目の前には、黒い服をきた人がずらっと並んでいた。そして何人かがちらっとこちらを向いた。
法事中だった。
変な汗が出て、一目散に逃げた。
とにかく見つからないように、ひとまず押入れに隠れることにした。なぜかその押入れは両親の部屋のものだったので、随分と冷静さを失っていたのだと思う。
押入れにノートを持ち込み、ひたすら「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と書いた。ノートの表紙は名探偵コナンのイラストが刷られていた。
どれぐらい時間がたったかわからないが、押入れに光が差してきた。戸が開けられたのだ。そこには父がいた。さっきまで法事でお経を読んでいた父が。「終わった!」と思ったが、どうやらそんなに怒っていないようだったので安心した。
安心した一方で、疑問が湧いてきた。僕が入った押入れは二階の部屋で、父が階段から登ってくる音は聞こえていたが、特に迷う様子もなく押入れに向かってきたのだ。
ちなみに押入れに入ったのは人生で初だった。罰で入れられたこともなかったし、他の理由で自主的に入ったことも無かった。
どうして分かったのかと父親に聞いてみると、「こいつがいたから」と返ってきた。
「こいつとはどいつだ」と思い押入れから外を覗くと、そこには飼い猫がいた。
野良猫が我が家に産み落としていったので、結局飼うことになっていた猫だ。白黒の牛柄、雑種のイエネコ。そういえばこの子が家にきた次の日に劇場版の名探偵コナン第1作目を見たのだった。
どうやらこの猫が押入れの様子を伺っていたらしい。それで見つかってしまったわけだ。猫に告げ口をされるという情けない事態ではあったが、こっぴどく叱られるということもなく、一安心だった。
この猫も命を終えて8年以上経つ。病弱だが、そのくせ負けん気が強く、だいぶクセのある猫だったと思う。今でも家族と話していると、猫の思い出が話題によく上がる。
母親はイライラしたり、怒っているときは猫がすり寄ってきて、なだめてくれていたことへの感謝をよく口にする。そのおかげで離婚をしなかったらしい。縁結びの神様ならぬ、縁つなぎの猫様だったわけだ。
最近ふと思ったのだが、僕が押入れで取り憑かれたように「ごめんなさいごめんなさい」と書いていた時も、もしかしたら猫は心配してくれていたのかもしれない。ただ事ではないから、側にいてやろうとしてくれたのかもしれない。
そういえば、こんな格言があるらしい。
猫は時と共に価値を高めるヴィンテージ・ワインのようだ
「時と共に価値を高める」というのは本当にそうだ。白黒牛柄のイエネコにヴィンテージ・ワインは似つかわしくないけれど、思い出が熟成していくのを、もう少し待っていたいと思う。
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