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棘 【#2000字のホラー応募作品】

老婦人は飾り棚の上にぽつりと置かれたサボテンの鉢に、深く皺の刻まれた手を伸ばすと、そっと語りかけた。

「もう生きていても仕方がない。おまえを置いていくのを許しておくれ」

――事の起こりは昨今、巷に蔓延はびこる高齢者を狙った詐欺だった。
老婦人は決して不注意な人間ではなかったが、その生来の人の好さが災いしてか、まんまと詐欺グループの企みに引っ掛かり、多くはないが自身の生活を支えるにはまずまずの蓄えを根こそぎ騙し取られてしまったのだ。

長く一人暮らしだった老婦人には頼る身寄りとてなく、世間で聞く身内を騙った振り込め詐欺は無縁だと思っていた。だが銀行の職員を名乗る男に、システムがどうの、移管がどうのと難しい単語を滔々と並べ立てられ、不安に駆られたのがいけなかった。
孫と言ってもおかしくないような若い男性の ” 懇切丁寧な説明 ” のままに金を振り込み、気づいた時には身ぐるみ剝がされていたという訳だ。

卑劣な手口に憤るより、いともあっさり騙された自分の浅慮を恥じるあまり、どこかに相談しようという気すら起きなかった。

——元より世間の片隅でひっそりと暮らしていただけの身、今更自分がいなくなったところで、誰ひとり困りも哀しみもしないだろう……

老婦人はふらつく足をこらえて立ち上がると、長年暮らした古い家の中をぼんやりと見回した。

老いた身ではろくな世話もできぬと、犬も猫も飼ってはいない。唯一、手のかからない一鉢のサボテンだけが、老婦人の慰めであり話し相手だった。
もはや生きる術もない今となっては心残りとてないが、ただこのまま残されるサボテンが不憫でならなかった。

昔ながらの欄間の下に小さな踏み台を運んできた老婦人は、脇にある飾り棚に片手をかけてゆっくりと台の上にあがった。うっすらと埃の積もった欄間から、古い部屋には不釣り合いな真新しい麻縄が、しんと垂れている。
老婦人は震える両手でそのざらざらとした荒い縄を握ると、飾り棚のサボテンに目をやった。いつも自分の眼と同じ高さにあったサボテンが、今はずいぶんと下に見える。

「ああ、ほんにすまない……どうか、誰かに世話してもらっておくれ……」

それが最後の呟きだった。
老婦人は垂れた縄の穴に首を差し入れると、迷わず足元の台を蹴った。
老いた小さな身体が、飾り棚のすぐ前にだらりとぶら下がる。恨みとも嘆きともつかぬ呻き声が、壁に柱に、じわじわと沁み込んでいく。

やがて部屋は、再びしんとした静けさに包まれた。日の陰り始めた部屋の中で、色褪せた畳の上に案山子のような影が長く伸びる。
儀式の終わりを告げるように、欄間がみしりと軋んだ。


「今日のばあさん、結構なアガリでしたね」

裏通りに並ぶ煤けたビルの一室で、淀んだ目つきの男が口元にだらしない笑みを浮かべて言った。首尾よく巻き上げた金を数えていた他の男たちが、一斉に下卑た笑い声を上げる。
部屋の隅に置かれたソファに、埃で曇った靴を履いたまま寝転がっていたリーダーの男が、まだ火の残る煙草を無造作に灰皿へ放り込んだ。吸い殻の溜まった灰皿から、ヤニのくすぶるにおいがねっとりと立ち上る。

「どうせ年寄りなんざ、しこたま貯め込んだ挙句にボケるか、さもなきゃぽっくり逝くのが関の山だろうよ。老いぼれババアより、先のある俺たちが使ってやった方が金も喜ぶってもんだ」

部屋の中が、驕りとへつらいに満ちた笑いでどっと湧いた。
久々の成果と手下の追従笑いに満足したリーダーは、ぱんと膝を打ってソファから立ち上がった。

「よし、早速アガリの分配といくか。まず取り決めどおり俺が半分取って、残りをお前らで……うあぁっ!」

山と積まれた札束に手を伸ばしかけたリーダーが、突如、頭を抱えて床に倒れ込んだ。

「おい兄貴、どうし……ぎえっ!」
「ぎゃあっっっ」
「何だ、これはっ……!」

狭い部屋は、一瞬で阿鼻叫喚の坩堝と化した。
仲間が次々と奇声を発して床に倒れ込む姿に、訳も判らずとにかく部屋から逃げようとドアに駆け寄る者もいたが、廊下に出るや出ないやのうちに軒並み昏倒するばかりだった。


「――何とも奇妙ですね。ある者は眼球、ある者は内臓……リーダーに至っては、脳にびっしり細かい棘が刺さっています。こんな症状は見たことがない……」

突如として原因不明の激痛に襲われた詐欺グループは、あの騒ぎの中でどう助けを求めたのか、続々と夜更けの病院に運び込まれた。
しきりと首を傾げる医師が指し示すとおり、身体のあちこちに棘の影が写ったレントゲン写真を前に、通報を受けて駆けつけた刑事たちは困惑の表情を浮かべて、ただ立ち尽くすしかなかった。


――ちょうどその頃、暗く湿った部屋の中で、老婦人の体は音もなく宙に浮いていた。
そのすぐ横では、棘のほとんど抜け落ちたサボテンが血のような赤い液体を流し、飾り棚の上で静かに枯れ果てていた。

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