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私のヒーローアカデミア

本日2024年8月5日(月)『僕のヒーローアカデミア』が完結いたしました。きっと読んだ事ない人もいると思いますが、私なりの魅力や見方を残すので興味が湧いたら是非読んで(観て)みてください。※特大ネタバレします。

主人公がチートなのにチートじゃない物語

ジャンプ愛読家としてジャンプ作品でよくある共通点って、主人公がチート級の設定を元々持ってるorチート級の力を持つ、なんですよ。大体敵側の生命体との半分半分だったり、元々すごい家系だったり、実は伝説の存在だったりって本当に多くて。まあそっちの方が主人公が危機に面していて「流石にこれは負けてしまうのでは!?」みたいな状況になっても復活する術が簡単なのでね。同レベルで話していい訳ないけれども、私も作品を書くときに主人公に何か特別な設定を入れると状況を一転させるのが簡単だなと思ってそうする時があります(笑)あと結末が作りやすい。結末でこけるとそこまでの面白がゼロになってしまう時もあるから悲しいですよね・・・書いてる側からすると色んな理由やそうしなければいけない事情があるけれど、そんなの読者からしたら関係ないし勝手に考察して「こういった結末がいいと思う」なんて言い出しやがる。まさに私。今回の『僕のヒーローアカデミア』(以下ヒロアカ)も勝手に最終話を予想しておりました。

全っっっっっっ然予想と違う!!!!!!!!!!

ヒロアカも一応主人公チート系漫画なのですが他の作品と大きく違う点があって、それは【主人公のチートに時間制限があるという事】条件によって発動しないとかではなく、人に付与すれば確実にその力がなくなる事を第一巻から示している。特殊能力(個性)が当たり前の世界で主人公のデクが無個性として生まれ、オールマイトから人に与える個性を受け取るところから物語は始まり、中盤では力を付与したオールマイトの力がなくなるシーンを大体的に描いていて私も号泣でした。あそこまで「この力はなくなるもの」というのを示唆されていると、デクもきっとなくなるんだろうな〜とは予想していましたが、力を与える(手放す)事でしか敵を倒せないというのは、堪らない皮肉と少年漫画とは思えない現実性で度肝を抜かれました。

敵の正義性が理解できないのに泣ける

バトルものの作品で敵側にも感情移入できる事情があるっていうのはよくあるし、戦争なんて代表例ですけど(大前提戦争は否定しますが)、ヒロアカの敵たちって確かに可哀想な生い立ちだったり立場ではあるんですけどその正義に理解が得られるかというと少し違うんですよね。それなら仕方ないか・・・とはならないんですよ(笑)いやおかしいだろ!そうはならんだろ!!ってなるところが本当にすごくて、普通万人が理解できそうな、多くが共感してしまうような内容にするじゃないですか。なのにそうしない事によって、主人公たちが一瞬で敵を理解することができないのがいいんですよ。わかりやすい正義が敵にあったら、登場人物と共に読者も敵を理解し終えてしまう。理解し終えたと思った人間はその相手を見なくなる。敵を見なくなるということは主人公達と敵の戦いの意味を考えなくなる。なぜならどうせ勝つから。ここめっちゃ大事。どうで勝つんですわかっているんです主人公が勝つことなんて。少年漫画でバットエンドってほぼ見たことないです。どんな形であれ幸せになる。それが夢や勇気を与える。んなこっちゃわかっている、なのに戦いに目を向けさせなければいけない。それって本当に難しいことで、だから最近日常系や雑学系の漫画やアニメが流行っているのではないかと。
じゃあ結末わかってるのになんで見るかって、その戦いになの意味があって、どう戦ってどう勝つかに興味が湧くんですよね。勝ったという事実ではなく、どう勝つか。どう勝つかってことは、敵がどう負けるかが大切ってことなんです。ヒロアカの敵達の中で理由に共感できるキャラもいます。ただ主に主軸の死柄木とトガヒミコの意味がわからない。いや、わかるんですけど理解が難しい。めちゃくちゃ個人的に要約するととにかく認められなかったから、酷いことされたから壊したい。なんですよね。破壊の欲望ってのを私は感じたことがないので、何か嫌なこと、屈辱的なことがあったら変えたいと思うじゃないですか。だからスピナーってキャラは変えたいと願うんです。壊したいという死柄木の下に着く中で彼は世界を変えたいと願う。これは理解しやすい正義なので、スピナーとデクの戦いならわかりやすいというか、まあよくあるというか・・・

最終決戦は、勝敗ではなく理解

バトル漫画の最後の方ってもう作画が戦いメインなので見るの大変になるんですよ。この足はどっちの?このバーン!!は誰が誰を蹴ったの?って。だからこそヒロアカの最後決戦はすんばらしかった!!!!!構図は特別なわけでなく、敵の組織VSヒーローの組織の総力戦という感じで大体の漫画がそうなります。
ただ!!!!!主人公達が敵をここで初めて理解するんです!!!
そして!!!!!彼らはまだ高校生!!!!!というか高校1年生なので16歳・・・は?という感じですが、だからこそ他人の憎悪や復讐や癖、性質、興奮が簡単には理解ができないし、難しいんです。24歳の私ですらわからないのに。
理解の工程を最終決戦前に終わらせて、決意させて戦わせる。私なら安易にそうしてしまう・・・何故ならわかりやすいからです。そこを堀越先生は最終決戦の大きな見せ場として主人公達の理解の過程を見せるんです。
んで色々あって(ここは本当に色々ありすぎるのて見て)そりゃ勝つんですけど、その後がただのハッピーじゃない。何故なら彼らはまだ理解の処理の仕方を知らないから。ここで出てくるのがヒロインの麗日お茶子ちゃああああああああああん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

変な思春期と勘違いしたアンチ許さねえからな

一瞬話題に上がったんです。お茶子ちゃんとデクのラブロマンスがあるんじゃないかって。確かにそう思わせる台詞運びと話の割り方されるんですけど、そこで騒ぐ様じゃまだまだだな、と思っておりました。
お茶子ちゃんとデクの繋がりは恋愛要素だけじゃ語れないんですよ!(無くはない)
人を理解する、他者を受け入れる。受け入れた相手を殺す。
この事実が重なった相手なんていないじゃないですか!!だからこそ恋心に蓋をしているお茶子ちゃんが可愛すぎるし、同じことで悩み苦しむデクとのあのシーンは・・・作画も相まって一番泣いたかもしれません。
あそこのコマ割りが天才なのでぜひ見てほしい、お茶子ちゃんと全く同じ順番で感情が上がって涙が出てきます。あれすごい。目線が下に動いていくのに感情があげられるの本当にすごい。目線が落ちることによって己の目に涙が溜まっていることを自覚してしまうのが辛い。

終わり方


作品のラストの正解は作者様です。作者様が正解なのです。
私たちは作者様の作りだした世界を、見させていただいてるのです。
あーがよかったこーがよかった、なんて意見をする権利なし!!!!!

0から1でヒロアカの世界を生み出してくださった。
デクを、かっちゃんを、相澤先生を(推し)生み出してくださった。
私の演劇人生のモットーとして、作者が一番偉いと思っています。脚本書いてる私が偉い!とかではなく、作品を上演する以上その世界の創造者がいなければ私たちは存在することができない、だkら一番大切にするべきと先輩に教えられ、私はその通りだと思ってます。
だからヒロアカの正解を見させていただいて本当に感謝です。

堀越先生本当にお疲れ様でした。
届く訳ないけど、いつかお会いできます様に、明日も白塗りをして競泳水着で撮影してきます。



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