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現実を捉えることの難しさ

2月12日

村上龍『明日できることは今日はしない』の「私が子供の頃、ストレスで死ぬような人は少なかった。」を読んだ。

文章の中で女子高生の援助交際について触れている。
女子高生の援助交際って今でもあるのだろうか?
今のパパ活とは違うように感じるし、高校生っていうのが今では少ないように感じるけどどうなのだろう。大学生のパパ活とかは多そう。
女子高生の売春が流行っていた時代というのもすごいなと思う。

村上龍は、援助交際が流行している事の社会学的な意味については興味がないと書いている。でも彼女達についてなぜ援助交際しているのか、どのような状況に晒されているのかは直接対話をして考察しているし、なんとなくわかると書いている。その抽象的な観念が次の小説のテーマだとか。

『KYOKO』のテーマは、「キューバの音楽とダンスと生きていく上での最優先事項」らしい。
女子高生達は絶望していて『KYOKO』で描いたような最優先事項について考える事が虚しくなってくると書いている。

今の私にとって彼女達は何に絶望していたのか、『KYOKO』はどのような最優先事項についての問答なのかどっちも全くわからない。でもなんだか『KYOKO』には興味をガシガシそそられる。

その文章の途中で「ある何かが本当に欲しかったら、人を殺して奪ってもそれを手に入れようとする、というのが私の基本的な考え方である。」という文があって、マジでこの人ぶっ飛んでるなと思ったけど、それはつまり欲しかったら人を殺すかどうかの天秤にかけるほどの強度で努力をするということで、つまり大掛かりなレトリックである。このエッセイを読んでいるとそんな人間性はすぐにわかる。
たぶんこの人は何でも成し遂げるな、と感じるような意欲の塊みたいな人。

そのあと昔は過労死は少なかったとあり、それは働く事が国家の目標でなくなったからだ、とある。

 それは、必死で産業界で働くことが、国家的な目標ではなくなっている、と誰もが暗黙のうちに気付いているからだ。
 人々の興味は、ゆとりを持って生きよう、という標語の奴隷となってしまっている。
 当たり前のことだが、余暇なんかの中に充実感があるわけがない。
 あと七十年も生きなくてはならない女子高生達は、少なくともそのことには気がついている。じゃあ、小説を楽しみにして下さい。

趣味をもった方がいい、人生が充実するから、という事をたまに言われたりする。趣味をつくると人生が充実するなんていうことは絶対にないと思っているけど、そのことをちゃんと言っている人に初めて出会った。そう、余暇に充実感などない。私は何のために生きているんだろうと素朴に思ってしまう。

一方で美味しいものを食べられればそれで幸せ、という人がいたりする。それもすごいと思うと同時に羨ましいと思ったりもする。



2月13日

同僚が退職した。
社内にはそれなりの問題があるが、noteでみんなが書いているように何か主張を持ってというか意味を持たせて書くことはできない感じがする。特に思うところもないし、人生にとって重要ななにかがあるようにも思えない。


なにか現実が現実感を持っていない。なんとも言えない嘘っぽさを感じる。でも現実ってやつはある時突然するどい牙を向けるので厄介だ。
私の捉える現実感なるものがそもそも疑わしいものなのかもしれない。仕事が忙しかったときだけそのようなことを考えなかったような気がする。

森博嗣は、「現実とは、現実とはなにか?と問う時にだけあらわれる幻想だ」と作品内で書いていたけど、なんかかなり複雑な問題を扱っているような気がする。

現実なるものは主観であり、常に偏向している感情的なものを捉えていて幻想と言っても過言ではない。
「現実」とかいう概念で人間存在の複雑な状況を認識できると思うこと自体間違っていて、ある主体には途方もない状況が常に押し寄せていて、「現実」という認識で捉えることは幻想みたいな不確かなものにしかならない、だから幻想だ、と言っているようにもみえる。



2月14日

社内の状況を分析するために同僚についてのメモを書いた。


風邪気味になった。熱はないけど頭痛とか身体のだるさが少しあった。
人って症状が無くても結構ウイルスに感染してるみたいな話があった気がする。
コロナ以前は結構何かに感染しているというか免疫力が下がっているというか変な感じがよくあったけど、コロナ以後は感染症に対しての予防の意識が高まったからか、風邪って全然ひかなかったけど何年ぶりかの風邪気味になった。

あとコロナの時は、アスピリンで身体に侵入したゴミを清掃してくれるインターフェロンγなるものを出すことができるので感染症予防になるとか言っている人がいて、私もバファリンAを半錠飲んだりしていた。

今は免疫力が下がっているのだろうか。
睡眠もストレスも食事も大して普段と変わってないし、感染しそうな人との交流もないので変だなと思ったけど、まあ風邪なんてそんなものだろうか。



2月17日

図書館に行った。
新着図書にあった本がいいなと思った。



2月18日

また微妙に風邪気味な気がする。
熱はないんだろうけどなんともいえない菌とかウイルスに対しての耐性が弱ってそうな弱体感がある。絶対人混み行ったらやばい、みたいな感覚。

体温が低いのだらうか。
もう感染しているのだろうか。
それともやっぱり、今弱ってますよというサインなのだろうか。
今弱ってますサインならすごいなと思う。
何かがなんとも言えない弱体感の信号を発しているのだろうか。



本を買った。

この記事で紹介されている適職を探したり、自己分析をする方法についての本。

自分にあった仕事を見つけるためには、仕事にどのような感情を持つかを見極めることが重要だとある。「安心感」「好き」「おもしろい」「知りたい」「ワクワク」「役に立てる」「フィット感」の7つの感情のどれかがあったらすでに向いている仕事だと言っていいということが書いてある。

好きとか面白いっていうのはわかるけど、安心感とかフィット感てその仕事が向いているとは思わせない感じがしていた。でもストレスとか、プレッシャーとかを感じずにできる仕事っていうのはもうその時点で向いている。

それらの感情が湧くような仕事を探すのに、77個の動詞を導入するらしい。
記事で紹介されているのは一部で「つくる 育てる 伝える 学ぶ 見つける(わかる) 変える 味わう きれいにする 巡る 増やす ねらう 癒やす 乗る 磨く 計画する 蹴る 教える 防ぐ(守る) 探検する 飲む 駆け引きする 組み合わせる(融合する) 表現する 狭める 導く 祝う(プレゼントする) 彫る なりきる 切る(わける) 読む 繰り返す 奏でる(弾く) 促す 明かす(解明する) シンプルにする(短縮する) 築く 話す 分析する 感じる つながる」とかがあげられている。

感覚的にピンとくる動詞をつなぎ合わせて、仕事を検索し、その仕事や作業が、7つの感情にマッチするかを見ることでライフワークや天職みたいなものをみつけるって話らしい。
なんかうまいことやってるなと思う。

この本はライフワークとか天職みたいなものを探すための手段として紹介されているけど、もっと身近に活かしていけそうだなと思った。
例えば、次のプロジェクトはどんな動詞と感情を結びつけるものにしようかとか、自分が動画制作するならどんな内容にしたら自分にとってしっくりくるかとか、そういう考える基盤にできるなと思ったりした。


noteを読んでいるとなんとなく文章を書いていくモチベーションが上がるというか、書くための着想を得るというか、書くための歯車が回るみたいな感じがした。読んだほうがいいのかもしれない。


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