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「感情による認知の歪みと呪いの解き方について(3)」

 選挙期間中なので公開をいったん止めていましたが、選挙前に公開しない意味がよくわからないと自分に突っ込んでみた。
 現在も活動中の議員についての私見を挟みます。
 あくまで私見です。誰なのか気づく方はすぐに気づくと思います。
 睡眠時間も削って活動しているだろう彼を応援している方は、わたしに対して腹立たしく思うかもしれません。彼の時間をいただいたかもしれない。
 傲慢かもしれませんが、時間を止めたとは思っていません。その時間が何処かに還るのかどうかは、今は知ることはないです。

 期日前投票を済ませてきました。Twitterの方に書きましたが、わたしは「誰に投票したか」は人には尋ねません。全ての人が「自分が国の政治を預けたい人物に自由に投票する」権利が守られるのが民主主義。日本は民主主義国家。
 でも親戚や仕事先宗教関連様々なしがらみの中で、「誰誰に入れて」とかなり強行に頼まれたりすることが現実にあります。そのしがらみの中で、頼まれてなおかつ約束までしてしまった人物ではない人に入れるというのは、社会生活の中では難しいこともあるようです。それもあって、選挙は誰が誰に入れたか絶対にわからないことが基本になっていると個人的には考えます。誰に投票したか個人が話すことは違法ではないです。
 違法ではないですが、そういうわけでわたし自身基本は誰に投票したか人に話さない習慣があります。
 ただこの人物、政党については、比例でわたしにとっては二択のうちの一つでしたとだけ、わたしの変化として記しておきます。
 震災当時のことを思い出すと、そんな八年後が来たことがとても信じられません。
 実名など様々割愛しながら、講義録に戻ります。


「2018年6月のわたし」

 変化について、とてもいい例だなと思って、ある参議院議員について今日話そうと思ったんだけど。
 よくわからないところもたくさんあるので、ご本人に三日前に手紙を書いてみました。乱暴者なので本人に聞くよ。でも匿名じゃないからそんなに乱暴者じゃないよ。
 書いたの三日前なので、もちろん今のところお返事はないです。
 7年半経って初めてお便りしたので、若干感情的です。今はね。

(学生には手紙を実際に読んでもらいました。
『福島県への差別者は、ほとんどの方が脱原発という言葉と一緒にやってきます。私にはその筆頭があなたでした。
そのため私は、脱原発を訴える人と闘い続けたわけです。
しかし、この地震大国日本では、脱原発は一刻も早く為されなくてはならないことです。福島県の子ども達を差別に晒したのも、原発です。あなたではない。けれどあなたはその差別を、大きく増長させた人物の一人だと私は認識しています。
けれど最近国会中継から聴こえるあなたの言葉は時に「正しく」聴こえる。あなたがもし、七年の間に様々学ばれて、「人々を守りたい」という意思のもとに動かれているのであれば、私は今後あなたの言葉を聴かなければならないと思います。
けれどその前にあなたにも、歪めた認知の責任を行方、被差別者を知ってほしいのです』
要約するとこうした内容です)

 この参議院議員は、震災当時、放射能に汚染されていて福島県に人は住めないと声を上げた。
 彼だけのせいじゃないけど、福島県の人々は差別を受けてきました。これからも受けるでしょう。この差別が終わる日は来ないと、わたしは思います。でも終わらないからといって、絶望しない。向き合っていきます。疲れるけどね。
 わたしは彼を許さないと思っていたけれど、最近彼の真っ当と思える言説が耳に入るようになった。
 そんで手紙を三日前に出して、今日ここに参りました。


 きれいでしょ。うちの近所。最近撮影したものです。
 こんなきれいなところが放射能で汚染されているわけがないと、意図的にみなさんの感情に訴えて認知を歪ませようという意図と、きれいだから見て、という二つの意図でこの写真を選びました。
 こうやって、真意が二つあったりしたらなお厄介ですね。

 福島第一原発の近く、帰還困難区域指定された地域も、八年前は美しかった。

 これは震災後の浪江町。

 これこの間。うちの近所。夏至の日。一年で一番日が長い日。
 わたしが彼に書いた手紙を読んで、よく考えて、判断して、訪ねたいと思ったときは遊びに来てください。今からは福島は桃がおいしい。

 わたしがこの手紙を書いた理由は、手紙に書いてある通りです。
 七年の間に、わたしも彼も、変化している。
 そして七年の間の何処かの時間で、わたしの認知も彼の認知も、歪んでいた。
 顔も見たくないと思っていたけれど、彼とわたしの目指すところは、同じなんじゃないかと、最近の彼の言葉を聞いていると思うこともあります。
 人の暮らしをよりよいものにすること。弱者に寄り添うこと。
 同じ望みを持っている者ならば、敵対視していてはもったいないよね。
 彼はわたしが見ていなかった間に、知って変わったんじゃないかと思う。更に言えば今後、わたしも彼もまた変わる。
 その上、状況も変わる。正しいと信じた数字さえ変わるかも知れない。
 その変化は、ちゃんと見ていないとわからない。
 そして変化の中で、彼は間違っているか、彼は正しいのか、わたしは間違っているか、わたしは正しいのか、判断しなければならない時というのが、あると思うの。
 この彼というのは、この議員に限りません。
 たとえば家族、友人、先生とか、今目の前にいるわたしとか、これから社会に出たときの、上司、同僚、家庭を持ったときの伴侶、伴侶の家族。もしかしたらいるかもしれない我が子。
 彼が、わたしが、今、どうなのか。
 判断しなければならない岐路は、人生に何度でもやってくる。

 最初の話、覚えてる?
 「プラトーン」というベトナム戦争映画の話。エリアスとバーンズ。
 ない? そういうこと。
 ああしたらいいのか、こうしたらいいのか、どっちが正しいのか、正しくないけどした方がいいのか。自分の中の会議。右の天使、左の悪魔。
 両方自分。自分の中にいる。
 そしてなんとエリアスとバーンズは、その時々でどっちが正しいのか完全に正義が逆転する存在です。
 これは、倫理という意味ではなくね。
 アメリカ本国にいれば、ニューヨークにいたなら正しいのはエリアス。
 けれどベトナム戦争中の最前線の密林で、部下を生き残らせるのはバーンズ。正しいのはバーンズかもしれない。
 時と場合で、心の中のエリアスに従うか、バーンズに従うか、判断しなければならない大きな岐路は、人生には度々訪れます。
 そのとき生き残るためにどちらに従うかを判断する力は、知ることだと思うの。
 知って、認知の歪みを解く。

 生き延びて、新兵のクリスは帰国する。
 そしてバーンズが正しくなくても、撃ち殺してはならない道理を、わたしは持ちたい。
 バーンズを撃ち殺してしまうわたしの認知は今もなお、歪んでいます。衝動で引き金を引く自分を止めるためにも、もっと、知らなきゃいけないことわたしにはたくさんあるんだと思う。

 わたしは一昨年まで、国内旅客機にほとんど乗りませんでした。日本航空123便墜落事故があった1985年8月12日からその夏休みはただニュースを見続け、中学生だった。同い年の少女が、生き残った。彼女が家族と最後にどんなときをその機体の中で過ごしたかを知り、落ちていく飛行機の中で書き残された手紙読み、その後三十年にわたって、毎年その日に手を合わせて、当時の状況を伝える情報を見続けた。
 その中にわたしが見落としていた情報がありました。
 その1985年8月12日以来、国内旅客機での死亡事故は一件も起きていない。交通事故の死亡者数は昨年、2017年一年で3,694人です。
 一昨年からわたしは国内旅客機を積極的に使用するようになりました。
 昨年羽田から飛び立って北九州空港に降りて行くとき、海が見えて、この高さなら落ちても助かるとほっとしました。
 わかっていてもまだ怖いんです。感情とは、そのくらい厄介なものです。
 人間に感情があるのは当たり前。
 だからこそその感情に悪い方向に支配されないように、たくさんの判断材料を知っていきましょう。

 そうして知ることによって、自分や誰か大切な人を助け守り、不用意に他者を傷つけなくなったときに。
 今現在の日本では、残念なことに、知った上で考えて行動や発言をする自分が、少数派だと知ることになるかもしれせん。
 それはおかしいと声を上げるときに、あなたがおかしいと指さされることも罵られることもあるかもしれません。
 例えば、この講義を受けているみなさんなら、セクシャルハラスメントや性被害の是非は学んでいるかと思います。
 被害者に責任を絶対に問うてはならない。
 それが今現在通用しない社会であることも、もしかしたらみなさんは既に学んでいるかもしれません。そういう社会。現在は。残念ながら。
 けれどそのときを恐れないで欲しい。
 自分が知ろうとする少数派になる日を、恐れることはないです。
 何故ならそのときには、あなたがたはちゃんと強くなっています。
 おかしいと言われたときに、きちんと知識が自分の中に積まれていれば必ず自分を信じられます。自分が正しいと意固地に思い込むことではないよ。他者に否定されても、もし声を上げられなくてもね、上げなくてもいいんだよ? ここも大事。
 物事の道理、ことわりを知っていること、それがそのときに、自分を守る強さになっています。
 それって、歩道だって知ってるから、ダンプが暴走して突っ込んで来ても、わたしは歩行者だから歩道を歩き続けることではないの。
 ダンプが歩道に突っ込んで来たときに、車道を走るべきダンプが歩道に突っ込んで来たので、死なないために歩行者の自分は車道に出た。
 そういう風に、ことわりが見えていればいい。大丈夫。

 わたしが7年以上経ってこの議員に手紙を書いたのは、ダンプじゃなくて人間になったのかも。お互いにと、思ったからです。その判断が合ってるかどうかはまだ、わからない。合ってるといいね。

 ことわりを知る。
 わたしもまだそこに向かう道のりの中。死ぬまで続く道です。
 自分の正しさを繰り返し疑うことも大切。疑ったら、事実を知りに行く。そのたびに強くなる。
 知ることは必ず、わたしを守る。
 あなたを守る。
 それを覚えていてください。

 講義は以上です。

 後日、わたしはこの議員にもう一度メールを書きました。
 最初に申し上げるべきでしたが、どれ程お忙しい毎日なのか拝見しておりますのでお返事は求めておりませんという内容です。
 公式な窓口を通して誠意のある対応があったとだけ、この件については記します。
 彼は初手で言葉選びを間違えた。知識も足りなかった。こうした陳情、批判は後を絶たないことと思います。
 わたしは彼の言葉を聴くのに7年という時を要しました。それは福島県に住んで差別を目の当たりにしているわたしの感情による認知の歪みでしたが、それだけ大きな感情でした。そして講義で話したように、今後わたしも、他者も、社会も、また変わっていきます。 

 講義内容は以上ですが、2019年3月11日のわたしに続きます。こちらはFC2ブログの内容ですので、転載前に読まれる方はブログを読んでやってください。

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