「信州まつもと大歌舞伎 夏祭浪花鑑」千穐楽客席から(2021.6.22)
二十日に生配信を観て、翌日劇場に電話して千穐楽のチケットを買ってそのまま片道五時間の長野県松本市に行きました。
衝動的に行ったけどいろいろいろいろ考えはした。タグをつけていない勘九郎さんへの感慨を呟いたツイートをファボってくださったホテルに泊まりました。
我慢した方も多くいらっしゃったであろう客席についたことは、やっぱりどうしても申し訳なく思います。その客席から見た景色を、わずかにですが報告させてください。
わたし自身とても久しぶりの大きな劇場でした。チケット申し込みの電話から、本当に丁寧な対応でした。慣れているのに一つ一つあたたか。そう感じました。
この一年半かなり自粛気味だったわたしには十分すぎる盛況でしたが、多くの通常行事を抑えての公演だったと最後に知りました。
まず入り口で光る内輪が入った封筒を渡されました。カーテンコールの時に、舞台上の方々に「花火を見せてほしい」とのことでした。
法被を着た劇場スタッフのみなさんはそつなく、けれど全てが愛情と感慨に溢れて見えました。気のせいではないと思います。
たまたま通路側の席でした。この状況でなかったら盛大な客席降りがあったそうです。それはいつの日か経験したい。
休憩なしで二時間と少しにまとめた公演が終わって、通路に法被のスタッフさんたちが中腰で入ってきて屈みました。
まず四階席から舞台上への、ありがとうの弾幕が盛大に下がる。
客席一人一人の手元から、花火が振られました。
笹野さん、七之介さんが泣いていました。松也さんは感慨深く劇場を見回しながら、足元がその景色に囚われたように無意識にうろうろと歩き回っていました。
勘九郎さんはしっかりとした重石として、ずっと堂々と立っていました。
笹野さんのお誕生だということで、お誕生おめでとうの弾幕が降りました。屈んでいるスタッフさんたちに緊張感が生まれて、何が始まるのだろうと思ったら、「ハッピーバースデー」と飾られたバルーンの神輿が二台、場外から回ってきて笹野さんのために無言で大きく掲げられました。
笹野さんにはとてもきれいな花束が渡されて、泣いて挨拶なさった言葉は途切れ途切れでした。ふざけようとしてもどうしても泣いてしまう笹野さん。
切り上げは早かったです。
心は残ったけれど早く帰ろうと、せめての観光の気持ちでタクシーと同じ場所にいた人力車の方に駅までお願いしました。
「同乗してもいい? 乗りたかったんだけど一人では恥ずかしくて」
地元のご婦人に尋ねられて、旅行者であることを打ち明けました。人力車の方と二人で、
「そんな遠くから!? ありがとう! 観光させてあげたい。松本三大祭りなのよ。いつもならお蕎麦のふるまいもあったりね」
そう言われて、「また来ます」と相乗りで駅に向かいました。
「私は勘三郎さんが大好きなの」
ご婦人が勘三郎さんの思い出を語ってくださって、黙って頷きながら聴いて松本の町を眺めて、涙が滲みました。
何故なのか自分でもよくわからないのですが、私はまだ勘三郎さんの死を受け入れられていないです。亡くなった日に南座に立っていた勘九郎さんと七之介さんが額を舞台に当てるほどに下げて、「どうか私たち兄弟をお見捨てなきよう」と勘九郎さんが声を上げたことをさっき見たように忘れられないけれど、深くは考えられない。
配信で勘九郎さんを観たときに、これはわたしの勝手な感想ですが、やっとお父さんと重ねて考えることをわたしがやめることができたと感じました。
町中に勘三郎さんの気配。町中に勘三郎さんへの言葉。本当にあちこちに写真がありました。
舞台の真ん中にしっかりと立つ勘九郎さん。
たまたまこの状況の中、初めての生配信があって感想を呟いたら、松本の方々が見てくださってそれで思い立って行ってしまった。ご迷惑かもしれないと、緊張がありました。
「普段はもっと賑やかなの。チケット取れないの。今回だから取れたのかもしれないわね。よかったね」
人力車のご婦人が言ってくださいました。
「だけど今回チケットは売れないんじゃないですよ。満席にしないようにしてるんです」
人力車の方が、それを細かに説明してくださいました。充分賑わって感じられた劇場ですが、確かに客席は完全に埋めてはいませんでした。
お二人に頭を下げて松本を離れました。
叶うなら多くのことが晴れた日に、また必ず訪ねます。
いただいた定式幕三色ひまわりは、会津できれいに咲いています。
ありがとうございました。
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