「天空の城ラピュタ」(1986)/昨日観たわたしのただの感想
感動すると感想を書きたいという病。
ただの感想ですがネタバレを含みます。
長らくテレビが映らなかったので、「金曜ロードショー」を観る習慣がない。ないのだけれど金曜ロードショーでやったのでラピュタの話題が目について、持っていたDVDを昨日観た。
このDVDを何故持っているのかが謎である。何故なら久しぶりに観たら、わたしはラピュタをそんなに何度も観ていないことがわかった。ナウシカやトトロは「次この場面」だとわかるくらい観ているけれど、ラピュタは途中覚えていないところがあって新鮮だった。
とはいえ印象的な場面や大筋は覚えている。
と、言いたいところだが物語の大筋は、
「こんな話だっけ? 随分よくできた話だな!」
という感動があったので、過去に観た時に物語をよく理解していなかったのだと思う。
このDVD、何故うちに……?
びっくりしたのはもしかしたらドーラの年齢を追い越したと気づいたことだった。
「女を五十年やってるとね」
みたいな台詞が出てきた。
わたしは五十四歳だ。
年下なの? ドーラ。いやでも体力はわたしの百倍あるよドーラ!
五十四歳のわたしは、昨日「天空の城ラピュタ」から三つの感動を得た。
一つはきっといつ観ても思う。
美しいな。美しい。美しい。
ひたすら美しい。
あの緑の中を歩きたい。
もう一つは、「人間の欲望の大きさの許容範囲」について考えた。
兵士たちのラピュタでの略奪は本当に醜い。ムスカの欲望の大きさは簡単に世界を滅ぼす。
ドーラたちが最後、ラピュタの財宝を見せて笑った。
兵士たちの略奪を見て「ひどい」といっていたパズーとシータも笑った。
「わたしも笑ってしまう。していることは兵士たちと同じかもしれないのになんでだろう?」
ちょっと考え込んだ。
心根の問題もあるのかもしれないけど、「限度」な気がした。
たとえば喫茶店で角砂糖を一つ紙に包んで、持って帰って誰かに「はいおみやげ」と渡したら、ほめられたことじゃないけどいたずらの範囲だと思えるかもしれない。
でも十個二十個とビニール袋に入れて持って帰ったら、「限度ってもんがあるでしょ」となる。どちらも窃盗罪に問われるのは同じなんだろうけど。
物に限らず、自然に生えてるものなんかでも「ちょっといただく」のと、「利益が発生するほどいただく」のはわたしの受け止めが違う。
この「受け止め」が個々で違うから大変なことになったりするのかなとか、昨日は考えた。
ジブリ、いや、パズーとシータとは、受け止めが一致した。
一方で、「石と生きてきた」ポムじいさんの高潔に胸を突かれる思いがした。
ポムじいさんは多分、シータの飛行石に心を動かされて「人のものがほしい」という得たことのない感情が湧いて戸惑っているように見えた。きっと初めての邪悪な思いだろうに、
「その石をしまっておくれ」
と、自分を制する。
そんな人間になれたらなりたい。
この場面には感動した。
そしてジブリ作品で初めて、恋のときめきを感じた。
シータの嘘を信じて落ち込むパズー。ドーラに窘められてシータを取り戻しにいくパズー。
パズーに会いたいシータ。
一緒にいたい二人。
滅びの呪文を二人で唱えようと決める二人。
ときめいた。
十二、三歳のパズーとシータなんだけど、二人とも両親のいない自立した暮らしをしてる。
パズーはムスカに騙されてシータを奪われ、駄賃に渡された金貨三枚を、一度投げ捨てようとしてやめた。
あそこがとても好きだ。
パズーは健気に楽しく力強く暮らしているけれど、「金貨三枚」あれば何ができるのか、なければ何ができないのか、知っているんだと思った。
シータの育った家で、二人はいつかきっといい夫婦になる。
ときめいた。
個人的なことになるが、ムスカ役の寺田農さんがお亡くなりになる一年前に、幸運にも間近で朗読を聴くことができた。
美しい佇まい、落ち着いた声、知性が行き渡る言葉に触れることができた。
「寺田農さんとちょっとだけお話しできた」
というとほとんどの人が、
「人がゴミのようだあああああああ!」
と叫ぶ。
すごくないか。
そして人生の早い段階でそれほどの役に当たってしまった寺田農さんはどうだったのだろうとWikipediaに尋ねたら、「よくわからなかったしトラウマ」というようなことが書いてあった。それもなんだかさもありなん。
その前提があって観たので、ムスカが悪辣なことを叫び続けているところで、「よくわからないけどがんばってやってます!」という感じがした。
それでもムスカは寺田農さんで、寺田農さんはムスカだ。
俳優という仕事の因果を感じた。
ムスカの遺体がはっきりと描かれていないことが気になった。
ラピュタに残ったムスカがもう一度復活戦をやるというのもありかもしれないけど。
わたしとしては目がやられてうっかりラピュタに残ってしまったムスカが、ロボットにケアをされながら段々と心を育てて、ロボットや鳥たちと暮らしていたらいいなと妄想した。
ムスカに同情の余地はないように見えるけれど、あの古文書にとりつかれてしまったようにも思える。
ポムじいさんのように、「しまってくれないか」といえなかった。たいていの人間はいえない。だからムスカには、古文書に没入した日々から解き放たれてほしい。
ムスカの寿命が尽きた日には、ロボットが花で王冠を編んで飾ってあげて、傍らに少し長くいてくれたらわたしがうれしい。
少し寂しくなるね。
サポートありがとうございます。 サポートいただいた分は、『あしなが育英会』に全額寄付させていただきます。 もし『あしなが育英会』にまっすぐと思われたら、そちらに是非よろしくお願いします。