見出し画像

私のヒーロー

高校2~3年生のとき担任の先生だったかっきー。

卒業して6年経つ今でも頻繁に連絡をとる恩師。
かっきーがいなかったら今の慧はいない。確実に。

大学受験。
今通っている早稲田大学国際教養学部は第一志望だった。私のその想いに伴走してくれたかっきー。なんでこの大学のこの学部で、何を学びたいのか、とことん一緒に深掘ってくれた。

大学入学。
私は病気になった。心の病。新しい環境に慣れなきゃって必死な毎日に疲れて、休学。復学するまで2年かかった。

その間、たまに連絡をくれていつも気にかけてくれてたのもかっきーだった。卒業してもなお私と向き合ってくれるかっきーの存在になにより心が救われた。

卒業したら終わりじゃなくて、先生としてだけじゃなく、人と人として大切なことをたくさん体現してくれる愛に溢れたかっきー。

かっきーへの憧れから教育に興味を持った。教職を取り始めて、夢も見つけた。教えて育てる教育じゃなくて、子どもと共に育つ共育ができる環境をつくりたい。幸せについてとか生きることについてとか、たくさん考えるようになった。

卒業間近の今。
やりたいことはたくさんあるし、興味の幅も広いと思う。人にも環境にも恵まれてるし幸せ。

だけど、根本的に私はやらなきゃいけないことをやることが本当に苦手。今はまさにその過渡期。課題に、卒論に、そもそも卒業しなきゃいけないってことがものすごく苦痛。大学で学びたいことは学べたから、卒業証書とか学歴なんて全然いらなくて、正直今すぐやめたい逃げ出したい、だけどそれはそれで自分と向き合えてない気がして悔しい。

やりたくないやらなきゃいけないことは誰にでもあると思う。
でもそのやらなきゃいけないことをやるためのストレスを、私はたぶん普通の人の何十倍も感じやすい。

卒論。
大学の集大成として、卒論はアカデミックな大学の思い出にしたいと本気で思ってた。なのに。

英語は好き。だけど同時に苦手。
苦手と思うようになったのは大学に入ってから。自分が底辺にいる環境の息苦しさを知ったから。
そんな自分だからこそ、英語の先生になりたいとも思ってたけど。その自信がなくなるくらいに、学部の授業は未だに自分の居場所じゃない。。。

こんなネガティブな自分は久しぶり。ネガティブがネガティブを呼ぶ感じ。
この感覚を私は知ってる。だからこわいと思った。

私のヒーロー、かっきー。
さっき、電話したいってLINEしたら、すぐに電話をかけてくれた。
ひたすらしゃべる慧の話を聞いた後に、言ってほしかったことばと慧の心に響くやる気をくれた。
こわかった感覚がすーっと消えて、ぽかぽかと心に火をつけてくれた。

先生であり、親のようであり、友達みたいな恩師。
感謝してもしきれない憧れのヒーロー。
いつか追いつきたい。だから今がんばる。

P.S.
親友のナホが言ってた。
「人ってやりたいことだけやって生きるっていうことは絶対無理だから、やりたくないこともちゃんとやって、幸せが手に入る理論でいる」って。「でも、また、人生やになっちゃうくらいなら、無理してやらなくていいと思うよ」とも。

慧の周りにはヒーローがたくさん。
慧もいつか誰かのヒーローになれるように。

ぐちゃぐちゃな想いをとりあえず整理したくて書いてみた。
かっきーへの想いは、ポジティブ全開のときにまた綴る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?