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  2-㉓ おまじない

 ホースマンとしてダービーに管理馬を出走させる事が叶い、彼は心から安堵していた。
 しかし、彼はその現場に立つ事はできなかった。

 天皇賞春勝利後のパーティー出席2週間後に、彼は救急車で緊急搬送された。
 ただ、不幸中の幸いにも全休日の月曜であり、自宅リビングで盟友の調教師達や厩務員、調教助手との打ち合わせ中であった事から、即座に対応が取られた。

 吐血しながらも彼は、
「サイレンを鳴らさないように伝えてくれ!馬が驚いてしまうから」
 自身の健康状態よりも馬優先の、その真のホースマンシップに、その場にいた全員が息を呑んだ。そして、搬送される直前に彼はこう言った。

「俺がいなくても競馬を止めるなよ!競走馬は、俺達がいなければ生きていく事ができないんだから!」

 皆、頭を垂れ、主の無事を、帰りを心より願った。


 面会謝絶が解除されたのは、2日後の水曜午後であった。
 ダービー2週前追い切りを終えた翔馬は、急ぎ師の元へ駆けつけた。

「先生・・・」
ベッドに横たわる師の姿が涙で霞む。
「大の男が泣くな!まだ大丈夫だ!自分の事は自分が1番よくわかっている!ダービー見ないであの世に行くわけがないだろうが!」

 翔馬は涙を拭いて、折りたたみのパイプ椅子を開いた。

「どんな感じだい、追い切りは?」
冷蔵庫の中から無糖の缶コーヒーを取り出し、翔馬に手渡した男性が尋ねた。
 彼は先月で43年勤めた養護施設を退職し、親友の身の回りの世話を、彼の娘の久美と交代で勤めている。

「はい。強めに追いましたが、四肢の捌きに硬さは見られず、かつ力強いフットワークで明らかにパワーアップしていますね!映像は見ましたか?」親友がベッドの角度を調整している。

「ああ。来週の坂路馬なり調整で仕上がるだろう。馬体増は成長分だな!」

 短い時間ではあったが、師の笑顔を見た事で翔馬は元気を取り戻した。

 夕方16時、面会時間終了となり、翔馬が名残惜しみながらも、
「また明日の午後伺います!」と言い席を立とうとすると、師が言った。

「翔馬、左手を出せ」
翔馬が言われたままに左手を出すと、彼はマジックを持ち、英語で何やらメッセージを書き始めた。

《Move together!trust yourself!have fan!》

「おまじないだ!意味は自分で調べろ!」

 覗き込んだ師の親友は、翔馬の肩をポンと叩いて頷いた。

 師は笑っていた。


 彼は嬉々として、雨に濡れた芝コースを疾走していた。
 大きな完歩で、見事なフットワークで堂々と。
 前走時よりプラス10キロ。体高も伸びて一回り大きくなった印象だ。

 翔馬はウォームアップ終了の合図を出した。キャンター(駈足)からトロット(早足)に速度を落とし、彼の息を整える。首をポンと叩き待機所に向かった。

 雨は一向に止む気配がない。
2レース前に行われた3歳以上、3勝クラス芝2000メートルの走破タイム、2分8秒0・・・極悪の不良馬場。精神力も問われる大変なレースとなるだろう。
 しかし、彼は幼少期、雨の中を駆けずり回るほど、ドロドロの馬場が大好きな育成時代を過ごしたと聞いている。

 少し気負っている彼に、
「一緒に楽しもうぜ‼︎」たてがみを撫で、
首を叩くと、彼は両耳をピンと立て、首を左右に巡らした。前走と同様の、相手探しを始めたのであろうか?力みが抜けたように感じた。どうやらリラックスした様子である。

 翔馬は笑った。
「お前、頭いいのな。一体誰探してるんだ?」

 翼は牧場長と一緒に、関係者席の大型モニターでその様子を見ていた。
「アイツ、笑ってましたよ!」
「ああ。重圧は感じてないようだ。しかし・・・複雑だな。当然ウチの馬にも勝って欲しいけど、彼にもなあ・・・」

 ダービーに出走する事が叶った段階で、まさに天にまで登るほどの夢心地であったのだが、まさか自家生産馬の鞍上にあの天才騎手が騎乗する事になるとは夢にも思うまい。

 本日の第3レースでの落馬負傷事故により、鞍上が以降のレースへの騎乗が不可となった事から、ダービーの騎乗機会がなかったはずの天才に、急遽手綱が回ってきたのだ。

 あの天才が、ダービーの騎乗馬がない事などまずあり得ない事・・・まさしく奇跡であろう・・・何とストロングクーガーは、ゲメインシャフト、バッケンレコードに次いで3番人気まで上がってきた。
 皐月賞5着で、前走青葉賞勝ちのジャンヴァルジャンの半馬身差2着は、鞍上の腕1つで逆転可能と判断されたのだろうか。

「2枠3番・・・欲が出ますね」
「まあな。けれど、こんな馬場だ。まずは全馬が無事に戻ってくる事を祈ろう」
 馬第一をモットーに掲げる牧場長に心酔している彼は言った。
「はい!全馬無事に!」


「うん!のめっている様子は無いし、力みも抜けていいフットワークだ。」師は頷いた。
 病室には、数人の観客がいた。
彼の娘、親友、そして看護婦2名。

「個室ですけど、大声は禁物ですよ!体調も考えてくれなきゃ!」彼らは平身低頭で頷いた。
「でも・・・今日の体調は安定していますからね。ちょっとだけならねww」

 ベテランらしき看護婦が片目をつむり笑った。手に1枚の馬券をひらひらさせながら。

 皆の目がその馬券に注がれた。
戦いの前の、ひとときの平安である。


 降りしきる雨を切り裂いて、荘厳なるG1ファンファーレが競馬場に響き渡り、満員の観客の手拍子が波のように重なり合う。

 翔馬は一瞬、17年前のあのダービーを見ていた子供の頃の自分を思い浮かべた

〝おまえも大人になったぞ!“

 彼は肩の力を抜いて、相棒を1枠1番のゲートへと導いた。

 降りしきる雨と、それにも負けぬ大歓声に後押しされ、ただ1頭だけに与えられる栄光を掴むための戦いが今始まる。

「ガシャン!」
重たい金属音が、空気を切り裂いた。

僕の自室にはお馬さんの絵が100枚ほど!🐴🐴馬尽くしです😅


 PS・・・いつもお目通し頂き、心より感謝申し上げます。次回の配信は、9月23日土曜日午前8時です。極悪の不良馬場を駆け上がる全馬・・・しかし、レース中にトラブル発生‼︎一体どうなる?
 それではまたお会いしましょう🙇🙏

         AKIRARIKA

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