東京丸の内⒈ 木彫り彫刻「藤戸竹喜氏」から学んだこと
先日、仲のいい知り合いに誘われて、木彫り彫刻「藤戸竹喜氏」の彫刻展に参加した。
場所は、東京駅構内にある東京ステーション・ギャラリー。
このギャラリーは、1988年、東京駅中の美術館として、駅を単なる通過点ではなく、香り高い文化の場を提供するという願いのもと、東京駅丸の内駅舎内に開設された美術館とのことである。
藤戸竹喜氏や彫刻等について全く門外漢の私であるが、参加して教えられたことが非常に多い有意義な時間であった。
本展の藤戸竹喜氏は、北海道美幌町で生まれで旭川市で育ち。
両親は共にアイヌ民族で、父も木彫り熊の職人だった。
藤戸は12歳で父に弟子入りする。
まさかりで切った木の塊を渡され、それを自分なりに削る。
父はそれを見て、気に入らなければ、火の中に投げ入れて燃やしてしまうという。
「父は手取り足取り彫り方を教えてくれるような人ではありません。」
「決して褒めない。何が悪いかも伝えず、作品を見た瞬間に斧で割られたことも何度もあります。」
そんな繰り返しの中で熊彫りの技を習得していったのである。
作品の特徴としては、「大胆さと繊細さ」「力強さと優しさ」といった、相反するものが同居していることにあるそうである。
一気呵成に彫り進められる熊や動物の姿は、まるで生きているかのように躍動し、旺盛な生命力を感じさせる一方で、仕上げに行われる毛彫りは細密で、硬い木であることを忘れさせるような、柔らかな質感を生み出しているのがその特徴である。
驚くことに、藤戸氏は、制作にあたって、事前にデッサンすることを一切、しなかったとのこと。
丸太に簡単な目印を入れるだけで、あとは一気に形を彫り出していく。
それはあたかも木の中に潜んでいる形が予め見えていて、それをただ取り出してやっているだけ、というかのようであった。
これに対して、藤戸氏は、
「じっと木を見ていると中から姿が出てくるのです。見た物が頭の中に入り、それが木の中に浮かび、それを彫り出していく。上手に周りの木を取り除いて中のものを出してあげるという具合です。」と述べている。
この能力は、ただ、ひたすら熊を彫り続ける中で身につけたものだそうである。
繰り返し、繰り返し彫ることで、熊の形態を、熊を取り巻く空間を理解していけたそうである。
「完璧なものを作るのは、すごく難しい。ひとつのものを完成させるということはすごく難しい」。
「自分は、熊から全てを教わった」と。
また、「木は生きています。だから、どんな小さな作品を作るときでも、必ず、カムイノミ(神への祈り)をしてから彫り始めます。原木にお願いしてから彫らせてもらうのです」と。
上述の藤戸さんの仕事の仕方、考え方等は、我々常人の生き方や仕事の取り組み方等に示唆するものは非常に大きい。
同じように自分の仕事をしていても、ひたすら繰り返し、繰り返し続けることにより、やっている仕事の本質が見えてくるということであろう。
取り組む時間そしてその深さ、取り組む姿勢等が, 我々,常人とは、全く違うように思える。
仕事に対する謙虚さと真摯な姿勢が、傑出した彫刻師の藤戸氏を作り出したのだろう。
2018年、84歳で惜しまれつつ亡くなるまで、80歳を超えてなお、旺盛な制作活動を続け、北海道文化賞、文化庁地域文化功労者表彰、北海道功労賞などを受賞、海外を含む多くの展覧会に出品するなど、対外的な評価の高さ等につながったといえるのではないだろうか。
アイヌ民族として、熊彫りとして、誇りをもって生きた人生であったように思えてならない。
特にアイヌ民族の先人たちの姿を等身大で彫った作品群は、精緻な写実的描写の中に、威厳に満ちた存在感を表現しており、見る我々を深い感動に誘わずにはおかない。
「動物とアイヌと和人の物語を残したい」という藤戸さんの強い願いが、80歳を過ぎてから制作した作品といわれている「エゾオオカミと少年の物語」、19点の連作として表現した作品であったが、見ていてある種の強い感動を覚える作品であった。
それは、作者である藤戸さんの、人生と強い思いの、なせる業かもしれないと思えてならなかった。