先行き何が起こるか全くわからない中で
3年前までの私は、一言でいえば「自分の未来は、自分の力で切り拓くもの」的価値観の持ち主で、仕事もプライベートも順調、日々楽しく過ごし、この先も同じような状態が続くであろうと暗黙の内にも思っていた。
然しながら、現在の私は、「人生も、世の中も、先行き、何が起こるか全くわからない」という心境に達している。
理由は、3年前の2018年、ハワイ島のコナで自動車事故に遭遇し、妻は死亡、私も脳内出血と骨盤骨折等で負傷し、ハワイ島並びに日本の病院での長期療養を強いられ、それ以来、私の生活環境と仕事の状況は、全く一変してしまった。
加えて、2020年1月に起こった新型コロナウイルスの感染拡大、「パンデミック」と呼ばれるほどの規模に達しているという見解をWHOが表明したのは、2020年3月11日のことであったが、あれからもう1年半を経過、未だ感染は拡大している状況である。
あの時点で、コロナ問題が、これほど長期にわたると考えていた人がどれだけいただろうか。
不要不急の外出自粛、三密回避、ステイホーム等が叫ばれる中で、この1年半、ほとんど思い出らしいことも無いままにただ、時間だけが過ぎていくという状況、この間、「自分はいったい何をしてきたんだろうか」このような感慨を持つのは私だけだろうか。
不要不急、私の仕事も、その性格上、どうしても三密にならざるを得ないものであるから、この1年半、クライアントである多くの企業の仕事が延期、或いは中止となってしまった。
自分という存在に何か特別な意味を求めてきた自分にとって、ただ、生きるということだけでは、許されない何かがあるのかもしれないと思ったりしている昨今である。
目指すべきは、物質的にさらに豊になること、そして周りよりも優位に立つこと、それが自分にとって何よりも大事なことであり、ひたすらそれを目指して走ってきたのかもしれない。
周りより、先にいっているか遅れているか、勝ちか負けか。損か得か、そうやってその先には、幸せな人生があると考えて走ってきたのかもしれない。
その私に突然、突き付けられた「妻の喪失」と「仕事の喪失」。
ただ、ただ、戸惑うばかりの日常であった。
大切な人の死に接することは、辛く悲しいことである。
時に、自分の人生の意味を見失ってしまうほどに。
それでも生き残った私は、残された自分の人生の区間を走り切らなくてはならないのであろう。
亡くなった人から、教えられたこと、生き方から学んだこと、かけてもらった言葉、ひとつひとつを心に宿しながら。
今まで、あたり前のように存在していた人が、突然、この世の中から、いなくなってしまう。
そして、忙しさで断っていたほどの仕事が突然なくなってしまう。
想定外のことが起きると我々は、パニックになってしまう。
そういう意味で親鸞上人の教えにあるという「自分の力なんて幻想ですべからく絶対他力である。」と。
今、私は、本当にそう思えるようになってきた。
将来のことは全くわからない。
確かなことは、今だけなのである。
だからこそ、与えられた目の前の命を全うしていくしかないのではないか。
日常生活に自粛を迫られ、様々な計画や予定が変わっていき、失っていくことをきっかけとして、自分の人生をリセットして見つめなおす機会が、もしかしたら与えられたのかもしれない。
無駄が、決して無駄ではないことを忘れてはならないのだろう。
長い人生では、楽しい事や嬉しい事もあれば、辛い事や悲しい事もあるけれども、何が幸福で何が不幸かは、直ぐに決まるものではないということを心から願って歩いて行かなければと思う今日この頃である。