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「エリーゼのために」を深堀りしてみた

ベートーヴェン生誕250年。
今日は、誰もが知っている「エリーゼのために」についてちょっと語ってみたいと思います。

ベートーヴェンのあまたの名曲の中でも、この小曲がとりわけ有名になったのは、
(1)技術的にやさしく、
(2)印象的なタイトルを持ち、
(3)テーマの「ミレ♯ミレ♯ミ」の反復が耳にこびりついて、メロディーがとても覚えやすい
ため、ピアノを習う子どもが弾く「はじめてのベートーヴェン」として最適だったからではないかと思います。

ですが、「エリーゼのために」は、もともと曲のタイトルではありませんでした。ベートーヴェンの死後、1867年に発見された未出版の小曲で、発見者はルートヴィヒ・ノールというベートーヴェン研究家。自筆譜に「エリーゼのために、4月27日」という献辞が添えられていて、その献辞がタイトルとして一人歩きを始めてしまったのです。

楽譜に献辞を記すというのは、とりたてて特別なことではないのですが、未発表の作品で、記された相手の名がフルネームではなく、エリーゼという女性のファーストネームのみであることがミステリアスでした。エリーゼって誰だ?ベートーヴェンの恋人?しかし、ベートーヴェンの周りにエリーゼという女性が見当たりません。

不幸にして、ノールが発見した自筆譜そのものは消失してしまいました。この譜面は、なぜかベートーヴェンと親交の深かったテレーゼ・マルファッティの遺品の中にあったため、本当は「テレーゼのために」と書かれていたのではないか?ベートーヴェンの字が汚すぎてノールが読み間違えたのだろう…といったことがまことしやかに囁かれるようになりました。

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テレーゼ・マルファッティ

ところが最近になって、エリーゼは、ソプラノ歌手のエリザベート・レッケルではないかという有力な説が現れました。この女性がエリーゼと呼ばれていた痕跡が発見され、「エリーゼの正体」候補として急浮上したのです。彼女はのちに作曲家フンメルの妻となる人物で、ベートーヴェンの友人で《フィデリオ》のフロレスタンを歌ったテノール歌手ヨーゼフ・レッケルの妹でした。

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エリザベート・レッケル

エリザベートも、ベートーヴェンと親しい交流があり、晩餐会で一緒に過ごしたとき、腕をつねられたりしていたという話があります。ベートーヴェンがいっとき彼女を好きだったのは確かでしょう。彼女がフンメルと婚約したのは1810年4月。そして「エリーゼのために」が書かれたのが1810年4月27日。ほのかな哀愁ただよう「エリーゼのために」は、エリザベートへのお別れのプレゼントだったのでしょうか。

「エリーゼのために」は、「ミレ♯ミレ♯ミ」という反復がしつこいほど登場します。レ♯(ドイツ音名でDis)は、異名同音で読み替えるとミ♭(ドイツ音名でEs)。ミ(E エー)とミ♭(Es エス)の反復。エー・エス・エー・エス・エー。そう、まるで、Eliseの名を連呼しているかのようです。

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エリザベートは、ベートーヴェンの死の3日前、1827年3月23日に夫フンメル、その弟子のヒラーとともに病床のベートーヴェンを見舞い、ベートーヴェンの髪と、愛用のペンを形見に持ち帰っています。ヒラーの回想によると、エリザベートは、もう話せないほどの衰弱したベートーヴェンの顔をハンカチで優しく拭っていたそうです。

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ヨハン・ネポムク・フンメル

フンメルは、その前にもヒラーを伴ってベートーヴェンを見舞っており、この年の4月7日に秘書シントラーが企画したチャリティーコンサートに出てくれと病床の彼から打診されていました。そして、そのベートーヴェンは3月26日に他界してしまいます。かつて妻を愛していた男からの今際の頼み。内心複雑な思いもあったでしょうが、フンメルは、第7交響曲の第2楽章をしみじみとピアノで奏で、ベートーヴェンを追悼しました。

さて、「エリーゼのために」ですが、未発表の遺作が取るに足らないものと考えるのは大間違い。きわめてプライベートな音楽の贈り物は、しばしば対外的に発表されず、当人たちだけの大切な思い出としてのみ生き続けました。自筆譜は消失してしまったものの、実はこの曲のスケッチがベートーヴェンのスケッチブックに残っており、しかも、青鉛筆で改訂しようとしていた痕跡まであるのです。16分休符を各小節の頭に書き加え、左手のアルペジオの出を遅らせるというアイディアです。

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「エリーゼのために」のスケッチ
ベートーヴェンハウスのウェブサイトから)

これにしたがって弾いてみると、こんな風になります(筆者による試演)。1拍目の左手が休符になることによって、そこはかとない空虚感や浮遊感が生まれ、個人的にはこっちの方が好きだったりします。そして、後日改訂を試みようとしていること自体、この曲がベートーヴェンにとって大切な曲のひとつであった証ではないでしょうか。


参考 ドイツ語版Wikipediaのエリザベート・レッケル
   ベートーヴェン・ハウス

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