Roger Nichols氏による、作曲家の回想録(Remembered)シリーズは、近しかった人たちの重要証言が網羅されていて、たいへんに興味深いものです。
わたしも一通り揃えて時々参照するのですが、ラヴェル編に収められた次の証言にはびっくりしました。
アンリエット・フォールは1922年(17歳)にラヴェルに師事し、翌年シャンゼリゼ劇場で世界初のオール・ラヴェル・リサイタルを開いた女性ピアニスト。世界各地でラヴェル作品のツアーも行った、ラヴェル演奏のパイオニア的存在です。
いくつかラヴェル作品の録音も残っており、たとえば、先ほどレッスンの記録をご紹介した《水の戯れ》はこんな感じ。眩いばかりに鮮烈に煌めく演奏で、そのなかに陽気な遊び心を漂わせており、すっかり心奪われてしまいました。
アンリエット・フォールの証言は、ラヴェルのレッスンでの会話も書き留められていて、実に生き生きとラヴェルの美学を伝えてくれるものです。ラヴェルの弟子ヴラド・ペルルミュテールの証言は、演奏上の注意事項を伝えてくれてはいますが、ラヴェルの言葉という点ではここまで具体的でないため、是非ともこのフォールの著書を入手したくなりました。
パリで1978年に出版されたフォールの著書『わたしのラヴェル先生』は、すでに絶版になって久しいため、母校の図書館を通じた「海外図書館間貸借」を利用。送料などで9150円かかりましたが、こうなると、もはや何かに取り憑かれたような執念とか、使命感みたいなものです。
こうして目にすることができたフォール『わたしのラヴェル先生』は、期待に違わず面白い内容!たとえば、《鏡》についてはこんな風に述べられています(筆者訳)。
アンリエット・フォールは、《夜のガスパール》の〈絞首台〉のレッスンで、ラヴェルから強烈なダメ出しを食らいました。〈絞首台〉の鐘の音は、「支配する」のではなく、「ただ鳴っている」のだと。そして、彼の作品の削ぎ落とされた性質と、演奏者が自ら意識的に人格を消す必要性を辛抱強く説明されたそうです。その内容を、上に引用した《鏡》についての頁で改めて詳にしているわけですが、これは《鏡》というタイトルの意味のみならず、ラヴェルの音楽の本質を伝える、きわめて重要な証言と言えるのではないでしょうか。
ここで語られている内容は、ラヴェルが《鏡》についてのインタビューで引用したというシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の場面とも付合します。キャシアスがブルータスにシーザー暗殺を唆す場面です。
わたしたちは、人格を消して音楽に同化し、〈蛾〉や〈悲しい鳥〉が映し出す自分を発見することができるのでしょうか…。
アンリエット・フォールの奏でるラヴェルは、夏目久生氏の主宰するSakuraphonから復刻CDが出ています。ラヴェルを愛する方は必聴です。
追記
日本モーリス・ラヴェル友の会の石黒万里生氏から情報をいただきました。アンリエット・フォールの『私のラヴェル先生』の抜粋を、下記のサイトで読むことができます(フランス語)。Frédéric Gaussin氏による紹介記事です。