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ベートーヴェンはどう弾いたか

ベートーヴェン本人の指揮は、たいそう独特なものだったようです。作曲家のシュポアが、初めてベートーヴェンの指揮を目にした時の驚きを伝えていて、そこにはとんでもないことが書かれています。

・スフォルツァンドでは、腕をクロスして鋭く引き裂くようなジェスチュアをしました。
・ピアノでは、低くかがみ込み、クレッシェンドが来るとまた徐々に立ち上がっていました。
・フォルテでは、背筋を伸ばしてジャンプして、時折何かを叫んでいましたが、自分ではそのことに気づいていませんでした。

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うーん…随分と変わっていますね…

そして、ベートーヴェンが自作の協奏曲(第4番)を弾き振りした最後の演奏会では、

・最初のトゥッティのところで、自分がソリストでもあることを忘れて、いつものようにジャンプしました。
・スフォルツァンドで腕を振り回したときにピアノの燭台の灯りが派手に落下し、聴衆が笑い出して演奏が中断してしまいました。

という悲劇が起きたようです(居合わせた指揮者ザイフリートの証言)。想像するだけで恐ろしい…笑。

耳が悪くなってからは、ミヒャエル・ウムラウフという指揮者がベートーヴェンの代わりにタクトをとり、フィデリオや第9の演奏現場を支えました。

さて、演奏家(ピアニスト・指揮者)としてのベートーヴェン本人の演奏ぶりはどんなものだったのでしょうか?残された証言から探ってみましょう。

まず、前回の記事でご紹介したシンドラーが、フィクションもりもりの伝記のなかで書いていることは信用できません。ベートーヴェンの演奏ぶりについても触れていますが、シンドラーはベートーヴェンと付き合いがあったのは晩年の5年間に過ぎず、その時期はベートーヴェンは難聴がひどくピアノが弾けなかったはずなのです。

そこで、まずは、信頼できる(?)弟子、カール・ツェルニーにご登場願いましょう。10歳からベートーヴェンに師事、彼からの信頼も厚く、のちに皇帝協奏曲の初演や甥カールのピアノ指導にも携わりました。ベートーヴェンの演奏スタイルがいかに新しいものだったかについて、モーツァルト風の端正なピアニズムと比較しながら言及しています。

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・レッスンの中で、ベートーヴェンはとりわけレガートへの意識を促しました。彼のレガート演奏は、他のピアニストたちの楽器への認識を覆すほど見事なものでした。当時はモーツァルト風のアーティキュレーションのはっきりした歯切れの良い弾き方がまだ主流だったのです。
・すさまじいパワーを秘め、表面的な華やかさとは無縁なベートーヴェンのピアノは、清潔明晰でかつ演奏効果が計算されていたフンメルのピアノと対照的でした(フンメルはモーツァルトとクレメンティの弟子)。フンメルの支持者たちは、ペダルを多用したベートーヴェンのピアノを不明瞭だと嫌い、ベートーヴェンの支持者たちは、フンメルのピアノを想像力に乏しくモノトーンだと酷評しました。
・彼は自作の出版譜に書き込まれたものよりかなり多くペダルを使っていました。
・ベートーヴェンの弾くアダージョやレガートを聴いた人たちは、まるで魔法をかけられたかのように強い印象を受けました。

そして、ウィーン滞在中にベートーヴェンと親交があり、ベートーヴェンの協奏曲のイギリス初演をしているイギリス人作曲家チプリアーニ・ポッターの証言をご紹介。

・すさまじい指の速さ、デリカシーに溢れたタッチ、強烈な感情…その比類ない演奏が、難聴によって不明瞭で混乱を来たすようになり、ついには人前での演奏をやめてしまいました。メカニカルな演奏家ならまだ対処できたでしょうが、ベートーヴェンの陰影豊かな音楽にとって、難聴は致命的だったのです。

続いて、16歳から5年ほどウィーンのベートーヴェンのもとに留学していたフェルディナント・リース。ボン出身で、ベートーヴェンのヴァイオリンの先生の息子でした。ピアニストとしてロンドンを拠点に活躍し、師の作品を多くイギリスに紹介しています。

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・レッスンで、私がミスタッチをしても彼は何も言いませんでしたが、クレッシェンドなどの音楽の方向性や、楽曲の性格など、表現に関する本質的な誤りをすると怒りました。
・彼はしばしばクレッシェンドとリタルダンドを同時に用いて、実に立派で圧倒的な効果をあげました。

驚くべきことに、「リタルダンドを伴うクレッシェンド」のスタイルは、のちのブラームスと共通するものです。クララ・シューマンの弟子のファニー・デイヴィスがこう言っています。

・ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された数の表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う<>(松葉記号、ヘアピン)は、音だけでなくリズムにも応用された。また彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるため、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。

クララ・シューマンと親交の深かったブラームスは、クララの弟子たちを自らよく指導していました。その人たちの録音を聴くと、確かに、クレッシェンドとともに時間的にも膨らむような演奏をしています。

ちょっと脱線しますが、フレーズの高揚とともに時間的にも膨らませてゆく(そして、フレーズの収束とともに加速する)のは、ラフマニノフやコルトーらの演奏の語り口にもよく聴かれます。

ピアニストのエリック・ハイドシェックが、このことに注目して論文を書いています("Dynamics or Motion? - An Interpretation of Some Musical Signs in Romantic Piano Music")。

・18世紀、フレーズの生起と収束(アゴーギク)に関する伝統は口承で伝えられ、記譜されなかった。しかし、ベートーヴェンは、それまでより遥かにロマンティックな表現を志向し、テンポ・チェンジを記譜する必要を見出した。これが、のちにボリューム・チェンジを表す記号との誤解を招いてしまったのだ。
・(<>の記号について)前者は音のスペースの一時的な拡大、後者はその自然な消滅を表す。あたかも呼吸時の肺の動きのように、吸うときは拡大と減速を、吐くときは収束と加速を伴うのだ。

この大胆な仮説のもと、ハイドシェックはベートーヴェン、ショパン、ブラームスなどのさまざまな実例を挙げて、アゴーギクの記譜を検証しています。

セイモア・バーンスタインが、ハイドシェックの仮説に倣って、ショパンのヘアピン記号の記譜を検証した本があります。ご興味のある方はぜひ。

フィデリオ初稿の初演を担当した指揮者イグナツ・フォン・ザイフリートの証言にも、次のようなくだりがあります。

彼は、デリケートな陰影づけや、光と影をバランスよく区別すること、効果的なテンポ・ルバートなど、表現について極めて細かいこだわりを持っていました。そして、労を厭わず、個人的にさまざまな音楽家と表現について語り合うことにいつも喜びを感じていました。

そう、ニュアンスやテンポへのこだわりが半端なかったようですね。

ベートーヴェンの新しいセンスは、メルツェルの新発明したメトロノームを試し、自作品への表記で彼のプロモーションに協力したことにも現れています。当時の西欧では、テンポ・オルディナーリオ(標準テンポ)という、漠然とした共有のテンポ感があり、脈拍などで説明されていましたが、ベートーヴェンの音楽的欲求は、テンポ・オルディナーリオの枠内に収まるものではありませんでした。

ツェルニーも、おそらくベートーヴェンの絶妙なアゴーギクを吸収し、「譜面から適切なアゴーギクを判断させる練習曲」を書いて、その判断基準をマニュアル化して解説しています。

それまで聴いたことのないようなロマンティックなピアニズムで音楽界に新風をもたらしたベートーヴェン。その音楽は、シューマンやブラームスらに多大な影響を与えただけでなく、演奏家としてのアゴーギクの秘伝が、名教師ツェルニーを通じて、口承でフランツ・リストやテオドル・レシェティツキに伝えられていったものと思われます。

リストは、自身の弟子ハンス・フォン・ビューローが校訂したベートーヴェンのソナタのエディションを愛用していました。そこには自分の教えが反映されているわけですが、楽想に応じた細かいテンポ・チェンジがメトロノーム数字で提案されています。リストは、弟子たちをレッスンする際、「適切なテンポを設定し、どのようにアッチェレランドやリタルダンドをするか構想する」ことを求めました。レシェティツキ門下のアルトゥール・シュナーベルによる校訂版にも同じ特徴が見られ、このエディションを見ながらシュナーベルの演奏を聴くと、音楽に内在する心の動きに寄り添った、理に適ったテンポ操作に舌を巻くこと必至です。

熱情ソナタのシュナーベル版楽譜(IMSLPより)

シュナーベルになると、音楽のつくりがだいぶ楷書的になり、秘伝の話法を継承する最後の世代と言ってもいいかもしれません。

ちなみに、ビューローやシュナーベルのエディションにあるテンポ・チェンジは、かの伝記捏造犯シンドラーが書いているベートーヴェン自身のテンポ・チェンジに関する詳細な記述とおおむね一致しています。実際の演奏を聴いていないまでも、本人の音楽への考え方については聞きかじっていたのかもしれません。

さて、フランツ・リストの弟子に、フレデリック・ラモンドというピアニストがいます。ベートーヴェン→ツェルニー→リストの系譜に連なる、ベートーヴェン直系のピアニスト。絶妙なアゴーギクを伴う、濃密でロマンティックなベートーヴェンを弾く人ですが、もしかしたらベートーヴェンの演奏ってこんな感じだったのかも、と思わせる圧倒的説得力があり、僕は大好きです。

ちなみに、今日の記事は、ベートーヴェンの同時代人の証言を集成したこの本が元ネタです。自分が翻訳出版したいと密かに思っている本のうちのひとつなので、乗ってくださる出版社さんはぜひご一報を!フランツ・リストのマスタークラスの本は、翻訳が終わり、出版準備中です。


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