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 明日好きになる人 8

 高瀬がマネージャーとして担当しているアイドルたちは学生も多いので、メインの活動は土日と祝日だ。だから高瀬の平日の仕事といえば、もっぱらスケジュール管理などの事務仕事とマスコミ各社への出演交渉になる。芸能関係といっても、何も特別なことはなくてマネージャーの仕事は、普通の営業職と同じだった。違うのは商品がアイドルという人間で、取引先が芸能関係者になるだけだ。

「最近、家で可愛い猫でも飼ってるの?」
「え、どうしてですか?」
「付き合い悪いって、社長が言ってたわよぉ」

 高瀬が事務所のホワイトボードに出先から直帰する旨を記入していると、事務員の宮下に話しかけられて振り返った。
 強いて言うなら飼っているのは、猫じゃなくて羽鳥だ。
 世話というほど世話はしていないし、同じ屋根の下で住んでいる同居人というより二階のご近所さんくらいの距離感だった。

「社長のいうところの「必要な交流会」には出てますよ。ただ最近は断ることを覚えただけで」
 ひらたくいえば金銭の授受を伴わない接待。
「ほんと高瀬くんは真面目よね。この業界にいて全然すれてないし。私ならお願いされても業務時間外は全部断る」
 ははは、とそれには笑いで相槌を打った。
 他の芸能事務所のマネージャーは知らないが、情報交換会という名の飲み会やコンパに連れ回されることが、今までの平日の高瀬の日課だった。
 言われてみれば以前より家に早く帰っている。そして最近の高瀬の付き合いの悪さは、なぜか社長の耳にまで入っているらしい。

「それで、ついに高瀬くんに彼女が出来たんじゃないかって、社長が」
「あ、猫ってそっちですか、ないない」
 元々いつか役に立つことがあるかもしれないという貧乏性なところから、誘われるまま飲み会に出ていた。人と話すこと自体は苦痛ではなかったし、人脈の広さは、この仕事で高瀬の武器になっている。
 ――だから、今回も羽鳥の仕事探しで力になれた。
 そう思った瞬間、自然と笑みが漏れた。
「あー、なぁに、その笑顔は、やらしーんだから。やっぱり猫ちゃんなの?」
「だから、違いますって」
「そう? まぁ、私も、あの幽霊屋敷に一緒に住んでくれる子はいないだろうから、猫か犬じゃない? って社長には言っておいたけど」
「本当に飼ってないですけど」
「じゃあ近所の野良猫かな。私、高瀬くんの家が野良猫ハウスになってても、全然驚かないから。写真あったら今度見せてね」

 あったとして羽鳥が撮る自分の写真ばかりだ。宮下の言う通り近所の野良猫でも撮る方が、まだいいと思う。なのに羽鳥は飽きずに毎日高瀬の写真を撮っていた。どんな写真か高瀬は知らないし、最初の写真以来、羽鳥は見せてくれない。

「何か飼ってること前提なんですね。とりあえず近々金魚は飼うつもりですけど」
「だって高瀬くん、それくらい自分のことに無頓着というか無関心だったよ。何でもはいはい言ってて見てるこっちが心配になるくらい。――いいんじゃない? この調子で。仕事もいいけどプライベートは大事だよ」
 作品作りの上で自己主張の塊のような羽鳥に感化されたのかもしれない。仕事で不都合が出ないならば、このままでもいい気がした。

「そろそろ、坂野上さんのところ行ってきます」
「はいはい、行ってらっしゃい。あー待って、忘れるところだった。お土産、マドレーヌだって社長から」
 そう言った宮下にドアの前で紙袋を手渡された。
 自分の担当アイドルの写真集の打ち合わせだったが、羽鳥の仕事先でもあるので、打ち合わせ後に羽鳥の仕事ぶりを覗かせてもらう予定だった。

 事務所の外に出ると、いつの間にか駅までの道が秋の風景に変わっていた。ハロウィーンまでは、まだ日にちはあるのに、目に入るディスプレイが、全部オレンジと紫ばかりに感じる。
 めずらしく社用車じゃなく電車移動で手持ち無沙汰だった。ふと窓の外を見ながら、さっきの宮下の言葉を思い出していた。
 そんなに無関心で無頓着だったのだろうか。
 振り返ってみるが自分では分からない。羽鳥にも同じことを言われているので、他人からはそう見えるのだろう。
(……いい変化、か)
 自分のことなのに羽鳥のことを褒められた気がして嬉しかった。


 坂野上写真事務所は、芸能人から個人に至るまで幅広く取引先を持っている。宣材写真や雑誌、写真集だけでなくデザイン会社依頼の物撮りも手がけていた。
 高瀬が羽鳥を紹介したのは、坂野上が人手不足で困っているのもあったが、彼のところなら羽鳥もうまくやっていけるんじゃないかと思ったからだ。
 もちろん、どんなにスキルがマッチしていても、人間同士相性はあるので「他に仕事はいくらでもあるし、一回くらいダメでも腐るなよ」と言ったのだが、過保護すぎると羽鳥に呆れられた。
 結局、高瀬の心配は取り越し苦労に終わって、一ヶ月過ぎても羽鳥は真面目に仕事に向かっていた。
 事務所自体は社長である坂野上が二十代の時に立ち上げた会社で、自宅が住居兼スタジオ。地下一階、地上三階の建物は、地下が撮影スタジオになっていた。最初は坂野上が一人で仕事を回していたが、評判が評判を呼び本人の許容量をこえてしまっていた。羽鳥を紹介する以前にもサブでカメラマンを何人か入れていたのだが、長続きせず辞めていく人ばかりだったらしい。
 辞めていく理由は、単にスキル不足や、バンドマンのような方向性の違いなどさまざまだったが、坂野上自身は年齢が三十半ばだから、上も下も使いにくいのだと笑っていた。

 事務所の二階にある応接室で、坂野上と写真集の打ち合わせが終わると、羽鳥の話になった。
 高瀬はいつも通りスーツ姿で、坂野上は襟付きの紺色の鹿の子シャツに白のテーパードパンツといったラフな格好をしていた。彫りの深い顔立ちは、初対面ではとっつきにくい印象を抱くが、人当たりも良く饒舌。一人で長く会社を切り盛りしていただけあって社交的な男だ。

「腕のいいカメラマン紹介してくれて助かったよ。写真集は一人でもいいんだけど、そっちにかかってると雑誌の方に全然手が回らなくて」
「お役に立ててよかったです。けど、大丈夫でしたか? 羽鳥、悪い男じゃないんですけど」
 自分で紹介しておきながら、腕はいいけど気難しいでしょう? と口が滑って焦った。けれど、それを聞いた坂野上は大きな声でからからと笑う。
「芸術家なんて、僕も含めて皆、めんどくさくて、扱いにくい人間だと思うよ」

 坂野上は、ローテーブルの上に置いているコーヒーに手をつけた。事務所に最近設置された業務用のエスプレッソマシンについては羽鳥から聞いていたが、事務員アシスタント含めて社員四名の福利厚生にしてはリッチだなと思う。自分の会社の外の自販機セルフサービスを思うと、うらやましかった。

「羽鳥くんは、なんでも撮れるからこそ、本当に撮りたいものとの差で苦労してるんだろうね」
「羽鳥のこと、よく分かってるんですね」
 雇い主が理解しているからこそ、羽鳥の仕事が続いているのだと思う。
「君ほどじゃないけど。高瀬くんは、分かってるからこそ、羽鳥くんを僕のところに連れてきたんじゃない?」

 図星だった。マネージャーの勘みたいなものだろうか。この人の下だったら、羽鳥は写真を仕事にしても大丈夫だろうという少しの自信はあった。
「失礼かもしれませんが、坂野上さんは、カメラマンとして自分の技術を売ることに器用な方だと感じていて、そういう部分に羽鳥も学ぶものがあるのかな、と」
「確かにねぇ。人間迷ってるときは、自分と真逆の人間に当たる方が、結果的に前に進めたりするよね。まぁ、僕の経験談だけど」
 坂野上は、にやりと笑った。
「僕としては、パパラッチするのだって、悪くない経歴だと思ったよ」
「え、そういうものですか?」

 高瀬は坂野上の見解を意外に感じた。
「そうそう。ただ長く続けるものじゃないし、そもそも悪いことするには、羽鳥くんは根が繊細で優しすぎるからさぁ」
「まぁ、はい」

 部下として、あるいは仕事のパートナーとして可愛がられているように思えたが、自分以外にも、同じことを言われている羽鳥に少しだけ同情した。

「ポートフォリオも見せてもらったけど、俗っぽさがないよね彼の撮るスキャンダル写真って。全然やらしくないし、スキャンダルなんて露悪的に見せてなんぼなのに、そういうのも全然ない」

 芸術家は、徹頭徹尾、隠し事が出来ないと思う。
 坂野上の作品から器用な人間だと高瀬が分かったように、作家や画家が、私生活や個人の思想を元に作品を鑑賞されてしまうのはある程度仕方がないのかもしれない。

「僕も学校は写真科出てるけど、最初からとにかく万人にうけて売れる写真目指して勉強してたんだよね。けど、クラスに芸術家もいたから、なんとなく感覚として美術写真はわかるし、向き合うスタンスの違いも分かる。ま、羽鳥くんは、根本的に写真を売ることに向いてない人」
「あの、それなら、やっぱり羽鳥は、写真を仕事にしない方がいいんでしょうか」
 どうすれば羽鳥は写真を続けられるのだろうか。高瀬は羽鳥の友人の一人として真剣に考えていた。
 その類い稀なる才能を埋もれさせたくないと思うのは、彼を推したいと思う高瀬のエゴだ。羽鳥が仕事として写真を撮ることで苦しむなら、それこそ一般企業で勤めながら、趣味で写真を続けてもいいんじゃないかと思っている。
 どんな形でも好きな写真を辞めない間は、新しい羽鳥の作品は生まれるから。
 こんな思考回路を羽鳥は過保護と思うのだろう。

「ま、それは、本人の気持ち次第かな。羽鳥くん本当に技術はあるし、お願いしたモノちゃんと撮ってくれるからね。どこ行っても重宝されるだろうし。いま雑誌系は、全部羽鳥くんメインで進めてもらってるよ」
 坂野上は、やっと写真集に集中出来ると笑った。
「サブじゃなくて彼がメインカメラマンなんですか? 坂野上さんへ依頼しているのに大丈夫なんですか?」
「うん。事務所の名前は出しているけど、雑誌は、僕個人の作品じゃないからね。クライアントには羽鳥くんの作品見せて了承もらってるし、元々そのつもりで羽鳥くん雇ったから、――彼すごいよ?」
「すごいって」

 それを聞いて羽鳥が、どんなふうに仕事をしているのか気になった。そんなつもりはなかったのに、これでは本当に授業参観に行く親だ。
「ま、とりあえず、見れば分かるから見学していってよ。ほんと面白いから」
 多分集中してるから静かにね、といたずらっ子のように坂野上は笑って、地下のスタジオに案内してくれた。

 坂野上は羽鳥のことを根本的に写真を売ることに向いてないと言っていたが、地下のスタジオを覗いたとき、坂野上がそう言った理由がすぐに分かった。
 白ホリゾントの薄暗い地下スタジオで、羽鳥はモデルと一対一で向き合っていた。後ろにある大型のディスプレイには撮影した写真が映し出されていた。
 撮影アシスタントやファッション、メイクのスタッフも近くにいるが、今は、そのメンバーは完全に外野になっていて、撮影の空気にのまれている。
 決して重苦しい不快な雰囲気ではなかったが、撮影者とモデルの間で和やかな会話などは一切ない。
 羽鳥の前に立っているモデルは羽鳥と会話がなくても、心ではきちんと通じあっていて、信頼関係が構築されているのだろう。嫌な空気はなかった。
 高瀬は雑誌系の撮影現場に何度も立ち会ったことがあるので、羽鳥の撮影スタイルが異質なのは一目で分かった。
 読者層にもよるが雑誌におけるモデル撮影は、ポートレイトやグラビアと違って、あくまで商品がメインだ。けれど、いまディスプレイに映し出されている写真は、羽鳥の世界観や個性が一切消されていなかった。
 一つの作品として昇華されていた。
 既存の雑誌路線に沿った写真だって、羽鳥は器用に撮ることが出来るのに、それをしていない。

「ね、面白いでしょう?」
 坂野上と壁際に並んで撮影の邪魔にならないようにディスプレイを見ていると小声で話しかけられた。
「あの、いいんですか? これ雑誌の撮影ですよね」
「この雑誌、羽鳥くん二回目なんだよね。前回は、途中まで普通に撮らせてたんだけど、一回好きにやってみたら? って言ったら、これ。――まぁ、今のところ苦情きていないし、ハイファッション・モード系だから、逆に受けが良かったんだろうね」

 羽鳥が羽鳥のまま、仕事で認められて良かったと思った。
 楽しそうに写真に向き合っている姿をみることが出来て嬉しい。
 ずっと羽鳥を幸せにしたいって思っていたから。

「坂野上さんは、好きを仕事にした方がいいと思いますか?」
「僕はね、やりたいならするべきだと思うよ。結局、ハマらない場合は遅かれ早かれその場を去ることになるんだから。案外、そのままの自分でも受け入れてくれることもあるし、もしダメなら次へ行けばいい」
 そういう坂野上の気楽さが、いいなと思う。
「坂野上さんに、羽鳥紹介して良かったです」
「ん、もしかして、羽鳥くんって、高瀬くんのいい人だったりする?」
「――いま一番の推しですかね」

 静かにと言った坂野上が、大笑いしたところで、羽鳥に気付かれてしまい撮影が中断した。
「ッ、高瀬、んで来てんだよ」
「あーバレちゃった。授業参観? いい子にしてたかい?」
「あー、ご覧の通りな!」
 結局、羽鳥に「出てけ」と一喝され、授業参観はそこで終わった。


第9話 >>>


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