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家族写真

カメラマンの羽鳥がスランプになった話。

本編は、こちら



家族写真


 ゴールデンウィークも終わりが近づいていた。自営業と言えば聞こえがいいが、結局のところフリーター。稼ぎは少ないが今日明日生きるのに困っているわけでもない。微々たるものだが、死んだ親の遺産が懐に入ってきたところだった。
 羽鳥那月は、今後の身の振り方を考えていた。

 新緑の爽やかな季節を薄暗い部屋の中で鬱々と過ごしていた折、世話になっている家の家主に蹴り出され、都内から電車を乗り継ぎ、ある山奥に来た。 
 納骨諸々の手配、住まない家の処分。煩わしい実家からやっと解放された日曜日。正直なところ何にもしたくない気分だった。

 ――先方も是非お前にって。新進気鋭の若手芸術家、羽鳥くんをご指名なんだよ。行ってこいよ、例の面倒な・・・実家の葬式とかも終わったんだろ。

 森山は俺が芸大に通っていた頃にあった諸々の騒動を知っている同業者だ。気の毒そうな目をしていた。
 葬式に関して言えば正しくは既に終わっていた、だ。遠い親戚には終わってから顔だけ出したことで散々罵倒された。俺は彼らに言われるまま墓に骨を入れて、家を適当に処分しただけ。法的に許されるなら親の骨は庭に撒いて終わらせたかった。

 森山からの依頼は「ある家」の家族写真だった。
 金払いがいいし、良い仕事と言われたが正直気が進まなかった。人間の写真は暫く撮りたくない。その上「家族写真」だ。親に憎悪を抱いている自分が、一番適さない仕事だろう。求められているモノが撮れるとは思えなかった。いまどき家族写真を無名の写真家に依頼するなんて一体どんな家だと訝しんだが、名前を聞いて納得した。

 画家を呼んで描かせて屋敷の玄関ホールに飾っていると聞いても違和感がない人物だった。
 久我正隆、久我グループ。不動産事業で財を成した誰もが知っている人だった。行くのが『久我邸』なら話は別。俄然興味が湧いた。

 久我正隆が所有している建物に、明治期に外国人建築士に作らせた迎賓館がある。一般公開されていないし、知り合いでもなければ見ることも叶わない。なぜならそこが久我の家族が日常生活を送る場所だからだ。内部は殆ど改築されているが外観はそのままだと何かのコラムで読んだ。要は、近代建築の貴重なお屋敷。一度撮影したいと思っていた。
 頼めば撮らせてもらえるかもしれない。そういったメリットが頭に浮かんだ。

 ギブアンドテイクだ。
 これが自分の撮る「最後の作品撮り」というつもりで指定された日に向かった。
 だが最寄駅に着いて早々、五月の暴力的な日差しに、うんざりとした気分になる。まったく爽やかな天気じゃない。太陽は、もう夏の顔をしていた。仕事用に携帯しているサングラスがなければ、目をやられていた。

「あー、仕事を頼むなら駅に迎えくらい寄越せ。金持ちじゃねーの?」

 歩きながらカメラバッグを肩にかけ直し、ひとりごちた。
 レンタカーを借りても良かったのだが貧乏カメラマンが長く、折角遺産が入ってきたというのに躊躇してしまった。
 最寄駅からひたすら山道を歩き、やっと久我邸に着く。
 自分の身長より高い入り口の門。屋敷の玄関まで二百メートルはあった。これほど無駄に土地を使うなんて、金持ちのすることだなと思った。外壁は薄い煉瓦色の石造りで元、迎賓館というだけあって荘厳な雰囲気を漂わせている。とても人が日常生活を営んでいるようには見えない。 

 屋敷内に入ると家政婦をしているという女性に応接室まで案内された。カメラバッグを足元に置き、勧められたソファーに腰を掛ける。

(……あ、これ、金●一の世界だったら、絶対殺人事件が起こるやつ)

 先週たまたま見た推理アニメを思い出していた。なんとか館の殺人事件。
 目の前にある装飾の施された暖炉。壁面の飾り棚、置き台。周囲の石造りの柱は、普通なら重々しい印象を与えるが、全体の温かな照明や調度品相まって優しい雰囲気を醸し出している。
 きっと建築マニアならお金を払ってでも見たいだろう。自分は作品として撮りたいだけなので、その歴史的な価値や研究資料としての貴重さについては興味がなかった。
 程なくして、今回の依頼人が現れた。

「まぁまぁ、ようこそ羽鳥様。遠いところを、連絡くだされば、ご自宅までお迎えに」
 え、総理大臣? 俺、そこまで図々しくないわ! と思った。最初から俺が車で久我邸までくると思ってたらしい。まさか、電車と徒歩で山道を登ってくるとは、って目が言っていた。

「い、いえ、ちょうどこの辺りを散策したかったので」
「まぁまぁ、さすが芸術家の方らしいわぁ。感覚が独特でいらっしゃるのね」

 え、どの辺が? 普通の日本人の感覚だろ! と心の中で思った。
 目の前に座っている三人。
 よく喋る久我夫人。夫人が今回の依頼人だそうだ。頭の先から足の先まで社長夫人らしい立ち居振る舞い。その隣に座っているのが、久我正隆。インタビュー記事では、もっと厳格な感じと思っていたが、家族の前でいるせいか好好爺然とした風貌だった。

(ま、全部、演技だろうけど)

 あからさまな演技をしている二人。写真は一体どんな絵になるのか。想像するとゾクゾクした。二人からは夫婦の空気が一切漂っていない。こんな不自然な状態で、よく家族写真なんか依頼したなぁ、と思った。
 この時点で俺も既に察していた。必要なのは、若手芸術家に撮らせた家族写真という事実だけ。良い加減、自分の母親のことで学習している。そういう芸術に対して不誠実で、無理解な……自分の母親と同じ種類の人間に吐き気がした。
 対外向けのカモフラージュ写真、あとは金持ち同士の話のネタにでもなるのだろう。
 良い気分ではないし、さっさと終わらせて目当ての建物を撮らせてもらおうと思った。

「ほら、真幸、写真家の羽鳥様よ。あなたも作品集見たでしょう? ご挨拶なさい」

 ベージュのジャケット姿の正隆と、ブランドものの煌びやかな花柄のセットアップの夫人。そうやって着飾っている二人から少し離れて、その男の子はいた。

「初めまして、久我真幸です。僕、あの雑誌に載っていた『三毛猫』の写真がとっても好きで。今は動物は撮られないのですか」
「う、あ。最近は、はい。そうですね、動物の写真は、仕事ではなかなか、他との差別化が難しい分野、で」
 え、敬語? つか、なに子供相手に、業界の本当言ってんだよ! 俺は。
「そうなんですね、残念です。あの写真本当に可愛らしくて、是非、また新しい作品が見られると嬉しいです」

 首を傾げて、甘えるような仕草で微笑まれる。キラっ、ニコッて、音がした。幻聴だけど。それは、この場で話すべき百点満点のセリフだった。
 現に俺は一瞬で心を奪われたし、面倒臭そうにしていた自分の心を読まれた気がした。相手が一番喜ぶ、欲しい言葉を計算して言われた気がした。

(なんだ、この子供は)

 まるで、一瞬でテレビや舞台の上に自分が連れてこられたような感覚に陥った。
 頭の上に光り輝くエンジェルリングが見える。気味が悪いほど造作の整っている子。撮影依頼の際もらった前資料では三年前、慈善家である久我氏が養子にした少年と書いていた。私立の有名校の制服だ。青みがかったブレザー姿でソファーに座っていた。まだ子供のあどけなさの残る中性的な容姿をしてる。
 目の前に天使がいると思った。
 勝手に思考がファンタジーに侵される。そういった夢見がちな作風は、もう卒業したつもりだったのに。
 フリーになってから撮影で男性、女性問わずモデルを撮った経験がある。どんな一流芸能人でも、一般人になる隙間がある。久我夫妻が、テレビや雑誌で見るような姿とは違う歪な夫婦関係だと、俺が分かったように。
 けれど、その少年は一切の隙がなかった。
 三人それぞれが仮面を被っている。その中で真幸少年の歪さは、ファインダーを通して見るまでもなく際立っていた。

 家族じゃない人間たちを家族らしく撮るのは中々骨が折れた。
 少なくとも、そこにいるのは父親でも母親でもないからだ。子供も赤の他人。
 ただ子供を演じているだけ。そのはずなのに不思議と歪な夫妻の前で真幸だけが「正しい二人の子供」になっていた。
 その完璧な「真幸」の全てに違和感を感じる。
 写真家の自分としては素に戻る瞬間を切り取るのが売りだったし、そういう自然な家族写真を撮ってほしいから呼ばれたのだと思っていた。
 何回撮っても、理想の、完璧な家族写真しか撮れなかった。

 応接室で依頼仕事を終えたあと、久我氏に建物の撮影を依頼すると、快く許可がもらえた。
 外の撮影は一人で大丈夫だと言ったが、夫人に付き合うように言われた真幸が、俺の隣をついて回っていた。

「この家って、珍しいですか?」
 写真を通して見る感じ、本当は大人しい子だと思う。けれど、どの写真も、どの写真も、完璧な子供らしい子供の写真だった。
「まぁ、うん。君は住んでるから、ただの普通の家か」
「……そんなこと、ないですよ。普通じゃない」
「え?」
 強い山の風が吹き、真幸の声が、かき消される。
「――俺、本当は、こんなところにいるべき人間じゃないし。でも、自分で決めたことだから」

 建物に向けてシャッターを切っていた。けれど真幸が突然、素に戻ったような声で話したことに驚き振り向きざまにシャッターを切ってしまう。

「あ、悪かった。フラッシュ眩しかったよな」
「いえ、大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしましたけど」

 カメラから顔を離すと、真幸は応接室で見たのと同じ顔をしていた。無邪気に、子供らしく微笑み、けれど久我の息子としての礼儀正しさは崩さない。完璧な子供。
 この珍しい建物が撮りたいと思って久我邸にやってきた。けれど、今は目の前の少年の本当の気持ちが撮りたい。

「君は……」
「あ、幸田さんが駅まで車出してくれるみたいです」

 門の前では、お抱えの運転手らしい男がこちらを見ていた。

「いや、大丈夫。まだ明るいし、駅まで歩くわ」
「そうですか?」

 その後も何枚か建物の写真を撮ったが、さっき撮った真幸の写真が気になって仕方がなかった。

 帰り道、来たときと同じ山道を歩きながら、カメラについてる小さなディスプレイを見た。
 予想した通り、あの振り向きざまに撮った真幸の写真はぶれていた。けれど、口元だけが鮮明に写っている。
 綺麗な弧を描き優しく微笑む唇。それに対して耳の残る、暗く、重苦しい決意の声。

 ――でも、自分で決めたことだから。

 真幸はどんな感情だったのだろう。人の気持ちを写真で撮る。
 それは、ただの俺の驕りだった気がした。

 完璧な仮面。
 完璧な演技者を前にして、敗北した気がした。

 真幸の綺麗な唇だけが写った写真。背筋が凍るように冷たく、寒い。

「――きもちわるい」

 それを最後に、俺は作品撮りを辞めた。


 おわり    

               


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