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日記のようなもの(仮)

Twitterを既に嫌いではあるけども(リアルになったら喧嘩の溜まり場みたいだなと思うから)、でも何だか癖で未だに何時間も見れる。
何だそれというか私は、何歳から感覚が止まっているんだろう。

自分の描いているもの、言葉にできそうな出来なさそうなところまで来てしまって。仕事だ、という鉛のいっぱい詰まったふくろ背負ったみたいな感じだった。もちろんイラストレーションのお仕事はとても楽しい数年前からイラストレーターで、うまくなれていたらいいなあということに尽きる。私のイラスト脳はできているかしら。
でも、やっぱり描きたいので好きに描く時間も設けないと、何だか全てが始まらない気がしてモヤモヤする。それが何だか言葉にできてしまいそうなので、私の中では危険度マックスで、それで最近イライラすることが多い。

言葉っていうのは、言い表せないことがあるからイラストがあったり写真があったりなどなどするから平和なんだって。っていうのはものすごく前から感じていて、何かしかない世界とか、今の世界はきっと偏ってしまったのだ。と思っている。コロナウイルスは感染症だし精神病だし、もしかしたら破壊なのかな。。。今、私には見覚えのない世界までバランスを崩されてしまった。

そして、皆が皆、の感じで勇ましい姿を見るたびに戦争を感じてしまうところも正直なところある。戦争反対というのはもちろん私もそう思います。でも、強い言葉で伝える人や、それに何だか反対の気持ちを持ってしまう人、怖がってしまう人などたくさんいるわけで、、、Twitterではたくさんそういう人がいるので嫌だなって思うけど、言葉って、支配するものだと思うから私は呪われてみいってしまっているのかもしれない。言葉は、支配するものだ。本当に呪いだ。

言葉より感覚を大切にしたい。私はイラストレーターだから、そういうものは書いて仕舞えばいいわけだし。

それでも、何だか思うのは私は戦争を知らないので言葉にも絵にもできないです。それが何より怖いです。

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