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THINK TWICE 20211205-1211

12月5日(日) ヴァか? バか?

ジョニはジョウニ、アレサはアリーサ、ポニーはポーニに。

先日、ピーター・バラカンさんの番組「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)のジョニ・ミッチェル特集を聴いた。ジョニ・ミッチェル。ピーターさん流に書くと《ジョウニ・ミチェル》となる。

ネイティヴ・スピーカーではないので、ピーターさんのように厳密ではないけれど、ビル・エヴァンスか、ビル・エバンスか、アメイジングか、アメージングか、はたまたヒッチコックかヒチコックか───など、外国語をカタカナで表記する場合、言葉選びにはいくらか気を使っている。

ぼくのルールはこうだ。まず、Vはヴァ、ヴィ、ヴで、Bならバ、ビ、ブにする。Bill Evansはビル・エヴァンスと書く。また、アメイジング/アメージングのような長音に関しては、日本語の一部として定着している言葉───たとえば、コミュニケーションは伸ばし棒のほうで書く。アメイジングは日常会話でほぼ使わないので、発音(原音)に近いアメイジングとしたい。ただ撥音は、ミッチェルをミチェルと書くのにどうしても抵抗感がある。ミチェルで表記すると、どうしてもまわりの日本語との馴染みというか、言葉のヌケ感が悪く感じる。

もちろん例外は多々あって、V系にコミュニケーション同様のルールが適用されることもある(例:ヴォランティア/ボランティア)。また「ホッチキスではなくホチキスと書くのが正確」とか言い出せば「いや、ホチキスは商標で、正しくはステープラーだから」と別のマウントを取られかねない。

いっぽう、ブルースをブルーズ、マイルス・デイヴィスをマイルズ・デイヴィス、ザ・イー・ストリート・バンドをジ・イー・ストリート・バンドとピーターさんが表記するのは支持する。これは原音とカタカナ表記がまったく一致していないから。自分の名字をミズモトではなく、ミスモトと書かれたり呼ばれたりするのは、ぼくだってイヤだ。

───と、以上のようなルールを取捨選択しながら、外国語をカタカナ化しているけれど、矢野さんのように啓蒙というレヴェルを超えて、他人に「お願いとしてそうして」しまうことには大いに疑問がある。

ピーターさんはこの矢野さんのつぶやきに《強い味方がいて嬉しい!》と引用付きのリツイートでさっそく応じてらっしゃいましたが。

https://twitter.com/pbarakan/status/1461248586167980033

「英語ではそう発音する」のを根拠とするなら、レベルはレヴェルだし、リツイートはリトゥイートだし、ストップはスタップだし、ウォーターはワーラと書くべきで、矢野さんの大好きな乗り物はロケット🚀ではなく、ラケット🏸になってしまう。

厳密は他の厳密を引き寄せる。どんどん肥大化し、無様で、滑稽になる。やがて言葉本来のバランスが崩れて、混乱が始まり、伝えるエネルギーを奪っていく。言葉は記号だ。同じ言葉を共有する人たちの総意と個人的なルール(内規)と美意識の折衷でいいと思う。つまり、こういうことはわざわざ教えるのではなく、人のふり見てわがふり直してもらうのが一番だ。


12月6日(月) だからなんなんだ、という話。

このTシャツ欲しいな

初速がすごい人がいる。

あれがいいですよ、って教えた翌日にすぐ買ってる。あそこいいですよ、って教えたら翌日にすぐ行ってる。あの人、感じいいんですよ、って教えるとすぐ会ってる。そういうフットワークの軽いタイプ。

でも、ひとつの経験則として、そのタイプの人とは腹を割って付き合うような、深い関係にはなかなか進展しない。自分が逆に初速が遅く、人間関係の構築に慎重なタイプだからだろう。

初速が早い人も、日々ダッシュを繰り返しているし、走るレーンが始終変わる。ぼくとのレースが終われば、それでぱたっと沙汰止みになってしまうことが多い。

これはどちらが良いとか悪いとかいう問題ではない。初速タイプの人にだって長いスパンで付き合っている友人や、毎日ひとつ屋根の下で暮らす家族だっている。単に相性の問題だ、とひとことで片付けちゃえばそれまで。でも、自分とはあまりに違う生き方なので、その人を中心に、どういう人間関係や生態系が築かれているのかは気になる。まあ、それがわかってどうなるものでもないし、実際に調査したりはしないけれど(笑)。


12月7日(火) あ、サティー。


伝統的な調性や和声進行のルールを悉く破り、最終的には記譜法そのものを無視したサティ。それゆえ現代音楽や環境音楽のゴッド・ファーザーとも呼ばれている。でも楽曲自体はとてもロマンティックで、奇妙で、美しい。そんなサティ、ドビュッシーやラヴェルを先に好きになってしまったから、いまだに他の多くのクラシックの作曲家にさほど興味を持てない。

サティのことはもっと深く知りたいなと昔から思っている。音楽は音楽として魅力的だけど、もっと彼本人のキャラクターや思想を理解してみたい。

ただ、これだけ人気の高い作曲家なのに、秋山邦晴『エリック・サティ覚え書』(青土社)以外、日本にはこれといった書物がない。秋山さんの本とて、約30年前に出たものだ。このあいだに新しい発見や研究も進んだはず。その成果が反映されたより現代的な資料が読みたい。

Caitlin Horrocks “The Vexations” (Little, Brown and Company)

海外にはそういう本があるのかどうか、ちょっと調べてみた。
2019年にケイトリン・ホロックスという作家が書いた『ヴェクサシオン』という本が見つかったが、これはサティの人生を小説仕立てで振り返った本のようだ。ウォール・ストリート・ジャーナルが選ぶ今年の10冊に選ばれているいっぽうで、アマゾンのレビューには《テーマに対する著者の知識や思い入れの欠如を隠すために、いかにも作り物っぽい表面的なエンターテイメント作品になっているのが残念》という厳しい声もあった。本格的な研究書の不足は日本だけでなく、世界的な問題なのかも。

ところで「ジムノペディ」の演奏はタッチが微弱であれば微弱であるほど、弾く速度も遅ければ遅いほど好きだ。とりわけ好きなのはミシェル・ルグラン───もちろん、あの『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人』のルグランが弾くサティだ。

1976年の高橋悠治さんのアルバム『L'Oeuvre Pour Piano』の「ジムノペディ」。同じLentの指示に従っても悠治さんが弾くとこうなる。庭の落ち葉を椰子ぼうきでサッサと掃くようなイメージがぼくには浮かぶ。

そしてこれは4年前、79歳になった悠治さんの「ジムノペディ」は庭に降り積もった葉っぱをそのまま縁側から眺めているような、泰然自若とした雰囲気がある。

───と、ここまで書いたところで、2016年にユリイカから『エリック・サティの世界』臨時増刊号というのが出てることがわかった。

小沼純一さんの責任編集で、教授や高橋アキさん(悠治さんの妹で、秋山邦晴さんの奥さん)、谷川俊太郎さんや柴田元幸さんも名を連ねている。とりいそぎ図書館で借りて読んでみることにしよう。

あと、ぼくが愛聴している細野晴臣さんが選曲を担当したサティのコンピレーションアルバム『巴里・夢のパッサカリア エリック・サティ・アルバム』(演奏はジャン=ジョエル・バルビエ)をひさびさに引っ張り出したら、細野さんのライナーノーツがとても刺激的だった。

ノンスタンダードなエリック・サティ
細野晴臣

 まるでポップミュージックの出来事のように、エリック・サティはコンピママレーション・アルバムを現代の私たちにつくらせてしまう。エリック・サティは何故今になってこんなにモテるのだろうか? それはきっと、19世紀末に於けるサティの異端性が、時の流れにズレを生じさせ、今日に振動してくるからだろう。このことは例えば’50’sフィフティーズに戻っていくような感傷とは本質的に異なる出来事である。サティのズレ方は途方もなく大きく、当時の世界に振動しにくかったと思われるが、それが今、ここ教年飢餓状態にあった私の音楽的状況に訴えかけ始めたのだった。
 もう10年程前にも私はサティの音楽に接していたが、空気や気分、或いは感情のレベル以上に響くものを感じたのはおととしあたりからである。そのレベルとは、100年毎に巡って来るこの世紀末を振動させる何かである。サティや仲間のシュール・レアリストたちの仕事が、新世紀へのかけ橋であったように、その仕事霊といったようなものが、私たちに橋の実現を呼びかけているのかも知れない。過去から飛来する音霊波が、未来の或る一点に在する壁に反射し、私たちはその反射音を頼りに壁の質を測定している、という図を想像してもいい。その音霊波の振動は、だから虫の知らせとも言えるし、奇界の中にあって微細に振動しているものだから、つい私は注意深く耳を傾けてしまうのである。そんな気持ちで、新たに「ジムノペディ」など聴いて見ると、さて何が見えるか……。


12月8日(水) 80years A Go

伊丹万作と息子、赤ん坊だった十三

半年くらい前、半藤一利さんの大著『昭和史1926-1945』で、日本が開戦に至ったプロセスをひととおりおさらいしたことは何度かここに書いた。

先週末、NHKで放送された『新・ドキュメント太平洋戦争』も観た。開戦前後に一般の国民あるいは軍人たちが個人的に付けていた日記=エゴ・ドキュメントを収集し、記述から拾い出したキーワードをSNS的なタイム・ラインに並べ直し、ビッグ・データとして整理することで、より巨視的な戦争像を再構築しようと試みた番組だった。

おそらくこの番組によって描かれていく《新しい太平洋戦争像》とは、伊丹万作が終戦直後に書いた随筆の、この一文に帰結するはずだ。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後は何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。(中略)
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

伊丹万作「戦争責任者の問題」(『映画春秋 創刊号』1946年8月)

学校で教える日本史の授業は、日本人の最もオリジナリティあふれる文化を花咲かせていた縄文時代と、失敗に失敗を繰り返した1931年の満州事変から1946年の日本国憲法公布までをくりかえし勉強するだけで充分じゃないか。受験に必要なら残りは自主勉するか、塾で習えばいい。


12月9日(木) 200,000/100 

相方スライ・ダンバーの腕を弾くロビー・シェイクスピア

スライ&ロビーのロビー・シェイクスピアが亡くなった。レゲエだけでなく、ロックやニューウェイヴなど幅広くプレイした人で、生涯に彼が関わった楽曲は20万曲にも及ぶらしい。ぼくの家にすら彼がベースを弾いているCDやレコードが100枚はあるんじゃないだろうか。

ロビーだけでなく、今年もたくさんの音楽家が鬼籍に入られた。1月は収監中だったフィル・スペクター。2月にチック・コリア、バーニー・ウェイラー。5月にカーティス・フラー、B・J・トーマス。6月はジョン・ハッセル、土岐英史さん。7月はビズ・マーキー、シカゴ・ハウスのレジェンド、ポール・ジョンソン。8月はチャーリー・ワッツとリー・ペリー。9月はキャバレー・ボルテールのリチャード・H・カーク(今、知った)。10月はワム!のベーシスト、デオン・エスタス。で、12月はThe JB’sのドラマー、メルヴィン・パーカーと、ロビー。天国バンドがますます豪華に。

Gwen Guthrie “Padlock (Special Mixes by Larry Levan)” 1985

ロビーの演奏するレコードを何か一枚ということであれば、やっぱりこのグウェン・ガスリー「Padrock - Special Mixes By Larry Levan」を挙げたい。最高のドラムと最高のベースと最高の歌があれば、最高のダンス・ミュージックになるという最高のお手本。

参加メンバーでご存命なのはスライ・ダンバーとウォリー・バダルー。ラリー・ラヴァンは1992年、ヴォーカルのグウェン・ガスリーは1999年、ギターのダリル・トンプロンが2014年に亡くなった。

Tony Wright

あと、印象的なジャケット・イラストを描いた画家のトニー・ライトもご存命。

Bob Marley “Natty Dread”
Kevin Ayers “Sweet Deceiver”
The Upsetters ‎”Super Ape”
The B-52’s “Party Mix“
ZE Record “A Christmas Record“
Artisits United Against Apartheid “Sun City“
Marianne Faithfull ‎”Strange Weather”

レコード好きなら誰もが一度はエサ箱で見かけたことのある、一連のジャケット。これらもすべてトニーの仕事だったとは知らなかった。

Traffic “The Low Spark of High Heeled Boys“(表ジャケ)
Traffic “The Low Spark of High Heeled Boys“(裏ジャケ)

そして、このあまりにも有名なトラフィックの変形ジャケも彼の仕事。MoMAのパーマネントコレクションに入っているとか。

ああ、ぼくって何にも知らないなあ……。


12月10日(金) ゲット・バック

この位置に堂々と座ってられるアシスタント(左)とヨーコはすごい

めずらしく2日連続の飲み会。打ち合わせも兼ねて───という口実で。来年に向けて、いろいろなアイディア交換。なにかひとつでも形にしたい。

そしてこの2日間は待ちに待ったビートルズのドキュメント『ゲット・バック』にどっぷり浸かっていた。紆余曲折を経て、ディズニープラスからの配信に落ち着いたこの作品。このスタイルでの公開は不幸中の幸いだったんじゃないかと思う。

これから観る人もきっと多いだろうから、あまりネタバレはしたくないけれど───優れたクリエイターには偶然を必然として誘い込む才能が不可欠で、そういう見えない力に助けをかりながら、数々の修羅場を乗り越えてきたからこそ、ビートルズがビートルズたりえた。わずか半月ほどのレコーディングセッションでも次から次にそういうことが起き、それをこれほどまで赤裸々に記録していたというのはすごい。そしてもちろんそれをあけっぴろげに記録させていたメンバーたちの胆力にもあらためて恐れ入るばかり。

そして、音楽面の最高殊勲選手はもちろんビリー・プレストン。あと、印象に残ったのはジョンがスタジオへの機材搬入を自分から手伝ってたシーン。というか、世界的なスーパースターであるファブ4を、まわりのスタッフたちがそこまで王様扱いをしてないところに驚いた。みんな言いたいことは言い合うし、遅れてスタジオにやってきたジョンに誰一人イスも譲らず、淡々と紅茶を飲んでるシーンも妙にグッときた(笑)。

ビートルズにそこまで興味がない人が見ても、絶対に得する作品なので、年末年始にくだらない地上波の番組を観るくらいならぜひ。

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