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THINK TWICE 20210627-0703

6月27日(日) 指紋と近代

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インスタでも紹介したんだけど、高野麻子『指紋と近代』(みすず書房)を読了。

指紋法の成立や歴史はもちろん、最近、興味を持っている満州国について、初耳なことがたくさん書かれていて、非常に面白い本でした。

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ぼくが満州国に興味を持つきっかけになったのは坂本龍一さんのラジオ番組。満州の専門家である東大教授の安冨歩さんと坂本さんの対談でした。

そのあと安富さんの著書『満州暴走』や、昨年亡くなった半藤一利さんの『昭和史』なども読んで、満州国がなぜ生まれたのか、そしてどういう経緯で崩壊に至ったか───という流れはおおむね把握したつもりです。

そして、新型コロナウィルス対策やオリンピックの開催問題など、日本人が戦後80年近く経過しても、まだ《満州病》を克服できていないってことも、この勉強をとおして痛感したわけですが───高野さんの本ではまたちょっと違った角度から満州国のことを眺めることができるんですね。

特に面白かったのは、1932年から1945年という満州国の短い歴史の中で、いわゆる国籍法───つまり、満州国民とは誰を指すのかを定義する根拠を定めることができず、そのまま終戦を迎えてしまった、という点でした。

一番大きな問題は満州に入植してくる日本人の定義で、日本の国籍法は二重国籍を認めていませんから、満州に入植し、定住するには日本国籍を離脱するか、外国人という立場のままで暮らすことになります。これでは、満州に根を下ろして、開拓に勤しもうというやる気のある人たちを遠ざけてしまいますよね。ほかにもさまざまな障壁があって、この問題はうやむやになったまま、最後まで決着がつかなかったのです。

いっぽうで外国から労働力を受け入れねば、満州がおさえていた広大な土地(現在の中国の国土の3分の1あった)は開拓できません。主に中国から出稼ぎの人々を大量に迎え入れたのですが、そのなかには犯罪者も混じっていましたし、よりよい労働環境を求めて、満州国内を流浪する人たちが跡を絶たなかった。そこで許可証を作って外国人労働者を管理することにし、その身分証明のため、当時の最新技術だった指紋法を取り入れたわけです。

要するに、満州国民とは誰かが決まっていないのに、外国人の定義だけが先に決まった、と。で、その許可証を持ってない人が国民である、という一応の線引きはできたけれど、法的根拠は何も無いまま、日本の敗戦とともに満州国は消滅してしまいました。

ただし、国破れて山河ありではないけれど、そこで培われた指紋法の技術は、指紋業務に従事していた人たちが日本に引き揚げたあと、警察に入り、今に至る指紋捜査の基盤として活用されるんです。

他にも、警察力をカヴァーし、治安維持するために「保甲制度」というのがありました。これはご近所さん10世帯をひとつのグループ(牌)と見なして、相互監視させ、なにかあれば連座制で責任を取らせるようなシステムのことです。もちろん今の実社会にこういう制度は無いけれど、SNSというのは一種の相互監視と言えるし、いったん誰かが炎上したら、グループにどんどん延焼していくところも保甲制度に似てますよね。

そんなわけで、満州国の亡霊は今でもぼくたちのまわりを飛んでますよ───ほら、君の背中の後ろにも(悲鳴)。


6月28日(月) スマートなゲートボール

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近田春夫さんが1983年頃にやってたバンド、ゲートボール。

テクノポップ風のアレンジがロックやポップスだけでなく、歌謡曲や演歌にまで侵食していた時代(YMOが解散したのがまさにこの年)に、近田さんが作ったこのグループはチープなアナログシンセ+ウッドベース+グロッケンという、世の流れと完全に逆行した編成で、いわゆるスタンダードナンバーから、クラフトワークやボウイの楽曲などをカヴァーしていました。

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今からちょうど10年前、徳間ジャパンの創立45周年を記念で『近田春夫と篠木雅博の徳間ナイトニッポン』(ニッポン放送)という特番が放送され、近田さんはゲートボールの結成動機について、「当時、環境音楽がブームで、そういうたぐいのグループ(インテリアズ、テストパターンのことかな)に対して、いけすかさを感じていた。そんな彼らを茶化すためにゲートボールを組んで、原宿のピテカントロプスで演奏したら大いにウケたので、アルバムも出した」という裏話をしてました(うろ覚えですが)。

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アルバム『スマートなゲートボール』はカセットテープ、そして同名の4曲入り7インチEP(欲しい!)でリリースされた後、1991年にCDで再発。いずれも見かけることのほとんど無いアイテムだったんですが、2019年にタワレコ限定でCDが復刻。オリジナルカセットは持っていて、カセットからPCに中身を取り込んで、わざわざマスタリングまで済ませ、iTunesでいつでも聞けるような状態にしているし(マメ)、2,500円払ってCDまで買う必要は無いかなあと思って、購入は見送ったんだけど、先日、他の捜し物でタワレコのサイトを見ていところ、たまたま1,100円(オンライン限定価格)で投げ売りされているのを発見。迷うことなく注文しました。

今のところ、サブスクや配信でのリリースは確認できていません。いつまでこの値段なのかわかりませんが、興味ある方はぜひ。


6月30日(水) ジミな男

深夜、坂本慎太郎さんのラジオ(FLAG RADIO@α-STATION)をラジコで聴いていたら、ザ・ローリング・ストーンズの耳馴染みのない曲が流れました。

トラックリストを調べると、ぼくの生まれ年、1969年のアルバム『Beggars Banquet(乞食たちの晩餐会)』に収録されてる「Stray Cat Blues」でした。うーむ、レコードも持っているし、何回も聴いているアルバムなのに、まったく印象に残ってない。不思議。

というか、ストーンズのアルバムをこれまでの人生で、あまり真剣に聴き込んだことが無いだけなんですけどね(笑)。ただ、こんな風に誰かがラジオで紹介したり、映画のなかでサントラとしてよい感じに使われたりしてると、かえって新鮮で、とてもいいのです。

ウェス・アンダーソンは特に、ストーンズの地味な曲を流すことが多くて、デビュー作の『アンソニーのハッピーモーテル』(1996年)では「2000 Man」、二作目の『天才マックスの世界』(1998年)では「I am Waiting」『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001年)では「She Smiled Sweetly」を、『ダージリン急行』(2007年)では「Play with Fire」を使ってました。

地味といえば。「Stray Cat Blues」の後半、アンサンブルに加わるコンガの音が印象的なんですが、これはガーナ系のパーカッショニスト、ロッキー・ディジョンの演奏だそうです。

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「悪魔を憐れむ歌」のコンガも彼の演奏、とクレジットされてて、頭にクエスチョンマークが浮かんだのは、ジャン・リュック・ゴダールの映画『ONE PLUS ONE』のせいです。「悪魔を憐れむ歌」のレコーディング風景を映画化した作品なんだけど、劇中にいっさい彼の姿は出てこなくて、ミックやチャーリーがパーカッションを叩いているシーンの印象が強かったから、今の今までロッキーの存在を意識したことなかった。

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現在「悪魔を憐れむ歌」の公式MVとされている『ロックンロール・サーカス』での演奏にはロッキーの勇姿がちゃんと記録されてますね。よかったよかった。

で、ロッキーはこの演奏で名を挙げ、ストーンズ以外にもニック・ドレイクやクリームのジンジャー・ベイカー、タージ・マハル、スティーヴィー・ワンダー、ミニー・リパートン、ハービー・ハンコック、そして、ジミヘンの未発表だったアルバム『Valleys of Neptune』のセッションにも参加してますが、70年代以降はぷっつりとキャリアが途切れ、1993年にロサンゼルスで亡くなったということです。

先日、このnoteに書いた"エイメン・ブレイク"のグレゴリー・コールマンしかり、音楽史に残るワンフレーズを叩きながら、世間の人にほとんど顧みられない存在───ってなんとなくやるせないですね。


7月1日(木) 52

誕生日でした。もはや自分ではめでたいと思わなくなってきましたが、変わらず祝福してくださる家族や友人がいて、誰からも何の心配もされないように暮らせてるのはうれしいことだな、と。ちなみに武田信玄が死んだのが52歳だったそうです。彼の意志を継いで、今年一年のテーマは風林火山にしようかな。


7月2日(金) ビースティっぽいのが好き。

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三人ひと組で、ビースティっぽい決めポーズをしている写真が無条件に好きです。

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