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THINK TWICE 20210228-20210306

3月1日(月) 三月の水

毎月、レギュラーで出演しているラジオ番組のために、昨年3月に書いたテキストが出てきたので、ひさしぶりに読みかえしました。

実際に出演したのは2020年3月21日。その前後に起きていたことをざっと振り返ってみると、まず2月13日に神奈川県で80代の女性が初めてCOVID-19が原因で亡くなりました。23日の天皇誕生日には一般参賀が中止になり、感染拡大防止の措置として、27日から全国の小中高が臨時休校に。そして3月15日にマスクと消毒液のネット転売が禁止され、24日に東京オリンピックとパラリンピックの1年延期が決定し、29日に志村けんさんが亡くなりました。

───なんとなくあの頃の気分を思い出しましたか?

では、ぼくの原稿をお読みください。

For RNB RADIO "Smile mix" in March, 2020

前回、ぼくがこのラジオに出演したのは2月15日でしたが、たった1ヶ月ちょっとで、世界の雰囲気、街の空気感はガラッと変わってしまいました。

あらためてこういう深刻な事態になって、とにかく土曜朝10時、このラジオを聞いてくださっている方にどんな時間をお届けするべきだろう……とずいぶん考えた末に、ボサノヴァを生んだ天才音楽家アントニオ・カルロス・ジョビンの代表曲「三月の水」をじっくり聞こう……という今回の特集を思いつきました。

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アントニオ・カルロス・ジョビンの名前を知らない人も「イパネマの娘」なら知ってるはずです。1962年にジョビンが作曲、外交官でジャーナリストでもあった盟友のヴィニシウス・ヂ・モライスが作詞を担当しました。

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その後、スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルト、ジョビンの演奏で、アストラッド・ジルベルトが歌った英語バージョンが1964年に吹き込まれ、それがアメリカで大ヒットすると、日本も含めた世界中でボサノヴァが大ブームになりました。

「三月の水」は「イパネマの娘」からちょうど10年後の1972年に作られた曲で、これもポルトガル語詞と英語詞の2つのバージョンがあります。

前者は「Águas de Março(アグアス・デ・マールソ)」、後者は「Water of March」とタイトルが付けられました。

メロディラインに大きな起伏はなく、ブラジル音楽特有の、楽曲全体がゆったりと回転しているような《円環構造》を持っていて、不思議な高揚感があります。ドラムス、ギター、ピアノ、ジョビンの歌という骨格に、名編曲家クラウス・オガーマンがオーケストレーションしたシルキーなストリングス、軽やかな管楽器が彩りと厚みを添えた、とてもエレガントでロマンティックなサウンドです。

歌詞はどちらかと言えば内省的で、抽象的です。ありふれた風景、物質、人間や動物たちの営み、自然のうつろいといったものが、脈絡のない短い言葉の羅列によって切り取られていきます。歌詞を追いながら聞いていると、俳句や徘徊に近い表現だな、とも感じます。

では、英語詞を翻訳してみたので読んでみますね。


三月の水

枝、石つぶて
それは道の行き止まり
切り株に腰を掛けて休息
ほんの少しの孤独
それはガラスの欠片
それは人生、それは太陽
それは夜、それは死
それは罠、それは銃
花ざかりの樫の木
丸まった狐
樹木の節目
鶫(つぐみ)の歌
風の中に立っている木
断崖、滝
こすり傷、瘤(こぶ)
それは虚無
それは縦横無尽に吹く風
それは坂の行き止まり
それは光線、それは虚空
それは予感、それは希望
小川のせせらぎ、三月の水
それは痛みからの解放
あなたの心の中の歓び
足、地面
肌と骨
大地の鼓動
投石機
魚、きらめき
銀色の輝き
闘い、賭け
弓矢の射程距離
井戸の底
行列の終わり
うろたえた顔
それは喪失、それは発見
槍、釘
しるし、爪
雫(しずく)、滴り
物語の終わり
朝の柔らかな光に包まれている煉瓦の積荷
真夜中の銃撃
マイル、やるべきこと
前進、衝突
少女、韻
それは冷たさ、それはおたふく風邪
家の設計図
ベッドの中のからだ
動けなくなった車
泥、ぬかるみ
いかだ、漂流
飛行、翼
鷹、鶉(うずら)
春の兆し
小川のせせらぎ、三月の水
それは人生の希望
あなたの心の中の歓び
蛇、棒
それはJohn、それはJoe
あなたの手に刺さる棘
あなたのかかとの切り傷
点、粒
蜂、囓る
点滅、禿鷹
夜中の突然の閃き
ピン、針
ひと刺し、痛み
かたつむり、なぞなぞ遊び
すずめばち、汚点
山々の小道
丘の上をゆっくりと進む
馬と騾馬
三つの青い影
小川のせせらぎ、三月の水
それは人生の希望
あなたの心の中に
あなたの心の中に
棒、石つぶて
道の終わり
切り株に腰掛けて休息
孤独な旅路
ガラスの欠片
生活、太陽
ナイフ、死
流れの終わり
小川のせせらぎ、三月の水
痛みの終わり
あなたの心の中の歓び


───ちょっと前にブラジルの政治についてのドキュメンタリーをNetflixで見ました。『ブラジル ー消えゆく民主主義ー』という番組です。

「三月の水」が書かれた1972年のブラジルは、軍隊が武力によって国を統治する、いわゆる軍事政権の時代でした。体制に反発する学生たち、大学教授などの知識人、革新的な政治組織のメンバーなどが政府によって猛烈な弾圧を受けました。拉致、暴行、拷問など、非合法な暴力も公然と用いられていたのです。

その一方、ブラジル経済はかつてないほどの成長を遂げていて〈ブラジルの奇跡〉と呼ばれる好景気の時代でもありました。まさに飴と鞭です。もちろん金持ちになるのは一部の人間だけ。貧富の格差はどんどん広がっていきます。また、行き過ぎた開発によって、自然環境は容赦なく破壊されていきました。

また、この頃のジョビンは、ボサノヴァの世界的な人気の反動で、かつての音楽仲間や評論家たちから、半ばやっかみのような批判を受けたり、奥さんとの関係もすっかり冷え込んでいました。メンタルはボロボロ。精神分析医によるカウンセリングも受けていたようです。そこで彼はポッソ・フンドという、リオデジャネイロの喧騒から遠く離れた田舎町で暮らし始めます。環境問題に熱心に取り組んだり、豊かな自然と向き合いながら、もういちど自分自身の音楽を追求していきます。

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こうして誕生した「三月の水」は『マチータ・ペレー』というアルバムに収録されました。ブラジルの3月は日本でいうと9月くらいの気候で、雨季にあたります。「三月の水」とは雨水のことでしょう。

アルバムタイトルの『マチータ・ペレー』は、ブラジルの有名な民話『サチ(Saci)』に出てくる、ジャングルの奥に棲む、人間には決して姿を見せず、鳴き声だけが聞こえるという鳥の名にちなんでいます。

先ほども言いましたが、「三月の水」を作っていた頃、ジョビンは酒に溺れ、家庭も顧みなくなっていました。ついに50歳(今のぼくと同い年です)の誕生日の翌朝、何十年も連れ添ってきた愛妻テレーザから三行半を突きつけられます。彼の洋服はトランクにまとめられ、玄関に置かれていました。彼は荷物ごと自宅を追い出されてしまったのです。

とはいえ、ジョビンは2人目の伴侶、アナという女性と出会い、新たに子供もつくり、彼女と終生、幸せな人生を送るのですが。

止まない雨はないようにどんなことにも終わりが来ます。ジョビンはこの曲を《どんな先行きの見えない状況においても希望を忘れず、どんなときでも万物に神様や愛が宿ることを信じぬく》ということ───つまり究極的な救済と、世界の再生を信じて作ったのではないでしょうか。誰しもの心の中にある歓びを日々高め、感じながら、この旅を続けていこう、と。

リスナーのみなさんと一緒に今、笑顔で聞きたい1曲ということで、アントニオ・カルロス・ジョビンの1973年のアルバム『マチータ・ペレー』より「三月の水」をお届けします。

それでは、どうぞ───。


はい、2021年3月のミズモトにマイクが戻ってきました。昨年のぼくのテキスト、いかがでしたでしょうか。時間というものは川を流れる水のようですね。ゆるやかに流れているように見えても、いざ川に入ってみると、からだごと持っていかれそうになるほど強い流れだったりして。見るからに激流だった去年に比べれば、やや緩やかに感じる今年のほうがむしろ時間の流れが早い気がするのは不思議です。


3月2日(火) 花に水

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ヴァンパイア・ウィークエンドが2019年にリリースした『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』というアルバムに「2021」という楽曲が入っていました。

2分にも満たないとても短い曲でしたが、ぼくにとっては非常に耳馴染みのある曲───1983年に細野晴臣さんが無印良品の店内BGMとして作り、1984年にカセットブック『花に水』に収録された「Talking あなたについてのおしゃべりあれこれ」がサンプリングされているのです。

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1980年に無印良品が誕生し、1983年、青山に第一号店(現在、Found Mujiになっている店舗)ができたとき、細野さんとも縁の深い、二代目YMOこと、スーパーエディターの秋山道男さんが関わっていたので、そのラインからの依頼だったのではないかと推察します。*1

*1 細野さんがラジオ番組「Daisy Holiday」で秋山さんからの依頼だと認めてましたね。あと〈依頼された仕事をこなした〉だけ、とも(笑)。
https://biscuittimes77.hatenablog.com/entry/2020/03/22/124702

その頃の細野さんはYMOを解散し、ヒップホップやエレクトロのような流行性の強い───つまり流れの早い音楽と、アンビエント/環境音楽のような普遍的で、流れのゆるやかな音楽も同時並行的に手掛けていました。もちろん、ぼくはそのどちらにも惹かれていたのですが。

ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・クーニグはたまたまYouTubeで細野さんの曲に出会って、それを元に「2021」という曲を仕上げ、そして今回、サム・ゲンデル、Gooseによって20分21秒ずつの楽曲にリ・モデルされ、リリースされました。

ぼくが注目したいのはサム・ゲンデル。鍵盤から弦楽器までこなす、ロサンゼルス出身の気鋭のマルチ・インストゥルメンタリストです。

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彼を知ったきっかけはベーシスト、サム・ウィルクスとの共作アルバム『Music for Saxofone and Bass Guitar』。ウィルクスがルイス・コールのバンドメンバーということで聴いたんですけど、これがもうとにかく傑作。スピリチュアル・ジャズ/メディテーション・ミュージック/現代音楽/エレクトロニカなどなどをミクスチャーしつつ、それでいてけっして小難しくなく、どことなく日本の民謡のようなエスノシティも感じさせる大傑作。リリースされた2018年の個人年間ベストアルバムにも入れました。

ただ、この作品を勧めた友人がぼくくらい気に入ってくれる確率は半々か、それ以下でしたけどね。

その後、アルバム1枚のリリースにとどまっているウィルクスに対し(とはいえそのレコードも傑作です)、1年に1枚以上のペースで作品を出し続けているゲンデル。まずウィルクスとの共演盤を出した2018年には初めてのソロアルバム『4444』とセカンド『Pass If Music』を同時期にリリース。2019年はLAの現代音楽/実験音楽の若手作曲家、イーサン・ブラウンとの共作『Rio Nilo 66』。そして昨年はジャズ・スタンダードを原型を留めないほど解体したアルバム『Satin Doll』と、同手法で作ったオリジナル作『DRM』。今年に入って、過去10年ほどのあいだに録り溜めたデモ音源とライブ音源を52曲も集めた『Fresh Bread』をさっそく出しました。

そして、ここ数年の彼はあのライ・クーダーのバンドでレコーディングとツアーに参加していることを、まったく不勉強ながら知りませんでした。

これが滅法かっこいいんですよ。再来週15日で74歳(ビートたけしさん、細野晴臣さん、蛭子能収さんと同い年)になるライ・クーダーの絶倫ぶりが、何よりもすごいのですが、ゲンデルは靴下のようなものを朝顔にかぶせた、トレードマークのアルト・サックスを演奏。足元でさまざまなエフェクターを切り替えながら、ブラスセクションのような、あるいはアコーディオンのような音を出してますね。

この映像はとにかく演奏も最高だし、録音も最高。こういうシンプルなブルーズやカントリーミュージックって、楽器のちょっとした音色ひとつでダサくもかっこよくもなるのですが、これは文句つけようがないですね。ぜひヘッドフォンをして、聴いて見てほしいです。ちなみにドラムス(と、お玉!)を叩いているイケメンは、ライ・クーダーの実の息子、ヨアキム・クーダー。

えーっと、長くなったんで、ここらでブレイクして、明日しつこく続きを書きます。


3月3日(水) 放蕩息子のたとえ話

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ゲンデルも参加した2018年発表のライ・クーダーのアルバム『The Prodigal Son』。さっそくダウンロードで購入しました。

プロデューサーはライと息子のヨアキム。11曲の収録曲のうち、8曲が古いゴスペル・ミュージックのカヴァーで、オリジナル曲は3曲(Shrinking Man、Gentrification、Jesus and Woody)。

ライナーノーツが付いてないので、ウィキペディアの英語版と、大場正明さんが書いたこの記事を参考にしながら聞き込みました。

2015年、カントリー/ブルーグラス歌手のリッキー・スキャッグス&シャロン・ホワイト夫妻とライが共演ツアーを行った際、そのレパートリーとして自分のルーツ/ミュージックだったホワイト・ゴスペルを"再発見"したことが、今回のアルバム制作に繋がってるんだとか。

このへんは細野さんが2005年に狭山の野外フェスのために編成したバンド「東京シャイネス」との演奏をきっかけに、音楽的な原体験である古いロックンロールやジャズ、カントリーと向き合い、自分のオリジナル曲も含めて、そういう演奏スタイルでリ・モデルしたことと共時性を感じます。

昨日、YouTubeのリンクで紹介したライの「The Prodigal Son」は、新約聖書に出てくる《放蕩息子のたとえ話》という逸話を元にした曲で、いわゆるトラディショナル・ソングです。

聖書の中でとりわけ有名な逸話ですが、《放蕩息子のたとえ話》をぼくなりに解説するとこんな話になります。

ある金持ちの男に、二人の息子がいました。成長した下の息子は父親に財産の生前分与を求め、その金を持って親元から旅立ちました。そしてその金を使って放蕩のかぎりを尽くし、すっからかんになってしまいます。豚(ユダヤ人にとって豚は不浄の生き物)の世話をするほど貧しくなった彼は、心から悔い改めたのち、息子としてではなく単なるひとりの使用人として家に置いてくれ、と父に頼みこもうと実家に戻りました。すると、父は息子が口を開く前に、彼の方から走り寄って息子を抱きしめて赦し、盛大な祝宴さえ開きます。そうなると面白くないのは親元に残っていた真面目な兄のほうです。しかし、長男に対して父はこう言います。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいたじゃないか。わたしのものは全部お前のものだよ。だが、お前の弟は死んでいたのに生き返ったんだ。失ったと思ったのに見つかったんだよ(Lost and Found)。喜んで迎え入れるのは当たり前じゃないか」。

聖書に書かれた逸話というよりも、なんだか落語のようなお話ですね。

ウィキペディアによれば〈この物語の主題は、神に逆らった罪人を迎え入れる神のあわれみ深さである。登場する「父親」は神またはキリストを、「弟」(放蕩息子)は神に背を向けた罪びとを、「兄」は律法に忠実な人を指しているといわれる。〉だそうです。

信仰を捨てたり、神のおしえに背くようなことをしても、心から反省してふたたび戻ってくれば、神は赦す、心から謝れば赦してもらえる───ということです。落語だとしたら、なんだか人間臭くて面白い話だなと笑えますが、真面目に神と向き合ってきた熱心な信者の人たちが聞いたら、むっとするんじゃないか、と感じてしまいますよね。

でも神さまにしてみれば、いっぺん自分の元を離れたって、戻ってきたならいいじゃない、ってことなんです。信仰というのは、ふるまいよりも心の問題なんですよ、ということ。と同時に、そういう神の態度に疑問を持った兄側の人たちに対して「弟が許せないというのは、あなたがたをずっと信じてきた私の気持ちに背くことですよ」とたしなめているわけです。柵の中でまた同居することになったんだから、いずれにせよ羊であるあなたがたは私に最後まで付き添いなさいね、ということです。神さまってけっこうしたたかなんです。


3月4日(木) Lost and Found

昨日書いたように、アルバム「The Prodigal Son」は"Lost and Found"をコンセプトに作られたのはまちがいありません。

ライだけでなく、"Lost and Found"───喪失と発見というのは、特に西洋のあらゆる作品のテーマになっています。たとえば、レイモンド・カーヴァーの短編小説「ささやかだけれど、役にたつこと」という小説を読んだことがある方も多いと思います。

ある若い夫婦が幼い息子を交通事故で失います。その日はちょうど子供の誕生日で、近所のパン屋に母親がバースデイケーキを注文していたのですが、事故のことですったもんだしていて、すっかりそのことを忘れてしまいます。もちろんパン屋はそんなことが起きてるとはつゆ知らず、せっかく作ったケーキを母親が取りに来ないことに腹を立て、何度も夫婦の家に嫌がらせの電話をかけるのです。夫婦はパン屋にどなりこみます。もちろんパン屋も腹を立てているので、保管していた腐ったケーキを彼らに引き取らせようとする始末。しかし、すべての事情を聞いた後で、パン屋は自分の犯した間違いを謝罪し、夫婦に焼きたてのロールパンとコーヒーを差し出してこう言います。

「よかったら、あたしが焼いた暖かいロールパンを食べて下さい。ちゃんと食べて、頑張っていきていかなきゃならんのだから。こんなときには、ものを食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」

もちろんロールパンは失われた子供の生命に見合う価値なんてもちえません。でもそれは焼き立てで、とてもいい香りがして、なによりも暖かい───その"発見"が喪失によって傷んだ彼らの心や人間同士が求め合うべき尊厳というものを復活させるんですね。

ところで、先日読んでいた藤本和子さんの随筆『砂漠の教室』に所収されている「あかつきのハデラ病院」というエッセイが、ほとんど「ささやかだけれど、役にたつこと」と同じ筋なのに驚きました。

カもちろん「あかつきのハデラ病院」は創作ではなく、実体験にもとづいた随筆だし、そもそもカーヴァーの短編「ささやかだけれど、役にたつこと(A Small, Good Thing)」がアメリカの雑誌『Ploughshares』の初出されたのは1982年で、藤本さんの本は1978年に発表されたもの。もちろんどちらかがどちらの文章を読んで影響を受けたなんてことは絶対にありません。

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この藤本さんの『砂漠の教室』*1 は、ユダヤ人のご主人と一緒に、ヘブライ語を実地に習うために滞在したイスラエルでの日々を記したエッセイで、信仰とはなにか、ユダヤ教とキリスト教の違いとは───といったことをちょうど考えていたばかりで、ライ・クーダーの『The Prodigal Son』との出会いはとてもタイムリーでした。

*1 オリジナルの書籍は入手困難。でも、先ほどリンクを張ったウェブサイト「水牛」で全文を読むことができます。

ちなみにライの息子の名前「ヨアキム」は、ヘブライ語で〈神の確立〉という意味。聖母マリアの父親の名前とされています。ヨアキム・クーダーは放蕩息子ではなく、父親をミュージシャンとして支えながらも、自分の作品も作り続けている人です。

息子が前に出るときには父が支える側に。サム・ゲンデルももちろん参加していて、この演奏ではアコギを弾いてますね。

アルバムもなかなかの出来でした。


3月5日(金) New Traditional

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ヴァンパイア・ウィークエンドから出発して、サム・ゲンデルに飛び、ライ・クーダー経由で細野さんや藤本和子さんに再着陸する───今週もなかなかエキサイティングな展開です。と言っても、興奮しているのはぼくだけなのですが(笑)。

それにしても、ライ・クーダーや細野さんが今、やっている音楽というのは、アンサンブルがシンプルで、余計な装飾がない分、料理でいえば、調理人の腕や素材が勝負なのは言うまでもありません。

もちろんライ・クーダーにしても細野さんにしても、申し分のない料理人です。人が顧みなくなったような伝統食材や調理法を復活させつつ、今の人たちの舌に合うような新鮮な工夫も忘れないところがすばらしいな、と思うのです。

サム・ゲンデルのような尖った音楽家を飛び道具的に利用するのはかんたんです。10人も20人もメンバーがいるような大所帯のバンドのなかに紛れ込ませておくなら、誰にでもできるでしょう。しかし、ライのバンドはご覧の通り、4ピースです。ライの歌がメイン食材として、彼のギターが塩、息子のドラムは出汁で、ベースが醤油───最後のひと味になにを足すか、ものすごくセンスが問われます。しかも、サム・ゲンデルのサックスって砂糖とか胡椒じゃないですからね。ガラムマサラくらいクセがすごいわけ(笑)。じゃあ、まあ軽く一匙、なんてわけにはいかないんですよ。

手なづけるでもなく、譲り渡してもいない、なんかちょうどいい感じに落ち着けてしまうライ・クーダーさん、お見事です。

細野さんも最近ライブ・アルバムを出しましたね。まだサブスクでしか聴いてないのですが、細野さん自身が手掛けたミックスとマスタリングがとてもモダンで、ワクワクしました。


3月6日(土) サム・ゲンデルについて知っていることを洗いざらい。

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よく考えたらサム・ゲンデルのことをあまり詳しく説明してなかったですね。ちなみにちなみに、ばかりで本題の内容が薄くなるのはぼくの悪いクセです。

生年月日はよくわかりませんでした。たぶん30代半ばくらいではないでしょうか。出身はロサンゼルス。YouTubeに彼の名前を入れて出てくる一番古い動画が、ルイス・コールがガールフレンドとやっている"Knower"というユニットのこの曲。

これが2010年。今から11年前ですね。ルイス・コールとは大学時代に知り合ったらしいので、コールが通っていた南カリフォルニア大学の音楽学科の同級生かもしれないですね。

で、discogsで調べると、ゲンデルの名前がクレジットされている一番古い音源がInc.というユニットが2011年にリリースしたシングル『3』に収録されている「 Millionairess」。ゲンデルはバス・クラリネットを吹いています。

ということで、概ねこの時期にプロとしてのキャリアが始まったんですね。

その後、彼は3人組のジャズバンド"Inga"を結成します。このバンドにはメンバーに日系人のKevin Yokotaが参加していたので、ひょっとすると日本語の「因果」から名前を取ったのかもしれませんね。アルバムを1枚、あと、John Carrol Kirbyとの共作でシングル「The Shrek Orchid」をリリースしています。

で、2017年にグリズリー・ベアのクリス・テイラーが主宰しているレーベル"Terrible Records"からファースト・アルバム『4444』をリリース。

2019年に名門Nonesuch Recordsからアルバム『Satin Doll』をリリースした際にプロモーションビデオを日本で撮影し、そのとき何人かの音楽ライターからインタビューを受けているのですが、どれを読んでも質問されたことの最低限しか答えてないし、どちらかと云えば、ちょっとぶっきらぼうな返答ばかり。ただ、このインタビューの受け答えは印象に残りました。

――LAのジャズシーンはどんな感じでしょう?
「自分は特にそのシーンに関わっているとは思わないので、よくわからないかな」

別のインタビューによれば、彼が『Satin Doll』をレコーディングしたのは2019年8月らしいので、このユニオン・ステーションでの演奏はその直前ということになります。どのシーンにも属さない、孤独であることを厭わない、そういう音楽家であることは、この映像からもよく伝わってきます。

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ちなみにサムが演奏をしているユニオン・ステーションは、映画『ブレード・ランナー』のロケ地で、『Satin Doll』のPVで彼が爆走している首都高は、タルコフスキーが『惑星ソラリス』で未来都市の風景としてロケをしたことで有名です。

最後にサム・ゲンデルの新作『Fresh Bread』のリンクを貼っておきますね。全52曲、3時間41分。


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