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THINK TWICE 20220109-0115

1月11日(火) What's Up Tiger Lily?

Woody Allen "What's Up Tiger Lily?"

今週末に出演するレギュラーコーナーのために選曲作業。今回のテーマは干支にちなんで〈虎〉で棚からわしづかみ。

欧米には虎にちなんだ曲ってけっこう多いな、と昔から思っていた。もちろん猫や犬や鳥や猿ほどではないけどね。いざ自分のライブラリを掘ってみても、案の定、いろんな曲が見つかった。

20分程のコーナーなので、だいたい4曲……せいぜい5曲くらいが限界。土曜朝の生放送なので、どんより重苦しい曲調のものは外しつつ、前後の流れやバランスを調整し、なんとなく選曲を固める。

西洋人にとって、虎はもっとも東洋的な動物だ。ミステリアスな密林に暮らす、獰猛な生きものの象徴である反面、牙を抜かれると途端、猫のように従順になる───あるいはPaper Tiger(張子の虎)のような、虚勢や見栄のようなイメージもある。そういう二面性が曲のテーマになりやすいのだろう。

今回、選曲から外したものをいくつか。


あと、これも外してしまったけれど、"Tiger Lily"という花の名は曲名や歌詞でたくさん登場する。日本名は「こおにゆり」。英語名と日本語名は全く違うのに、野蛮+可憐という組み合わせになっているのがおもしろい。

武田百合子『あの頃 単行本未収録エッセイ集』

そういえば、武田百合子の本の表紙にTiger Lilyがあしらわれていたんだった。うーむ、むしろ"Tiger Lily"特集にすればよかったかも(笑)。

最終的に選んだ曲がなんだったかは、土曜日の放送で確かめてください。


1月12日(水) あたしのベビー

ロニー・スペクター逝去。

1943年生まれで、享年78歳。日本でいえば、樹木希林、アントニオ猪木。海外でいえば、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロバート・デ・ニーロ、そしてドアーズのジム・モリソンも同い年だ。

昨年のちょうど今頃───あらためて調べると1月16日に、元夫のフィル・スペクターがカリフォルニア州立刑務所で獄中死した。*1

*1 厳密にはコロナウィルスによる合併症で病院で治療中に亡くなった。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/35236

パートナーとして生活を共にしているあいだ、フィルの激しいドメスティック・バイオレンスに晒されていたロニー。ただ、彼の死に際しては「残念ながら、フィルはレコーディング・スタジオの外ではちゃんと生きることができなかったのです。闇が近づき、多くの人々の人生がダメージを受けました。でも一緒に作った音楽を聴くと今でも笑います。今後もそうでしょう。あの音楽は永遠なのです」という懐の深いコメントを出していた。

ロニー・スペクター(ザ・ロネッツ時代は本名のヴェロニカ・ベネット)の代表曲といえば、もちろん「ビー・マイ・ベイビー」(1963年8月)。

欧米でのヒットを受けて、日本でも弘田三枝子が4ヶ月後に「私のベイビー」というタイトル&日本語詞でリリース。

翌年には伊東ゆかりが「あたしのベビー」というタイトルで歌った。

だが、当時の日本では、プロデューサーのフィル・スペクターまでは注目されていなかったようだ。また「ビー・マイ・ベイビー」以外、彼の手掛けた他の楽曲がラジオのヒットパレードでかかることは無かったという。

フィル・スペクターの名前が本格的に日本の音楽ファンに知られるのは、彼がプロデュースしたビートルズの『レット・イット・ビー』(1969年)がきっかけ。そして、彼独特のサウンド・メイキング術〈ウォール・オブ・サウンド〉に言及されるのは、さらにその数年後、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」まで待たなくてはならない。

ただ、ぼくが物心ついたときには、大瀧さんの作品「夢で逢えたら」を筆頭に、〈ウォール・オブ・サウンド〉に影響を受けたさまざまな楽曲があまた誕生し、テレビやラジオをとおして無意識に耳に入っていた。

もっとも印象深いのはシーナ&ザ・ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」(1979年)で、ぼくはこの曲で〈ウォール・オブ・サウンド〉童貞を切ったと思っている。

Phil Spector's great holiday classic, A Christmas Gift for You.

そんなぼくが最初に買ったザ・ロネッツの音源は『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』の日本盤CDだった。

フィル・スペクター率いるフィレス・レコーズのアーティスト4組───ザ・ロネッツほか、ボブ・B・ソックス&ブルージーンズ、クリスタルズ、ダーレン・ラヴが参加したコンピレーションで、1963年にオリジナル盤が発売。イギリス盤は一時期、ビートルズのアップル・レコードからも発売された。

日本では1976年にビクターからLPが出て、1988年にはMMGからCDが発売された。*2

*2 MMGは達郎さんやまりやさんが所属していたアルファムーンなど複数の会社が合併して出来たレコード・カンパニー。その後、イーストウエスト・ジャパンと改称。前年(1987年)にアメリカのライノ・レコードが世界初CD化していたが、大瀧詠一さんの解説目当てで、こっちを買った。

だから、このアルバムについての知識は、すべて大瀧さんの受け売りだし、興味ある方は大瀧さんの解説が付いた国内CDを探すか *3、下記リンクの本に転載されているので、それを読むことをおすすめする。

*3 大瀧さんの解説付きはMMG盤(28XE-1 / AMCY-165)のみで、2000年以降に発売されている国内盤は別の音楽ライターのライナーなので要注意。

今でもクリスマスシーズンになれば、マライヤ・キャリーやワム!に混じって、ザ・ロネッツの「フロスティ・ザ・スノーマン」や「ママがサンタにキスをした」を耳にしない年はない。

でも、アルバムがリリースされた1963年の冬は、ちょうどケネディ大統領が暗殺された直後で、全米に陰鬱な空気が漂っていたことから期待したほどにセールスは伸びなかったという。

大瀧詠一さんが「ビー・マイ・ベイビー」について語ったエピソードで好きなものがある。これもさっきAmazonへのリンクを張った『Writing & Talking』という本に再録されている。

大瀧 これも以前しゃべったことがあるけど、〈ビー・マイ・ベイビー
〉で忘れられない思い出があってね、中学2年から3年にかけて、誰でもレコードが買えるっていう時代じゃなかったけど。高かった。330円だったから。それとみんなが洋楽ファンじゃないわけですよ。ほとんどが邦楽ファンなの。だから、洋楽のファンっていうのは、やっぱりクラスの中で少ないわけですよ。で、いまだに忘れられないのは、「え、何でこんな人がこれを買うのか」っていうまじめな女の子がいたんだよ。口もきいたことないんだよ、1回も。そのときに、最後の卒業間際に「わたし、これ買ったの」ってわざわざ報告しに来たんだよね。忘れられない、今でも。まあ、何らかの意思表示だったのかもしれないけどね。
 それを選んだって娘って、全然ポップスなんかまるっきり興味がないと思ってた人だったのね。その時に〈ビー・マイ・ベイビー〉を選んだっていうのはね、やっぱり何かを感じた。ヒット曲ではもちろんあったんだけど、その中でどうしてこれを選んだのか。
 だから、何かの理由があったんだろうけど。たまたまってこともあるんだけどね。時期的なこともあるんだろうし。それを個人的にね、後にスペクター·サウンドも知って、自分のサウンドのお手本になるっていうのは、そのころは分かんなかったわけですからね、中学3年の時は。だから今にして思えばね、「これがあなたの将来。これをモデルにしてつくるのよ」というような意味のことを、先にその人に言われてたのかもしれない。リチャード・マシスンの『ある日どこかで」みたいに、組み込まれていたストーリーだったのかって。

大瀧詠一☓朝妻一郎「フィル・スペクター 蘇る伝説 増補改訂新装版」より

これが恋ではないなんて誰が言えるだろうか。付き合うとか、付き合わないとか、そういう意味ではなく、ね。こういう出来事が人生に一度でもあったかなかったかで、その人の生き方というものは大きく変化すると思う。

ぼくが一番好きなロニー・スペクターの曲は「Why Don't They Let Us Fall In Love?」。ザ・ロネッツの楽曲としてレコーディングされたが、「この曲ではナンバーワンヒットは取れない」とフィル・スペクターが判断して、オクラ入りに。その代わりに出したのが「ビー・マイ・ベイビー」だった。

1964年になって、ヴェロニカ名義でシングル・カットされた。フィルの予想は的中し、チャートでは無風だった。その後、アルバムにも収録されず、1976年になってようやくレア曲集『Phil Spector Wall of Sound Vol. 6 – Rare Masters Vol. 1』で聴けるようになった。

Why Don't They Let Us Fall In Love?───日本語に訳せば、どうして彼らはわたしたちが恋に落ちることを許してくれないの? ってことになる。

歌い出しの歌詞はこうだ。

Why do they say that
We're too young to go steady?
Don't they believe it
That I love you already?

彼らはどうしてあんなことを言うの?
恋人になるにはわたしたちが若すぎるから?
あの人たちは信じていないのね
わたしがもうとっくにあなたを愛してるってことを

彼らというのは両親や先生……わからずやの大人たちってところだろう。

もし「ビー・マイ・ベイビー」ではなく「Why Don't They Let Us Fall In Love?」が先にリリースされて大ヒットする世界線があったとしても、同じクラスのまじめな女の子は、きっと大瀧少年にこのレコードを買ったことを報告しただろうな。そして少年は大人になり、素晴らしい音楽家に成長して、「夢で逢えたら」とは別の、素敵な曲を書いたはずだ。

1月13日(木) GLOOMY

ひさしぶりにアックスを買った。

根本敬画業四〇周年『特殊漫画前衛の道』と謳われては買わないわけにいかないからね。

どれくらいひさしぶりかと思って書架を探る。この前は2016年の「水木しげる追悼」特集(Vol.109)で、さらにその前は2007年の「幻の名盤解放同盟の25年」特集(Vol.55)だった。今回がVol.143だから、およそ50号に一度、買うべきタイミングが巡ってくるようだ。

根本さんの特集は40ページほど。他の3分の2は漫画やコラムが掲載されている。令和になったというのに、雑誌全体に漂うGLOOMY(辛気くささ)は相変わらずだ。

───こう書くと、なんだか悪口のように見えるかもしれない。でも、誓ってそういう意味ではない。

『ガロ』に端を発し、元号が何度変わろうが、携帯電話がどんなに高性能になろうが、この世界の片隅の雑誌の片隅に、老若男女さまざまな書き手たちによって辛気くさい作品が描き続けられ、また、それを編む人たちがいて、買い支える読者が存在するというのは偉業でしかない。


1月14日(金) Somewhere In Time

昼間、行列のできるラーメン屋に珍しく並んで、美味しい中華そばを食べ、さあ、お会計と思ったら財布を忘れてることに気づいた。

最近の飲食店は電子マネーで決済できるところがほとんど。でも、あいにくそこは開店からまだ1ヶ月も経っていない新店。現金でしか支払いができなかった。店員さんに事情を話し、デイパックを〈人質〉にして、そこから200メートルほどのところにあるケーキ屋の友人に千円札を借りて、お代を払った。

そして、またケーキ屋に戻り、珈琲とイチゴのショートケーキをツケで食べた。友人の店も電子マネーやキャッシュカードのたぐいは取り扱ってないからだ。明日、ラジオの生本番あとに返しに行くとき、一緒に「ペイペイ」と表紙に書いた帳面をプレゼントするつもり。

ところで、水曜の日記で引用した大瀧☓朝妻対談の最後のブロック。

大瀧 「これがあなたの将来。これをモデルにしてつくるのよ」というような意味のことを、先にその人に言われてたのかもしれない。リチャード・マシスンの『ある日どこかで」みたいに、組み込まれていたストーリーだったのかって。

大瀧詠一☓朝妻一郎「フィル・スペクター 蘇る伝説 増補改訂新装版」より

リチャード・マシスンはアメリカを代表するSF(スペキュレイティブ・フィクション)作家・脚本家。1976年に彼が書いた小説『ある日どこかで』は、世界幻想文学大賞を獲ったほか、マシスン自身が脚色して、クリストファー・リーヴとジェーン・シーモア主演で1980年に映画化された。

『ある日どこかで』はマシスン自身の体験/インスピレーションをもとに書かれた。彼は旅先のホテルのロビーに飾られていた、往年の人気女優の肖像写真に目を奪われ、彼女に一目惚れしてしまう。

「タイムトラベルをして、この頃の彼女に出会って、彼女もぼくのことが好きになったら?」と、マシスンは考える。男というものはどんなに立派に成長しても、心の奥に童貞のスピリットを消せずにいるものだ(全員ではないけど)。このアイディアは明らかにマシスンの童貞めいたインスピレーションに端を発している。

廉価版のBlu-rayも千円足らずで買えるし、今でも映画館で再映されたり、今年の正月にもBSで放送されたりしている。大ヒットした映画ではないけれど、昔から熱狂的なファンが多い作品だ。検索すればネタバレ、解説系のサイトは数多ある。ただ、百聞は一見にしかずで、なるべくなら事前に余計な情報を入れず観てほしい。


1月14日(土) 虎で棚からわしづかみ

朝10時から出演したRNBラジオ「スマイルミックス」の中で本日紹介したのは次の5曲でした。

1 - Lulu / I’m a Tiger

1曲目はルル。イギリスのポップシンガー。1964年にデビューして、73歳の今も現役で活動しています。この曲は1968年の作品。UKチャートで9位まで上がったスマッシュヒット。

わたしをそこらの可愛い女の子だと思ってるかもしれないけど、虎のように獰猛よ……ちょうどその頃は昔風にいえばウーマンリブ、現在ではフェミニズム運動って言ったほうがいいですね。新しい女性像、アイドル像、男社会に牙をむく女の子っていうのがテーマになってるんじゃないでしょうか。

2 - Les Paul & Mary Ford / Tiger Rag

「タイガー・ラグ」、もともとは1917年にオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド───この人たちはジャズバンドとして初めて、レコードを発売したバンドなんですけど、彼らがリリースして、アメリカで大ヒットし、スタンダードとして定着したんですね。最もカバーされ、レコーディングされている楽曲のひとつ、と言われている。

その後、歌詞が付けられて、ミルズ・ブラザースっていう黒人のボーカルグループが1931年にミリオンセラーにして、1952年リリースのレス・ポール&メアリー・フォードのバージョンも大ヒットしました。

ラグっていうのはラグタイムのラグです。で、歌詞を読んでもぜんぜん意味がわからない(トラが来たよ、あの虎はどこ行った?)。まあ、おふざけみたいな曲なので、もともと意味はないんでしょうけど。

で、綴りは違うんだけど、虎の敷物ってありますよね。あれがいわゆるTiger Rug。多分それとシャレになってるんじゃないかと思います。ただ、これがぼくの想像で全く根拠はないです。


3 - Django Reinhardt / Django's Tiger

レス・ポールもギター史に残る名演奏家ですが、彼に影響を与えたのがジャンゴ・ラインハルトです。ジャンゴはベルギー出身で、両親がロマ……いわゆるジプシーの旅一座に所属していて、その影響から、ジプシーの音楽とスウィング・ジャズを融合させた人と言われていて、俗にジプシージャズって言われてます。

ジャンゴもバイオリニストのステファン・グラッペリとの共演で「タイガー・ラグ」のカバーを1930年代に残しています。こちらもぜひ。


4 - Dave "Baby" Cortez / Paper Tiger

50年代後半~60年代にかけて活躍したアメリカの黒人オルガニスト/ピアニスト、デイヴ・ベイビー・コルテス。1965年、ルーレットからのアルバム「オルガン・シンディグ(騒々しいパーティ)」より「ペイパー・タイガー」でした。

Paper Tiger───他の曲でも歌詞になってたり、タイトルになってることがあるんだけど、いわゆる張子の虎です。アジアから欧米に伝わって、そのまま定着してるんですね。虚勢を張る、見掛け倒し、主体がなくて人の意見に首を振るだけの人、みたいな慣用句としてよく使われます。

5 - Michael Franks / Tiger In The Rain

1979年、4枚目のアルバムの表題曲。プロデューサーはジョン・サイモン。

歌詞を読むと、タイガーとは、王様のように振る舞っている男性のようです。浮気が奥さんにバレて家を追い出され、雨の中、雷に怯えた虎のように右往左往したあとで、歌の主人公(マイケル自身?)が奥さんとのんびり暮らしている家にやってくる、みたいなお話。

普段は獰猛で強いんだけど、危機になって、牙を抜かれると急におとなしくなり、猫のような弱い動物になってしまう……そんなイメージとしても、虎はよく使われます。

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さて、かたや日本の曲に、虎ってあまり出てきませんね。ペットとして飼うような動物ではないにせよ、けっして親しみの無い動物ではないと思うのだけれど。寅さんとか阪神タイガースとかタイガーマスクとかのイメージが強すぎるのかな?

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