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THINK TWICE 20200810-0815

8月10日(月) 「夏なんです」考

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はっぴいえんどは今でこそ、淀川長治さん風に言えば〈私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない〉存在ですが、大学に入るくらいまではファンを公言する人も周囲に皆無だったし、ラジオから流れることさえほとんどありませんでした。

ぼくの最も大切な音楽の給水ポイントだった、坂本龍一さんのレギュラープログラム「サウンドストリート」(NHK-FM・1981年4月〜1986年3月)でも、はっぴいえんどが最初にオンエアされたのは、番組が始まってから2年以上過ぎた、1983年9月27日のことです。

その日は高橋幸宏さんをゲストに、なぜか細野さん抜きで「はっぴいえんど特集」が行われました。YMOの解散(散開)発表がこの年の10月なので、まさに"前夜"ですね。

初期はヨーロッパやアメリカから届けられるニューウェイヴの新譜中心の選曲だった坂本さんの番組も、この頃になると松田聖子、井上陽水、沢田研二、大江千里といった人が毎週のようにゲストに招かれて、ずいぶんと日本のポップス寄りの曲が流れるようになってました。

またYMOも「君に、胸キュン。」「過激な淑女」という歌謡路線のシングルを出し、またお三方それぞれアレンジャーや作曲家として、歌謡曲仕事に引っ張りだこだった時期でもあり、元はっぴいえんどの大滝さん、松本さん、鈴木茂さんたちも、同じフィールドで大活躍していました。こうしたなかで、歌モノ=はっぴいえんどをふりかえる素地が徐々に育まれていったのでしょう。

率直に告白すると、ロンバケもYMOも大好きな少年のぼくでしたが、アンサンブルのど真ん中でファズのかかったエレキギターやフォークギターが鳴っているだけで、はっぴいえんどの曲はとても埃っぽくて、古臭い感じがしてあまり好きではなかったと思います。

1985年6月15日に、国立競技場で行われた野外イヴェント「ALL TOGETHER NOW」で再結成し、各メンバーの持ち曲をメドレー形式で1曲ずつ(+共作曲「さよならアメリカ さよならニッポン」)披露します。

この日の演奏は細野さん主導でつくった打ち込みのバックトラックを使って、松本さんもエレクトリックドラムを叩く"YMO寄り"の演奏だったから、ぼくもすんなり受け入れられました。

リアルタイムで彼らのことを追いかけていた世代はともかく、ぼくのようなYMO原理主義者が「夏なんです」という曲の持つ魅力を、本格的に再発見したのは、もう少しあとのことです。

よく知られた話ですが、はっぴいえんどの楽曲はほぼすべて詩先───つまり、松本隆さんが書いた歌詞が先にあって、それに細野さんや大瀧さんがメロディをつけ、アレンジをして───という形で出来上がっています。

ですから、同じ歌詞に別メロディがついている、あるいはまったく違った雰囲気で編曲されたデモヴァージョンというものがはっぴいえんどの楽曲にはあって、たとえば「夏なんです」も最初期はこんな感じでした。

うーん、悪くはないけれど、エヴァーグリーンな名曲とまではいかない仕上がりですね。

今あるヴァージョンに多大なる影響を与えているのが、このモビー・グレープの「He」(1968年)だと言われています。「夏なんです」の浮遊感のあるギターのフレージングはほとんどこの曲からの引用に聴こえますね。

1973年に行われた解散コンサートの模様を収めた『ライブ!!』というアルバムに「夏なんです」のライブヴァージョンが入っていますが、細野さんはエレキベースを弾きながら歌っていて、『風街ろまん』版とはやや趣きが異なる演奏そうです。

NHK-BSで放送された『細野晴臣 イエローマジックショー』(2001年)で、松本隆+鈴木茂の演奏をバックに、細野さんがアコギで歌う"正調"「夏なんです」ライヴヴァージョンが披露されました。
イントロで鈴木さんのエレキと細野さんのアコギの絡みが響いた瞬間、鳥肌が立つほど興奮したことを覚えています(そのあとの松本さんのドラムの叩き出し───タタン、ドン、にも)。

もちろん大瀧詠一さんは参加していません(このスタジオライブでベースを弾いているのは有賀啓雄さん)。大瀧さんはテレビ嫌いでこういった場所に出てこないのは当然のことでしたが、1971年8月に行われたオリジナルの録音にも参加していません。

CD『はっぴいえんどBOX』の付属ブックレットによれば、細野さんのヴォーカル3本、アコギ2本、エレキ1本(鈴木)、リズム隊(松本+細野)、以上8チャンネルを使って、この曲は多重録音されています。

つまり、バンドの名義で発表されているものの「夏なんです」は細野さんにとって、自分で演奏し、自分で歌う───つまりはじめてのソロ作品という紹介ができるわけです。このことは機材や録音技術の向上によって、こうしたレコーディング方法が取り入れやすくなったという、スタジオテクノロジーの文脈でも語れるのですが───長くなりそうなので、ここまでを前置きとします。

明日に続くんです。

8月11日(火) 続・「夏なんです」考

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ぼくにとって、埃っぽくて古臭い音楽だったはっぴいえんど。

その考えを改めるきっかけは、大学2年か、3年の頃、ギターの練習をするために、はっぴいえんどの弾き語り用スコア集を買ったのがきっかけでした。

もちろんその頃にはもう「古臭さ」というレッテルは剥がれていて、3枚のオリジナルアルバムも手に入れて、繰り返し聴いていました。

さっそく音源に合わせて「夏なんです」の練習を始めてみたのですが、歌いだし(田舎の白い畦道で)のコードがスコア上だとAm(on D)→CM7となっていました。

しかし、そのとおり弾いてもなんとなくしっくりこない。

Amの構成音はラとドとミです。

いっぽう「田舎の白い畦道で」のメロディは「ソソソソファ#ソファ#レ/ソラソファ#ソファ#レ」。

歌い出しの音がソなので、それを参考にAm7(ラとドとミとソ)on Dと弾いたほうが、実際の響きに近いことに気がつき、ぼくはそのスコアに7thを書き足しました。

そのあと各パートの歌いだしの音に注目して楽譜を見直したところ、「埃っぽい風が」はファ#、「ギンギンギラギラの」もファ#、「夏なんです」もファ#───要するに「夏なんです」は、ソとファ#という非常に近接した音を起点にした、ほぼ起伏のないメロディが全体を通して反復しているのです。

それに対して、コードやバッキングしている楽器のフレージングはメロディからゆっくり離れたり、あるいは近づいたりして、独特の浮遊感を産み出している。このことを"発見"することで、いっそう「夏なんです」という。

この構造はR&Bやファンク、あるいはテクノやヒップホップといったクラブミュージックと同様に、反復(ループ)によって作られた音楽が持っているグルーヴと高揚感とも共通性を見出すことができます。

もちろん「夏なんです」はダンスミュージックではないので、とりわけビートが強調されているわけではありませんが、松本さんのドラム独特のゆらぎが絶妙なスパイスになっているのはまちがいありません。

また、ヴォーカリストとしての細野さんは低い声の響きが魅力ですし、彼のメイン楽器がベースだということも、反復しつつ単調にならず、メロディアスに聞こえる細野さんの音楽を成立させる要素なのだと思います。

また、松本さんが書いた詩にも反復のおもしろさが埋め込まれています。

・地べたにペタン
・ギンギンギラギラ
・ホーシーツクツク
・モンモンモコモコ
・日傘ぐるぐる

───といったオノマトペ。

他にも、

・鎮守の森はふかみどり
・誰かさんとぶらさがる
・石畳を駆け抜けると
・連れ立って行って


似た響きの言葉が羅列によってもたらされて、歌詞にも反復のグルーヴが潜んでいます。

はっぴいえんどとして最後の作品になった『HAPPY END』というアルバムに、細野さんの「風来坊」という曲が収録されていますが、コード進行も「夏なんです」にとても良く似ている姉妹編のような楽曲です。

曲だけでなく歌詞も細野さんが書いていて *1 、メロディや言葉は反復感を強調しつつ、踊るように動き回るベースラインとホーンで楽曲が肉付けされています。

*1 10年くらい前、鹿児島で行なった音楽のワークショップで、ゲストに招いた小西康陽さんと歌詞について対話を行なった際、はっぴいえんどの話になり、彼が作詞家として最も影響を受けた曲として、この「風来坊」を紹介してくれました。だいぶ前なので正確な引用ではないけれど、もちろん松本さんの歌詞もすばらしいのだが───という前置きをしつつ、細野さんが書いたこの歌詞は、童謡のように素朴な言葉を使いながら、ものすごく広がりのあるイメージを喚起するところがすばらしい、というのが小西さんの説明だった、と記憶しています。

はっぴいえんど解散後に発表されたソロアルバム(いわゆるトロピカル3部作)/YMO/ヒップホップ/アンビエント/テクノ/ラウンジなど、細野さんが手掛けた音楽のジャンルは多岐にわたり、それぞれにとどまっている時間も非常に短いけれど、彼の音楽が包有している魅力は一貫していて、それが拡がったり閉じたりしている。その活動の反復感と浮遊感もまた「夏なんです」と同じなんですね。

もちろんこういう解釈は、いっぺんにすべて了解したわけではなく、何十年もかけて、ちびちび蓄えた知識や経験や感覚を、あれこれ自分で組み合わせたりしながら、彼の音楽と共にたゆたうように考え続けてきたことです。

11歳のときに細野さんの音楽とはじめて出会い、そこからはっぴいえんどに遡り、細野さんがルーツとするさまざまな音楽を探求したり、あるいはご本人とも直接交流を持つことができたことで、なにがどうしてどう好きなのかという、ドーナツの穴のような部分にまで考えが及ぶようになった。ある意味、夏休みの自由研究が一生続いているようなものですね。

だから、ずっと、夏なんです。


8月12日(水) 音楽

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朝イチで映画『音楽』を見てきました。

4月に上映がスタートしたんですが、コロナ禍の影響で中断。あらためて先週から2週間限定で再上映が始まりました。ソフト化を待つしかないかなあと思っていたので、うれしいサプライズ。

それにしても『音楽』は傑作でした。

バンドで合奏しているとき、自分たちはひょっとして世界で最強なんじゃないかと錯覚することがあります。メロディがいいとか、歌詞が心を打つとか、演奏がうまくいっているとかそういうことじゃなく───バンドというアートフォームのもつ魔法としか言いようがないのですが。

でも、残酷なことに魔法は時として一瞬で解けてしまう。同じように味わいたいと思っても、なかなか上手く再現できないのがもどかしい。そのうちにデート優先して練習サボるやつとか、選曲に文句言うやつとかが出てきて、バラバラになってしまう。そうなったらもうおしまいです。

映画を見ていて、昔、友だちと一緒にやっていたいろんなバンドの記憶、その時々の自分の心情なんかもつい蘇って、なんだかグッときてしまいました。バンドの経験が一度でもある人なら絶対に泣ける瞬間があると思うし、実際、ぼくも泣きました。

劇中登場するバンド「古武術」の演奏を見ながら思い出したのは、やはりボアダムスでした。

このMV、今まで一度も見たことなかったけど最高ですね。90年代〜00年代のボアはまさにぼくにとって「音楽」そのものでした。


8月13日(木) STRANGE OVERTONE

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ホイットニーがカヴァーシングルを2、3ヶ月前から小出しで発表していたところ、結局、10曲入りのアルバムとしてリリースされることになったみたいで、ずっと伏せられていたトラックリスト全曲が発表されたんだけど「やられたー!」と思ってまして。

その原因がこのカヴァー。オリジナルは2008年に発表されたデヴィッド・バーンとブライアン・イーノのコラボアルバム『Everything That Happens Will Happen Today』のリード曲。

ぼくもこの曲がほんとうに大好きで、ひそかにカヴァーを目論んでいて、実は最近、打ち込みを進めてたんですよ。ゲストヴォーカルを誰に頼むか、というアイディアもあって、作戦通りにいけばけっこういい仕上がりになった気がするんだけど───よりによって今、いちばん好きなバンドが先にカヴァーしたとなると、もはや自分が完成させる気力が湧きません。

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ホイットニーにとって初めてのカヴァーアルバム、タイトルの"Candid"とは、率直、とか偏見のない、といった意味です。

バーン&イーノの「Strange Overtone」以外で既に音源が聴けるのはS.W.V.「Rain」のカヴァー、日本では『耳をすませば』の挿入曲として有名なジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」、キング・クリムゾンのロバート・フリップがプロデュースしたヴォーカルグループ、ローチェスの「Hammond Song」。

どれも奇をてらったアレンジというより、Candidoというタイトル通り、比較的、元曲に忠実なアレンジがどれも施されています。

そして既発のシングル以外に収録されるのが以下の6曲。知ってる曲から知らない曲まで、アレンジはたとえCandidでも、選曲はひとくせありますね。そんじょそこらの日本人が出すカヴァー盤とは訳が違う。

なんと言っても異色なのはKalelaの「Bank Head」。率直にやってると───なんて嘯きつつ、彼らがどう料理してるのか楽しみだな。



8月14日(金) 「長崎」のシン余談。


日曜にアップした日記がとても好評で嬉しかったのと同時に、「〇〇は実は□□だった」というタイプのトピックは、やはり幅広い人たちに好まれるんだなあ、と再認識。

で、昨日の文章からは冗長すぎると思って割愛したんだけど、吉田健一「長崎」の中にこういう一文を発見。

丘の上に立つて全市を見渡しても、原爆の跡と解るものは何も残つてゐない。ただ、永井隆博士の「長崎の鐘」を読んだものには、浦上邊りの明かに戦後に建った新しい家屋が散在する焼け跡が痛々しく感じられるだけである。

文中に登場する永井隆博士の「長崎の鐘」という本。実は式場隆三郎が大きく関わって出版された書籍なのです。

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永井隆は1908年(明治38年)に島根県出身の医師。この頃、長崎医科大学で助教授を勤めていましたが、大学のキャンバスで被爆。自ら大怪我を負いながらも、次々と運び込まれる負傷者たちの治療にあたりました。

結局、彼も原爆症と怪我がたたって倒れてしまうのですが、被爆直後の長崎の様子など、自らの体験についてを病床で綴った手記が『長崎の鐘』です。

反米感情を煽るような出版物に神経を尖らせていたGHQの検閲に引っかかり、すぐに本になることはありませんでした。彼の独断で、当時、自分が社長を務めていた新聞で連載したところ、評判を呼んで、単行本としてまとめられたのです。

その埋もれていた手記に注目したのが、誰あろう式場隆三郎です。彼の独断で、当時、自分が社長を務めていた新聞で連載したところ、評判を呼んで、単行本としてまとめられたのです。

タイトルになっている「鐘」とは、被爆した浦上天主堂の残骸の中から、奇跡的に無傷で発掘された教会の鐘のこと。吉田健一は復興を遂げた浦上の町を眺めながら、どうしても永井隆の『長崎の鐘』と結びつけずにはいられなかったのでしょうね。

ちなみに青空文庫で『長崎の鐘』の全文を読むことが出来ます。

明日は終戦の日。

8月15日(土) SMILE

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月に一度のラジオのレギュラー出演の日でした。

今回は「Summer Cuts 2020 for SMILE MIX」というタイトルでノンストップミックスを作り、それをまるごと流してもらいました。

<TRACK LIST>
1 - 大滝詠一「あつさのせい」
2 - 小坂忠「アイスクリームショップガール」
3 - カジヒデキ「ICE CREAM MAN」
4 - ココナツ・バンク「ココナツ・ホリデー2003」
5 - キリンジ「汗染みは淡いブルース」
6 - シュガー・ベイブ「夏の終りに(DEMO)」

AMラジオの午前中の番組なので、誰が聴いてもわかりやすく夏っぽく、しかも日本語で、カラッとポップな曲を中心に。

1曲目に選んだのが大瀧さんの「あつさのせい」だったので、そこからのインスパイアで組み立てていきました。

radikoで放送から一週間はタイムフリーで聴いてもらえますが、note読者のみなさんにはミックス部分だけこっそりおすそ分けさせていただきますね。


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