社説 day9 週のはじめに考える さあ、本屋に行こう

「読書の秋」という言葉があるが、読書の周辺、活字文化の現状を見れば「読書の冬」だと感じる。

1990年台には22,000-23,000軒あった書店は1万軒ほど閉店している。また、1日の読書時間が「ゼロ」という学生が5割と「活字離れ」がみられる。若い世代から読書の習慣が失われつつある、この事態は「国難」と捉えるべきだ。しかし政府には危機感が感じられない。

文科省が打ち出した国語教育改革では、実用が重視され、文学が激減すると懸念が強まっている。これには「政財界の要望」という見方がある。麻生副総理の「新聞を読まない人は自民党主義者」を踏まえ、政権が「本や新聞を熱心に読む国民はやっかいだ」と考えてる、と推察するのはやり過ぎだろうか。

この真偽を別にしても、私たちが本を読むべきなのは間違いないことだ。本は知らない世界へと目を見開かせてくれる。この経験をしない方がいいわけがない。

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(386文字)

2019年9月29日 東京新聞 週のはじめに考える さあ、本屋に行こう
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019092902000173.html

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これまで要約した社説で最も扱いづらかった。筆者の意見の根拠が曖昧であった。この点は、短く論理的な文章が求められる要約の性格と相反していた。

読んでいて気になった点はいくつかある。まず、すべての社説は「だ・である」調の文章だと思っていたが、この社説は「です・ます」調だった。他には、「〜〜な気がする」「それをよしとしている節さえあります」などの表現が使用されていること。

この社説で筆者が最も伝えたいことは「本屋に行って、本を読もう」ということだ。このことを主張するのに余分だと思われる部分があった。読書、国語教育、政府を関連させて述べている部分だ。そもそも「国難」と捉えるべき理由が述べられていない。政財界からの要請で国語教育改革で文学が激減すると意見しているが推測でしかない。この話題を広げて、人文系学部の廃止や社会的要請の強い分野への転換の話を持ち出すのは蛇足。(私は政府の肩を持っているわけではない。)

一方、筆者の主張「本屋に行って、本を読もう」という主張の根拠として適切なのは『文学界』、地球物理学者からの引用、まとめの「(本は)知らない世界へと目を見開かせてくれる」という部分のみであった。(字数の制限はあるが「〇〇学者が〜〜と言っている」だけではなく、その学者の根拠も書いて欲しい。)

初めて社説にコメントを書きました。コメントを書きたくなるほど、この社説に考えさせられました。笑

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