共生とは言うけれど

職場のスローガンは障害のある方との「共生」。事あるごとに謳い文句として表に出されるのだけど、何をもって共生社会と呼ぶのか、どこを目標とするのかが掘り下げられず言葉だけが便利に使われているように思えてならない。職場にある施設の造りが数十年前と変わらずそのままにされているのを見ると、尚そう思う。

利用者の住む施設の部屋はもともと4人1部屋の造りで、無理やり間仕切りして1人(または2人)のスペースにし、それを個室と呼んでいる。ベッドを置いていっぱい。なんならトイレよりも狭い部屋もある。今にしてやっと建て替えとか住み替えの話が出てきているけど、もっと早くできなかったのかな。数十年の間その職場で賃金を得て、家を建て、子を育ててきた職員も数多くいただろう。共生云々言いながら利用者の生活はおいてけぼり。そんな状況で共生社会を目指すとか言われても、なんか違うとなってしまう。さらに意志決定支援や権利擁護とかも言うけれど、この環境がもう権利侵害でしょう。本人の意志ってそれはもう「普通の部屋に住みたい」でしょう。

制度上難しいことはあるのだろうけど、どうもその制度の中でやりくりする姿勢しか見えてこない。当事者の現状に共感し、制度を変えようと声を出し続けて初めて共生社会を目指すと声高に言えるのではないかしら。これは職場だけでなく行政も一緒。現状を見て、 まずは共感するところから始めて欲しい。自分がここに住めますかと。

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