いまだに誤解されるディベート ─ディベートの目的は"論破"ではない─

ディベートは誤解されやすいです。最近はかなり減ったのですが、未だに一部のメディアではディベートを揶揄したような、所謂「ディベート1.0」的な論調を見ることもあります。

「ディベートって論破が目的なんでしょ?」
「ディベートって口喧嘩でしょ?」

ずいぶん昔にはこういうことを面と向かって言われてしまい、悲しい思いをしたこともありました。

確かに、「ディベート」という言葉を聞くと、ネガティブなイメージを想起してしまう人もいることはよく分かります。彼ら・彼女らは理詰めでまくしたて、特に相手の矛盾を執拗についてでも勝つことで快感を得るような人たちをイメージしているのだと思います。先日行われた学会でも話題にあがったのですが、これは、「ディベート1.0」時代にしっかりと「イケてる」ディベートができず、ディベートの性質や良さをアピールしきれなかった、私をはじめとするディベート従事者の責任も大きいと痛感しています。ですが、今からお話しするようなことを聞くと、「そうだったんですね!」とみんな口を揃えて下さいます。

ディベートの目的は、論破ではありません。私やあなたのような一般市民を論理的・感情的に説得することです。

本当のディベートには、審判がいます。そして、その審判をより説得できた方が勝ちとなります。文系の学生のイベントでは世界最大規模ともいわれる、毎年年末年始に行われる「世界大会」では、イギリスやアメリカといった欧米の国から、アジア、中東、アフリカ等文字通り世界中の審査員を前に、白熱した試合を繰り広げます。これは、あらゆるスポーツで審査員が判定を下すのと一緒の構図です。

では、審判を説得するにはどうすればいいのでしょうか?その前に少しだけ説明させて頂くと、ディベートには大きく2種類、議題が発表されてから数か月にわたって綿密に調査を行う「調査型/準備型」と呼ばれるものと、議題が発表後15分-30分後に試合を開始する「即興型」と呼ばれるものがあります。後者の「即興型」はParliamentary Debateとも呼ばれ、議会を模しています。政治家が市民に対してスピーチすることがコンセプトで、審査員を、私やあなたのような一般人だと想定しています。そして、そのような一般人を説得するには「何を言うか(Matter)」だけではなく、「どう言うか(Manner)」が同じくらい重要視されるというのが、ルール化しているのが特徴です。具体的には、まるで目の前で起きているかのような具体的な状況の描写やストーリーテリング、表情や身振り手振りのような非言語コミュニケーション能力なども勝敗に影響します。言い換えると、「論理的な分かりやすさ」の一本足打法ではだめで、「感情的な分かりやすさ」まで訴求しなくてはならない、ということかもしれません。そういう意味ですと、ただただ論破するディベートは、日本でも昔は多くあったのかもしれませんが、結局のところ「イケてない」という一言に尽きます。感情も揺さぶられないため、特に国際大会では一切通用しないのです。そういう意味では、人によってはプレゼンテーションに近いとおっしゃいます。最初の誤解に話を戻すと、粗い議論かもしれませんが、プレゼンテーション=論破である、のような等式は成立しづらいかと思います。

事実、世界トップクラスのディベーターを聞くと感動します。世界大会の最優秀個人賞を受賞したスピーチを聞いて、私の友人は涙を流したこともあります。イギリスやアメリカ、オーストラリア等、海外では"文化"としてのディベートが定着しており、一般人が大学等で開かれるパブリック・ディベートを見に行くことも少なくありません。スポーツのように、ディベートの国際大会で活躍するとテレビや新聞に取り上げられます。まさに世界では、「ディベート2.0」を体現していると言っても過言ではないでしょう。ちなみに、最近はマレーシアや、イスラエルなどが世界大会でどんどん活躍しており、「ディベート先進国」になりつつあります。彼らのスピーチは、本当に引き込まれるので機会があればぜひ聞いて欲しいと切に思います。

もう一度だけ言わせてください。実は、ディベートの目的は論破ではありません、と。

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ディベート教育実践家 / 東京大学英語ディベート部OBOG会顧問、九州大学学術研究者、跡見学園女子大学講師、外務省文科省後援の国際大会審査委員長、全国大会優勝・審査委員長 / "ディベート力"を通じて理不尽さを0に / 三足の草鞋(経営コンサルx研究者x教育者)/ SDGs
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