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Outer Wilds探索日誌DLC編:感想と考察

本記事は初見プレイヤーが探索のメモ程度に書き残していくものです。
本人およびクリア済プレイヤーが読んでニヤニヤすることを意図しており、未プレイ者の閲覧は基本オススメしません。
宇宙の謎は君の目で確かめてくれ!

探索日誌

1~3日目までは記事でどうぞ

後半のプレイ(昼の部分の探索を終えたあたり)からは以下のアーカイブでどうぞ。長いので飛ばし飛ばしご笑覧ください。

感想

当初思ってた「あれだけ綺麗にまとまった作品に追加要素??」「後から要らんもんゴチャゴチャ付け足して台無しにしたらぶちころがすぞ」という懸念に関しては、全くの杞憂でありました。お見事です

「未知」に遭遇する不安と興奮(例:全く読めない文章、新たなギミックなど)、見えてるけど行けそうで行けない場所、突破方法を見つけたときの「行けた~!」という達成感、本編のまとまりを阻害しないという制約の中で点と点の情報が繋がって、終盤に向かって一気に解決へと流れ込むシナリオなど、Outer Wildsの醍醐味をちゃんと継承していました。

Outer Wilds念願のDLCとしての役割はきっちり果たしたと思います。1日だけ子供に戻れる夢のチケットのように、一時的にOuter Wildsゾンビを”新米宇宙飛行士”に引き戻してくれましたね。まぁクリアしちゃうと元に戻っちゃうんですけど……

遊びごたえのある追加ステージ(クリア者向け)という思想で設計されていると思うので、その点については意図通りでしょう。期待値を大きく超えることはなかったですが、まぁ元が神ゲーなのでそれはちかたないね……

ゲームプレイ

※この章にはちくちく言葉が含まれます

ゲームプレイの面ではまぁ賛否別れると思います。単純に暗い⇔明るいを繰り返すので眼精の疲労がマッハというのが個人的に一番辛かったです。暗順応何回させるねん。

そもそもにおいて1ループ22分という時間制限のあるゲームってことを制作スタッフは忘れてやしませんか?やたらに広く、暗く、全体像が把握できないステージで追跡者を搔い潜る、あるいは搔い潜らなくてよいルートを検討するために試行回数を要求すること自体がストレスに繋がります。我はステルスゲーがやりたかったらステルスゲーを買うんだが??

追記:
ステルスゲーしなくてもいいルートもあるよ!という主張もあるかもですが、ステルスゲーを回避する過程でステルスゲーが発生したら意味ないだろ!

あと「遺物」と「夜の世界」ですが、アイテムインベントリが無い、入手したアイテムがリセットされる、そもそも知識さえあればいつでもどこでも好きに行けるというOuter Wildsのよくできたシステムとコンフリクトを起こしてませんか?(例外はワープコア。ただしこれはクライマックスなのでやむなし)

このせいで「遺物」を置く→「ランタン」を取る→「ランタン」を置く→「ランタン」を取る→「ランタン」を置く→「遺物」を取る、の一連の動作をひたすら繰り返すことに……これは正しいことなの!?(よつばとの画像)

隠しスライドリールの部屋は映写機と通路で繋がってたりする親切設計なのにどうして……

結局のところ、古来からあるゲームの「テーマ」と「メカニクス」の問題に回帰するのだと思います。制作者の目指した「テーマ」(この場合は「光と影」とかそんなん)と実装されたゲームメカニクスのベクトルがうまく一致していると、他では得難い豊かなゲーム体験となるわけです。
理想はそうですが、実際はなかなか難しいですね……

参考記事:テーマはゲーム性にあらず(その1)

『名もなき種族』の考察

考察にあたり拙稿をお読み頂けると理解の助けになります。


本DLCで登場する「流れ者の住人」は固有の種族名が判明していません。迷惑極まりなく、そのためかいろいろな名で呼ばれているようです(私は「VRChat民」と呼んでいました。仮想世界に住んでるので)。ただ単に彼らの文字が未解読であるという理由だけなのでしょうか?

これは意図的に名前を読んでいないのだと考えます。これは彼らがやらかしたことに関して、明確な理由があると思うのです。

「流れ者の住人」が彼らの中の反逆者である「囚人」に対してやったことを振り返ってみましょう。一族の取り決めに反して宇宙の眼の信号を解き放った「囚人」に対して、彼らはその記録を抹消しました。これは古代ローマで反逆者に対して行われた記録の破壊処置「ダムナティオ・メモリアエ」に相当します。「ダムナティオ・メモリアエ」を受けた者は、その一切の存在がなかったとして、あらゆる痕跡を抹消されました。名誉と重んじたローマ人にとっては死よりも恐ろしい措置だったといいます。ローマ以外にも類似の措置は世界中に存在します。「流れ者の住人」も名声をとても重んじる種族だったということでしょう。

では「流れ者の住人」が「宇宙の眼」に対してやったことは何だったでしょうか?「宇宙の眼の真実」に絶望し、それを覆い隠したとありますが、宇宙の眼の機能は「意識的観測者を招き入れて、新たな宇宙を始める(結果として現行宇宙は滅ぶ)」ことなので、彼らは「次の宇宙を始めることを拒否した」ということになります。この宇宙の営みである破壊と誕生のループをこの世代を最後に終わらせる決断をしたのです。これは連綿と続いてきたであろう先駆者たちとはまったく真逆の決断と言えます。

「宇宙の眼」はある意味究極の選択迫るわけです。
「次の宇宙に持ち越せるものが何一つ無いとしても、それでも今ある宇宙を崩壊させて、次の宇宙にバトンを渡せるかい?」
「流れ者の住人」は死を恐れたわけではないと思います。名誉を重んじる彼らは、次の宇宙に対して自らの足跡を一切残せない、その生涯の意味を無に帰することを恐れたのではないでしょうか?そうした選択を迫るこの宇宙の残酷な仕組みそのものに対する絶望といえます。

宇宙の存続(崩壊と誕生のループ)の視点から見ればこれは重大インシデントです。このままいけば宇宙は『永遠の熱的死』を迎え、そこから先には知的生命体が存在しえない永久の闇が待っているのですから。これから先に新たな宇宙で育まれるであろう全ての生命を殺すことに等しい重大な反逆行為です。
(奇跡的に信号を受け取ったNomaiと、その意志を継いだHearthianによって、『宇宙の永遠の熱的死』は回避されましたが、実際かなりの綱渡り状態だったといえます。)

そのため「流れ者の住人」は記録抹消の措置として『種族の名』を失ったのではないでしょうか?ちょうど彼らが「囚人」に対して行ったように。
それが宇宙の意志によるものなのか、彼らなりの贖罪(ケジメ)なのかはわかりませんが……

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どうか、災いを行う者の子孫は
とこしえに名を呼ばれることのないように

イザヤ書 第14章20節

とは言え、NomaiもHearthianも「流れ者の住人」も、次の宇宙に決してその名を残すことはない、という点においては平等です。3文明の蠟燭はともに吹き消され消えていったのです。しかしその旋律はアンサンブルに迎え入れられ、次の宇宙に因子を伝えていくことでしょう。次の宇宙は若干ホラーみが増したかもしれませんが……暗すぎないことを切に願ってやみません。



おわり

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