復讐 #SS
間違いない。これは膀胱炎だ。排尿してもまだ膀胱に残っている感じ。あそこに常に棒を突っ込まれている感じ。
金曜の午後四時。家族は仕事中で家にはいま、自分だけ。リモートワーク。イスに座っているだけでも痛く、ときどき腰を浮かしながら部下にメッセで指示をする。
自転車で十分の距離に泌尿器科がある。すぐ行けるのはそこしかない。作業は山のようにある。早退はできない。仕事を中抜けして行こうか……。
でも、絶対に行かない。なぜなら院長が吉岡優斗だからだ。
加島有香は五年前に行ったクリニックでもらった薬を探した。あった。ミノサイクリン。体内の菌を殺す薬だ。飲もうとしたところ、別の不快感が下腹部を襲った。下着をおろす。
……お前もか。こんな時に来るなよ!
生理通薬の箱を開け、二錠をのんだ。次いでミノサイクリンも二錠のむ。それから気づいた。ミノサイクリンは一日一錠でいいのだ。身体がふらつく副作用がある。五年前にのんだとき、かなりふらついて、舗道を歩いていて人とぶつかりそうになったのだ。
大丈夫だろうか? それに、ナプキン切れている。買いに行かなきゃ。今週、激務すぎて外に出ていないのだ。三十分外出します、と送信しようとしたとき、部下の一人からメッセが来た。納期に間に合いません。どうしたらいいですか?
頭の悪い部下への怒り、そして膀胱炎の刺すような痛みと生理の鈍痛、両方の気持ち悪さ。
「あーッ」
有香は力の限り叫ぶとメッセを飛ばし、指示を出した。一時間後、ようやく解放され、自転車でスーパーに向かった。
ふらつく。行きたい方向にうまく進めない。二錠も、しかも生理痛薬ものんだのがまずかったか。自転車を降り、押しながら歩いていると立ち眩みに襲われた。すぐ横にドブが流れている。有香は自転車ごとドブに落ちた。
右足に激痛が走る。まさか、捻挫? マジか、冗談やめてよ! あまりの情けなさに涙ぐんでいたところ、通りかかったおばさんに抱え起こされた。
「大丈夫? すこし先に吉岡クリニックがあるわ。泌尿器科だけど、怪我の手当てくらいはしてくれるでしょう」
「いえ、結構です! 絶対行きません」
おばさんは有香の固辞を無視し、彼女を引き摺るようにクリニックに向かった。その時、溜まっていた尿が漏れ、有香のデニムを濡らした。膀胱炎は尿意をコントロールできなくなるのだ。
おばさんのたくましい腕が有香の身体を離さない。というか、自力で歩けない。有香は観念し、受付に保険証を出した。
水色のデニムの股が経血で染まっている。着替えたいのに、気の利かない看護婦に引っ張られ、すぐ診察室に通された。椅子に座ったまま吉岡優斗が有香を見上げた。問診票から自分が加島由香なのをわかっているはずだ。有香は顔を逸らした。
「たぶんいま、膀胱炎なんです。五年前になったのと同じ痛みなので。……それと、いま生理中です」
股を手で隠しているが、広がった血を見られている。有香はもっと深い角度で彼から顔を背けた。吉岡が紙コップに尿を採るよう言った。有香は看護婦についてもらいトイレへ行き、デニムと交換にトレパンを借りた。
診察室へ戻ると、まず捻挫の治療をされた。
「尿の検査の結果、やはり膀胱炎ですね。薬を出しますので、三日後にまた来て下さい」
少しキーの高いやさしげな声は、間違いなく吉岡優斗だ。有香は顔をあげた。あの、常におどおどしたたよりない男の子が、目元の涼やかな美青年となって、有香を見つめている。動揺した。
「あの、私……。昔、あなたにいろいろ酷いことをして……、ごめんなさい」
言いながら涙があふれた。中学二年時のクラスメイト。有香は女子の中心となって虐めたおしたのだ。教科書や上履きを隠したり。青虫をパンに挟んで食べさせたり。女子たちの真ん中でパンツを下ろさせたり。
吉岡は登校拒否になり、卒業式にも来なかった。医者になり父親の医院を継いだことは知っていたが、絶対に会わないよう、今までここに近づかなかったのだ。
「昔のことですから、気にしていません」
吉岡が白い歯を見せた。むせび泣きながら有香は何度も礼を述べ、診察室を後にした。ドアが閉じられた。
器具を洗いながら吉岡はひとりごちた。
「東南アジアの友人からもらった細菌を傷口に塗って差し上げたよ。潜伏性があり、何十年後かに発症するらしい。梅毒に似た腫瘍ができるんだ。まあ大丈夫だろう。運がよければ、ね」