芸術一家で自分は特別だと思い込んだ凡人

こんばんは。あきらです。

ここから複数回にわたり、私の音楽人生をお話ししていこうと思います。
私は、公立中・高・大と進み、現在社会人の25歳です。


私がバイオリンを始めたのは家族の影響です。アルバムをパラパラとめくっていると、オムツ姿の私がバイオリンを構えているので、おそらくこの頃から触っていたのでしょう。起算点はわからないので、適当に3歳から始めたことにしています。

母は、自宅でバイオリン教室をしていました。自宅には入れ替わり立ち替わり生徒さんが出入りし、夜の21時までは音が鳴っているのが当たり前な環境でした。

父は、正直何の仕事をしているか判りませんでした。バイオリンを弾くらしい、合唱とかオーケストラの指揮もするらしい?口数の少ない家庭だったので、自宅で仕事をしている母に比べると父親に対する理解は乏しく、ただ漠然と、音楽家なんだろうなという認識でいました。

そして3つ上に姉が1人います。姉は本当に多彩な人でした。音楽はピアノを、運動神経もよく、文才もあり、中でも絵の才能に長けていた彼女は美術高校・大学に進学しました。

おまけに言うと、祖父母も作家、バレリーナ、ダンサー、画家、と、
サラリーマンを探す方が大変な一族でした。

そんな環境で育った私は、バイオリンを弾くことに対して何ら特別な気持ちはありませんでした。無意識に手にしたバイオリンをのらりくらりと弾き続け、気がついた頃には「音楽高校受験」ルートまっしぐらでした。

しかし、ある時私は気がついてしまったのです。「自分は勉強ができる」ということを。そしてとんだ勘違いをしたのです。「勉強ができる自分は稀有な存在だ」と。家族も習い事先の友達もみんな音楽だの芸術だのに一生懸命で、誰も勉強の話なんてしてないんですもん。勉強を頑張って大学に行きサラリーマンになることが、特別で格好良いと錯覚した天邪鬼あきらは、「私の本当にやりたいことは音楽じゃなくて勉強なの!!!」と豪語し、サクッとバイオリンを辞めました。普通逆ですよね笑

なぜプロを目指さなかったのかとよく聞かれます。
アマチュアで音楽を続けたい後付けの理由はたくさんありますが、根本はここにあります。「算数ができる自分の方がすごいと思ったから」。笑

成長するにつれ、自分が特別な存在だったわけではなく、芸術一家に生まれた唯一の凡人だったことに気づかされるわけです。

子供の勇気ある決断が、一般に言われる「予め敷かれたレール」に乗っかりに行くことだったなんて、阿呆なことをしたなと今でも思います。ただ、阿呆が選んだ道は悪くなかったですよ。

あきら

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