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社会に解き放たれし田舎者〜優しさって何??

こんばんは!

前回は学生時代を主に書いていましたが
今回は自己紹介(社会人編)を綴りたいと思います。

僕は現在30代半ばで今までに3回転職をしており、
今はそこそこ有名な企業に勤めています。
しかし、決して順風満帆ではありませんでした。

僕の社会人編は一言で言うと、

「優しさを求めて」

といった感覚です。
今回はそんな過去の自分を振り返りたいと思います。

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⓪はじめに
①バイク販売時代
②エレベーター点検整備補助時代
③IT会社時代
④さいごに
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⓪はじめに

僕は大学時代に、人の顔を見て判断するのではなく、自分のしたいことをしよう!と思って過ごしていました。

社会人になっても、それは変わらず自分のしたいように、言い換えるならば「自由」に生きていきたいと思っていたのです。

ですが、それは脆くも崩れ去っていきます…

①バイク販売時代

最初は某大手中古車バイク販売会社に入社しました。
理由はシンプルにバイクが好きだったからです。

同期は100人近くいましたが、
1年間で残ったのは半数くらいだったかと思います。

理由は過酷だったことのもありますが、
(夏場は1日6キロくらい体重が減っていました)
お客さんはもちろん、従業員もバイク好きなので、
バイクのオンシーズンである春先から秋までは休めず、乗れないんですよね。
理想と現実のギャップがあったのかと感じます。

そんな中で、好きなことを仕事にしていたのですが、人生において初めてと言っていいほど大変な時期でした。

その要因は2つあります。

1つ目はパワハラです!

殴る、蹴る、叱責だったのですが、
漫画であるようなことがあるんだと社会人が怖く感じたひと時でした。
明日になるのがすごく嫌だったことを覚えています。
もちろん当時の自分が満足いく数字をだしていなかったこともきっかけでしたが、今考えると手をあげてはいけないなと思います。

2つ目に、休めなかった。

ぼくは当時有休という概念が全くありませんでした。
同年代の知人が結婚するタイミングで休みを取得できるか相談しました。
結果は見事にNG。
周りの友達が休みを取得している中で、自分が置かれている立場を再認識しました。

どうやったら有休を使えるのかと上司に聞いたところ、「親族でも親が亡くなった時に限る」と、かなり限定的な言い方をされたことを覚えています。


②エレベーター点検整備補助時代

平日休みにケリをつけ、土日休める一新で転職を実施。
ですが、自分が好きな仕事でもないため、モチベーションはゼロでした。
当時の上司は強烈で、仕事はできるが職人気質。
まともに話ができず、言い方は悪いですが理不尽の鏡でした。
目の前にスパナやドライバーが飛んできたのは今後経験しないことを祈りたいものです。

(①②を経験して、僕は理不尽な対応は嫌なので人に優しく接することを心情にしていたのかと振り返ります)

③IT会社時代

前回のエレベーターの点検補助から
自分に足りていない分野に転職をしました。
それがPC業界だったのですが、ぼくはPCの知識が
びっくりするほど皆無でした。

ブラインドタッチもできず、専門用語もわからず。
最初は業務にもまともに出してもらえませんでした。
ここでよかったのは、①②の経験があったからこそ、自分は底辺だと感じていたからこそ
誰よりも努力をしようと毎日FBをしていました。
結果としてはこの経験が今勤めている会社への転職につながっていると感じます。

④さいごに

僕は怒ることが苦手です。それは今までの辛く当たられた経験から自分はそんなことをしたくないと思うからです。
しかしながら、怒らない=優しくいるという自己解釈をしていたのだということに気付かされました。

社会において、優しい人ってどんなイメージでしょうか??

「当たり障りのない、いつも同調してくれる人」
「本音を言わず、いつも八方美人な人」

いろんな優しさがあると思います。
ですが、この優しさは、こと人を成長させるという観点からは、人をダメにしてしまうことにもつながってしまうと感じます。

本音で向き合わず、上部だけで過ごしても、正直楽しくありませんし、体重も体温も乗らないんですよね。

今は昔の上司が自分に熱を持って接してくれたことがわかります。(やりかたは最悪でしたが)

僕は絶賛優しさを取っ払う訓練中です。
社会人になって自分が足りないことに気づかされる毎日ですが、少しでも前進していきたいものです。

誰かのお役に立てましたら幸いです。
お読みいただきましてありがとうございました!

あきらーめん

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